第七話:幻の琥珀色(一)
渋柿の長持ち。呪うに死なず。雑草はたちまち茂る……そんな言葉たちがある。
悪い物、憎い何かに限って世に出て威勢を振るう。そんな意味の言葉だ。憎まれっ子世に憚る、とも言うだろう。
サークスと太郎丸。二人の厚意を受け、一緒に冒険へと旅立ってから既に一週間が過ぎた。だがノエルは未だに、依頼人の事を思い出すと冒頭の言葉が頭に浮かんでしまう。
「おい、ノエル」
隣を歩いていたヤマトが、自分の眉根辺りをツンツンと突いて知らせる。また、しかめっ面になっているぞ……そう言っているのだ。
いけない、いけない。天使は笑顔が命!
頷き返して、ノエルは無理に口角を上げて笑顔を作る。あまり良い笑顔とは言えないだろうが、難しい顔をしているよりは断然マシだろう。
「はは……まあ確かに、ノエルさんがそんな顔をする気持ち、僕もわかるよ」
先頭を行くサークスが軽く振り返って苦笑混じりに言うと、隣で太郎丸が頷いて見せる。
彼らは今、二列縦隊で木々の合間を縫うように続く小道を進んでいた。森の奥深く、依頼人ご所望の品が取れる集落を目指しての旅路だ。
「すいません、せっかく誘って下さったのに。お仕事が嫌というわけでは無いのですけど……納得が行かないというか、なんというか……わぷっ!?」
顔面に蜘蛛の巣を受けて、ノエルの言葉が途切れる。
これでもう何度目だろう? 翼を広げ、低空をふわふわ浮いて移動するものだから、少し高い位置に張られている蜘蛛の巣に片っ端から引っかかってしまう。誰も行き来しない高さであるから、巣が除去されていないのだ。
「ううう……もうっ! どうしてこう……あぶっ!?」
蜘蛛の糸を取る事に集中するあまり、また新たな巣に激突するノエル。
「もうお前、普通に歩けよ……」
「むぅ~、飛んでる方が楽なのに」
ヤマトの呆れ声に、ノエルは少し不満そうに地面へと降り立つ。と同時に……。
「ひやぁっ!?」
湿った苔に足をすくわれ、尻餅をついてしまった。
手はドロドロ。スカートと下着も、苔の湿気を吸い取ってぐっしょり。肌に冷たい感触が伝わって来る。
こんな事なら軽装のサンダルではなく、しっかりとした靴を買ってくれば良かった……そう思ったが、後悔先に立たず。不快指数がぐぐっと上昇する。
「ほらノエル、掴まれよ。ンな不機嫌そうな顔して……あれもこれも、全部依頼人が悪いんだ! ってかぁ?」
「そんな事……」
からかいながら手を差し伸べるヤマトに、そんな事は無い! と反論しかけたノエルだったが……。
「そんな事……あるっ!」
不満気な表情を露わにし、認めたのだった。
時は遡り、一週間前。
サークスと太郎丸に連れられ、今回の仕事を依頼した人の所へと赴いた時だ。
目の前に聳えるのは、城壁と見紛うばかりの巨大な門。見渡す限りの広大な庭。そして王侯貴族の宮殿を思わせる規模の、煌びやかな邸宅。そのどれもが隅々まで管理が行き届き、ゴミはおろか落ち葉一つ、チリ一つ落ちていない。
超お金持ちの趣味を地で行く、贅の限りを尽くした住まいの主。彼こそが今回の依頼人、エフティー・ノーウェイその人だった。
「お前たちが、名乗りを挙げた冒険者か?」
謁見の間を思わせる広い室内。一段高い場所で豪奢な椅子に腰掛けた小太りの中年男性が、両脇に半裸の美女をはべらせて問い掛けてきた。
その問いに肯定であると返し、礼法に則って頭を垂れるサークス。太郎丸は半歩後ろで顔色一つ変えずに立っている。だがヤマトは……。
「ぐはっ……ヒールだ、ヒールくれノエル……」
大人っぽい美女の露わな姿態を前に、鼻血を流して最後尾でしゃがみ込んでいた。
「何してるのよ、もうっ」
慌ててハンカチを取り出し、捻ってヤマトの鼻に詰め込む。
斜に構えてはいるが、基本的に真面目なヤマト。女性に免疫が無いのはわかるが、ちょっと色っぽい人が居たくらいで鼻血を出さなくても良いのに……。
翼を広げ、少年の首の後ろ側をトントンしながら癒しの力を使っていると、件の半裸美女たちがこちらを見て微笑んでいるのが見えた。
はずかしいなぁ、もう……。動揺など微塵も見せず、今も依頼人と交渉の最中にあるサークスや太郎丸を、ヤマトも少しは見習って欲しい。
赤面して、俯くノエル。もうちょっと格好良くキメられないものか? そうすれば私だって堂々と……。
「何をゴチャゴチャとやっている?」
ノーウェイがノエルとヤマトに目を止めた。珍しい物でも見るようにクリクリと瞳を動かして、興味津々といった様子だ。
まあ確かに、女の裸くらいで鼻血を出す者が彼と接見するなど珍しい事なのだろう。
「なんだお前、女の裸が珍しいか? この女が欲しいのか?」
妙に嬉しそうなノーウェイ。美女を立ち上がらせてヤマトに見せつけ、動揺する彼の様子を楽しんでいるのだ。
趣味の悪い事を……と内心で思うノエルだが、辛うじて顔には出さない。不快感を露わにしては、パーティーの代表として振舞っているサークスに迷惑が掛かってしまう。
だが……。
「こんな物で良ければ、報酬代わりにくれてやるぞ」
そう言うと、ノーウェイは美女を蹴り飛ばした。突然の事に対応できず、無様によろめき、段上から滑り落ちて倒れる美女。剥き出しの素肌に、薄っすらと血が滲む。
「それには、既に飽いた。だが奴隷商にでも持ってゆけば、それなりに値が張るだろう」
慌てて駆け寄ったヤマトたち四人へ、見下した視線を投げ掛けるノーウェイ。
こんな物? 飽きた?
ノーウェイが発する言葉に、ノエルの憤りは限界を超えた。怒りが言葉となって口から溢れかけた……その時だ。
「よっしゃあ! んじゃあこの人、俺が貰った! 予約した!!」
倒れた美女とノーウェイの間に立ち、ヤマトが大声で叫んだ。
「売値と報酬を差し引いて、残りは銀貨でくれ! おいアンタ、後でやっぱり女を返せとか言うなよ? 俺が予約したんだからな!」
有無を言わさぬ強い口調に漲る気迫。ほんの少し前まで鼻血を流していた少年と同一人物とは思えない。
そうして自身が注目を集める傍ら、そっと仲間たちへと目配せを送る。その意味を即座に察し、倒れた美女へ治療を施すノエル。そんな彼女へ、勝手な事をするな……と言いかけたのだろう。段上にて口を半開きにした状態のノーウェイが、サークスと太郎丸の気迫に圧倒されて言葉を吐けず、酸欠になった金魚のように口をパクパクとさせている。
「んで? 俺たちに何か取ってきて欲しいんだろ? ちゃちゃっと行ってくるから、言ってくれ」
「う……うむ。では……」
ヤマトに促されて金魚状態から脱し、ノーウェイが召使いへと指示を出す。
すぐさま駆けて来た召使いから、依頼の詳細が書かれた羊皮紙と地図を奪うようにして受け取るヤマト。
「じゃ、行ってくるけど……その女は俺の報酬なんだから大事にしとけよ! 傷物になってたら違約金貰うかんな!」
「う……わ、わかった」
ヤマトに気圧されて冷や汗を流すノーウェイの様子に、すっきりと溜飲を下すノエル。天使としてはどうなのかと自分でも思ったが、感情はどうしようもない。ざまあみろ、だ。
こうして、脅迫じみた捨て台詞を残し、ヤマトたちは今回の冒険へと旅立ったのだった。
そして時は戻り、くねくねと続く山道を行く四人。
「……確かに最低の依頼人だったけど、金払いは良いって話だからね。ちゃんと仕事さえこなせば全部丸くおさまるよ」
「ま、そうなる事を期待するしか無ぇな」
どこか楽観的に話し合うサークス、そしてヤマト。二人の間には、とにかく仕事をキッチリとこなして、話はそれからだと達観した雰囲気がある。
しかしノエルの気分は晴れない。
あの後、ノエルは誰にも内緒で、屋敷の使用人たちにノーウェイについての話を聞いてみた。
最初は警戒していたのだろう。誰も彼も口は固く、主人であるノーウェイを多く語る者は居なかった。しかし天使であるノエルにだけはと、口々に主人の悪行を吐露し始めたのだ。
使用人たちへの不当な労働環境に始まり、後ろ暗い者たちとの繋がり、多岐に渡る違法な取引。それら全て、いっそ清々しい程に「金の為なら何でもやる」と宣言するかの如き所業の数々。
とはいえ、使用人たちの証言を全て信用してしまえる程、ノエルもお人好しでは無い。彼女は穢れ無き天使であるが、同時にシビアな冒険者でもあるのだ。しかし疑いの眼差しで使用人たちを見渡してみても、ノーウェイが悪党であるという結論だけは同じだった。彼ら使用人たちは、主人を犯罪者だと主張するリスクを犯してなお、口を開いているのだ。
バレればタダでは済まない事を承知の上で、この天使なら……ノエルならば状況を打開してくれるかもしれないと一縷の望みを掛けて。
「……はふぅ」
「なに溜息ついてんだよノエル? ほら、もう着くぞ」
ヤマトに言われて視線を上げれば、木々の間から小さな集落が見え隠れし始めていた。