第六話:新しい風
酒と油の匂いが混ぜこぜとなった店内。朝食を取ろうと集まった人々を、波間を泳ぐように掻き分け、小柄な少年が壁際の席を目指す。
「ヤマト、こっちこっち!」
人込みから、ぴょこんと頭一つ抜け出して手を振る天使の少女ノエル。地面から少しだけ浮び上がり目印となっているのだ。ゆっくりと浮かぶ程度であれば背中の翼を羽ばたかせる必要は無く、人々の中にあっても邪魔になる事は少ない。
「お待たせ! いやぁ、今日も込んでるなぁ」
ノエルのもとへと辿り着いたヤマトが、トレイに載せたミルクとハムサンドをテーブルいっぱいに広げる。数量は四人分……ヤマトとノエル、そしてサークスと太郎丸の分だ。
「なんだか悪いね、朝食をねだる様な真似をしちゃって……」
ヤマトの向かいに座るサークスが遠慮がちに言った。だが、そんな彼の言葉をノエルはすぐさま否定する。
「なに言ってるんですか! あれだけお世話になったんですから、このくらい当たり前ですよ!」
「そういうこった。さ、安物だけど遠慮なく食ってくれ」
朝食を並べ終えたヤマトも言って、食事を促す。
そういう事なら……と、サークスと太郎丸の二人はパンに手を伸ばし、賑やかな喧騒に包まれた、和やかな食事が始まった。
ここはヤマトとノエルが拠点を置く街の宿屋兼食堂「ほろ酔い亭」。一階が食堂となっており、二階は主に冒険者が間借りする宿となっている。その為、ほろ酔い亭に集まる人々の大半を冒険者が占めていた。ヤマトたち二人も例に漏れず、それぞれ二階に部屋を借りて自室としている。
スライム退治の依頼を終えたヤマトとノエルは、サークスたち二人と共に本拠地であるこの街へと戻り、仮宿を探す二人にせめてもの恩返しと、朝食をご馳走する事にしたのだ。
「これは……凄く美味いね。陳腐な表現だけど生地が柔らかくて、こう……もちもちしている。それにこのドレッシングも絶品だよ」
「ですよね!? 私もお気に入りなんです」
ハムサンドを頬張り、サークスが絶賛の声を上げる。焼いたパンにハムとチーズ、刻んだ野菜を挟んだだけのシンプルな料理ではあったが、シャクシャクと歯ざわりの良い野菜と、ハムの塩気。あらゆる要素が互いを引き立てあって絶妙の味わいを醸し出している。一言も喋らずパンに齧り付く太郎丸も、いつの間にやら二個目を平らげようとしていた。
「スライム退治の報酬も入ったし、二人とも遠慮するなよな? どうせ、これくらいしか驕れねぇし」
「そうかい? じゃあ遠慮なく……」
サークスも二つ目のパンを手に取って微笑む。
焼きたてのパンは香ばしい上に表面はサクサクで中は柔らかく、固い干し肉に慣れた口にはこの上ない食感だ。しかも貧乏な冒険者でもたらふく食べられる程に安いのだから、文句のつけようが無い。
「あ、そういえば……」
パンを千切って口に運んでいたノエルが、思い出したようにサークスたちへと話を振った。
「お二人とも、凄く高名な冒険者だったんですね。すいません、私ったら全然知らなくて……」
「そうそう、厨房のオッサンも言ってたな。確かアンタの二つ名……白銀のサークス、だろ? その歳で二つ名って凄いよな、びっくりしたぜ!」
ヤマトたちに言われ、サークスがはにかんだ笑顔を見せる。
たまたま、幸運が続いて名前だけが売れたんだ。そう言った白銀のサークスだが、聞けばレベルは32だと言う。偶然や幸運だけで辿り着けるレベルでは無い。
人間の限界レベルが50と言われている現在、世界でも有数の使い手であろうと思われる。
そして太郎丸もまた確かな使い手だった。レベルは17。サークスとは比べるべくも無いレベルだが、もともと冒険者として活動している人狼が少ない為、過小評価されているきらいがある。事実、スライムを寸断した剣閃はレベル10中程では不可能な鋭さを持っていた。
「街に帰ってから、やけに見られてんなぁとは思ってたけど、みんなアンタたちを見てたんだな」
「悪いねヤマト君、余計な気を使わせちゃって。この辺りには殆ど来た事無かったから平気だと思ったんだけど……」
太郎丸と合わせて白黒のコンビだから良く目立つんだよ、との言葉を飲み込んだヤマト。太郎丸の黒は毛色だから仕方ないとして、サークスの白銀鎧は、ちょっと……自分の趣味じゃない。白銀には魔を退ける効果があると聞くが、流石に銀ピカの鎧は派手すぎやしないだろうか? まあ一定以上の実力があれば、多少目立つくらいの方が都合が良いのかもしれないが……。
「……サークス殿」
ヤマトの思考を断ち切るように、食事を終えた太郎丸がボソリと何事かを囁いた。
そういえば、太郎丸と二人で話したあの夜以降、流暢に喋る彼の姿を一度も見ていない。ヤマトが見聞きしたのは全て、夢か幻だったのでは無いかとさえ思える。
「ああ、そうだね。例の件、二人に相談してみよう……ちょっと良いかな?」
断りを入れ、サークスが傍らのザックから一枚の羊皮紙を取り出しテーブルに広げた。冒険者をしている者であれば、頻繁に目にするその紙は……。
「仕事の依頼書……か?」
ヤマトの声に頷くサークス。彼は丸まった羊皮紙の隅にジョッキを置いて重石代わりにし「とりあえず目を通してくれないか」と促した。どれどれ、と興味深そうにヤマトとノエルの二人は依頼書を覗き込む。
そこに書かれていた内容を簡単に言ってしまえば、良くあるお使いの類だった。ちょっと遠くにある、ちょっと珍しい物を取ってきて欲しいという、時間こそ掛かるものの危険も少なく比較的簡単な仕事依頼だ。
「ちょっと前に見つけてキープさせて貰ってたんだけど……うっかりしててね」
サークスが羊皮紙の上に指差す先。そこには「推奨レベル:20以下」と書かれている。
「良い仕事だとは思うんだけど、僕と太郎丸だと平均レベルが20を越えてしまって、請けられないんだ」
「ああ、それで……」
冒険者への依頼に推奨レベルが書かれているのには、幾つかの理由がある。
一つは危険を避ける為。低レベルの冒険者が誤って、手に余る仕事を請けてしまわないようにするのが目的だ。
そして二つ目は、強力な冒険者が美味しい仕事を全部持って行ってしまわないようにする為。簡単で実入りの良い仕事を初心者にも残し後進を育てようと、冒険者組合が考え出した苦肉の策なのだ。
「私たち四人がパーティーを組めば、平均はえっと……」
「18ちょい、か。イケそうだな」
意外にも早い暗算でヤマトが答えた。高レベル認定を受けている三人を前に、自分だけがぶっちぎりで低レベルである事が気にはなったが……。
『自信を持つのだ。何も恥じる事は無い』
太郎丸の言葉が頭を過ぎり、落ち込みそうになる気持ちを支えてくれる。
「どうする、ヤマト?」
小首を傾げて問いかけるノエル。だが問うとは言っても半ばポーズのみで、二人の答えは殆ど決まっている。
「なあサークス。アンタたちさえ良ければ、この仕事俺たちも……」
ヤマトが最後まで喋るより早く、サークスの頬が緩む。そして差し出される右手。
「決まりだね。よろしく!」
「ああ、こっちこそ」
男二人がテーブルを挟んで握手を交わし、こうしてレベルのバラつきが酷い四人パーティーが誕生した。