第六十五話:男の夢、男の意地(四)
このお話には残酷な表現が含まれます。苦手な方はご注意下さい。
正気か? と彼は聞いた。
サークスとの決戦より時をずっと遡り、ヤマトの実家にて、みんな揃って作戦会議中の事だ。
自分の正気を疑う人狼に頷いてボロボロの右手を差し出したヤマトは、もう一度、同じ言葉でもって太郎丸へと願い出る。
「頼む。俺の右手の肉、削ぎ落としてくれ」
サークスを倒すという目標が掲げられた今、ヤマトは考えていた案を実行に移す事にした。その為に必要なのは、まず太郎丸の協力……すなわち、右手の痛めつけられた部位を、切り落としてもらう事だった。
「だが、しかしヤマトよ。肉を削げと簡単に言うが、いくらすぐに治療するとは言っても……」
「危ねぇのはわかってる。後遺症が残るかもしれねぇとか、そんな心配もあるってんだろ? けど、構わねぇからやってくれ。今より酷くなったりはしないさ」
だから頼む。そう頭を下げるヤマト。だが太郎丸はまだ、承諾しかねる様子だ。まぁ、仲間の腕を切り刻めと言っているのだから、それが普通の反応というものだろう。
複雑な笑みを浮かべるヤマト。理解を得ようと再度、悪魔から受けた傷に関する自分の考えを話す。
ノエルが死の淵から舞い戻った時、彼女の身体は、多くの部分において以前の美しい状態へと再生していた。だが逆に全く良くならず、ヤマトと同じように醜い傷跡を晒している部分もある……この差は何なのか?
最初は、エリクサの効果では無いかと予想された。だがそれだと、部位によって回復に差が出た理由に説明が付かない。
この差が物語るモノ……それはノエル回復の際、最も近くに居たヤマトに閃きとしてもたらされた。
一度、消滅した部位は綺麗に治っている。もしや悪魔の呪いは、傷そのものにしか作用しないのではないだろうか? と。
「さっき試したろ? ちゃんと治ったの、お前だって見てたじゃねぇか」
ガイランとの戦いで、ヤマトが指先に負っていた小さな傷。ポーションの回復を受け付けないその傷を、周囲の肉ごと切り落とす。そうしておいてから再度ポーションを使用した所、綺麗に治ったのだ。
「な? 大丈夫だって!」
「だ、だが……」
未だ、太郎丸の気持ちは晴れないようだ。仲間に対して剣を振る事に、何かしらの強い抵抗があるのかもしれない。そうで無くとも、気持ちの良い物ではないだろう。
そんな彼に無理強いをするのは気が咎めるが……ヤマトは再度、頭を下げて太郎丸へと頼み込む。
「頼む太郎丸、この通りだ! みんながせっかく力貸してくれてんのに、俺がこんなザマじゃサークスの野郎とまともに戦えねぇ。方法が無いってんなら諦めも付くけど……今よりマシな状態で戦えるかもしれねぇのに、諦めきれねぇ! 全力でやりてぇんだ!!」
ヤマトは頭を下げたまま、満足に動かない自らの右手を見つめる。
リハビリに努めた。最善は尽くした。しかし治らない右手……だが今、すぐそこに更なる『最善』が見え隠れしている。
「無茶は承知だ! 痛くても我慢する! 何があっても恨んだりしねぇ! だから太郎丸……頼む、俺の腕を斬ってくれ! お前にしか頼めないんだ!」
ヤマトの言葉をまんじりともせず聞いていた太郎丸は、組んでいた腕をゆっくりと解き、自らの荷物が置かれた椅子の上へと伸ばす。
そこには丁寧に研がれたばかりの愛刀が、主人の呼び声を今や遅しと待ち侘びていた。
「全く、困った男だ」
「太郎丸……!」
剣を手にし、その感触を確かめる太郎丸。意思は、固まった。
「少しは大人になったかと思ったが……初めて会った時と、お主は変わらんな」
好きな女を助けようと、火達磨になってスライムに突進していた男――。太郎丸は、そんなヤマトの糞度胸と一途な気持ちに惚れ込んだ。
それから、一年と少々……あの頃の出来事がひどく懐かしい。まさか、このような展開になろうとは夢にも思わなかった。
これほどの短い期間に、自らの生き方をも考えさせられる者たちと次々に出会えた幸運に、太郎丸は深く感謝する。
「場所を変えるぞ。流石に室内はマズかろう」
扉を開け、外へ出るようにとヤマトを促す。開いた扉からは、夜の冷たい風が流れ込んだ。
「ノエル殿、動けるようなら明りを頼みたい。アデリーネ殿は、ありったけのポーションを……」
テキパキと出される指示に、成り行きを見守っていた女たちが慌しく動き始めた。ランタンのほかに松明が用意され、ポーションと包帯が外へと運び出されて行く。
「スダチ殿とスミ殿は、ここで待たれよ。なぁに、すぐに終わる。心配は無用だ」
不安げな表情を覗かせる幼い二人にそう言って、最後に部屋を出る太郎丸。外に出てみると、家から少し離れた草原に、松明の明りに照らされるヤマトの姿が見て取れる。その瞳に宿るのは、覚悟の二文字。
「頼んだ」
「うむ、任せろ」
短いやり取りの後、上腕を紐で縛って止血して、右腕を前に出すヤマト。その数歩手前で鞘に納まる剣に手をかけ、腰を落として抜刀の構えを取る太郎丸。
そんな二人の姿を、高い位置から瞬く星たちが見守っている。
迷いは捨てろ。躊躇はヤマトを苦しめるだけだ。
無事な骨だけを残し、傷つき、動かなくなった筋肉やスジ、それらを全て削ぎ落とす。大蜘蛛を斬った時の如く、無駄な動きを排除し、ただ無心にて……斬る!
「キエェイッ!!」
静寂から一転、裂帛の気迫と共に、刃の閃きが夜の闇を裂く。雨が残した湿気も、冷たい風も。太郎丸が漸撃によって真っ二つとなり掻き消えた。
そして噴出す鮮血――!
「…………ッ!!」
「アデリーネ殿、ポーションだ! 早く!!」
「は、はいっ!」
あまりに野蛮な治療法に怯みつつも、アデリーネはポーションを両手に抱え、急ぎヤマトへと駆け寄った。
骨がむき出しとなった右腕を押さえ、蹲るヤマト。そこへポーションが次々に振りかけられる。
魔法の輝きと共に、癒されて行く右手。見る見るうちに筋肉が、スジが再生され、皮膚も同様に修復されて、健常な状態へと戻って行く。
「どうですか、ヤマト様? 右手は……? またポーションはございますよ?」
心配そうな表情で覗きこむアデリーネ。その後ろから、ノエルも同様の表情で成り行きを見守っている。
ヤマトは痛々しい傷跡の消えた右手を彼女たちの前でゆっくりと開閉させ、肘を曲げて腕を捻り、動きを確認する。
傷跡こそ消えたが、ちゃんと治ったのか? 誰もがそう思う中……。
「う……動く。動くぜ! 治ってる……やった……治った! 治ったぞみんな!」
叫び、高々と右手を掲げるヤマト。その声に、緊張の最中にあった太郎丸は、ホッと息を吐いて脱力する。奇しくもヤマトが立っている場所は、彼の腕を破壊したガイランが塵となって消え失せた場所だった。
「はぁ……肩の荷が下りた。某、これほど緊張したのは、初めて戦場に立った九つの時以来だ。寿命が縮んだぞ」
草原に胡坐をかいて座り込む太郎丸。手の平には大量の汗……失敗を恐れる心を気力で捻じ伏せての一閃。だが、もうやりたくはない。いくら悪魔からの傷に効果的だとわかっても、仲間を斬るのは……そう彼が考えていた矢先だ。
「あ、あの……太郎丸さん。お疲れの所、申し訳ないのですけど……」
おずおずと、ノエルが声を掛けてきた――嫌な予感がする。
「わ、私の右手も斬ってくれませんか!? 動くようにはならなくても、せめて傷が見えなくなれば、少しでも無事っぽく見えると思うんです!」
やっぱりか、と呻く太郎丸。この娘もまたヤマトと同じく、少々の事で怖気づくようなタマでは無い。自分が元気そうであればあるほど、作戦の成功率が上がるとなれば、危険を顧みず「斬ってくれ」と言い出すのでは無いかと思っていた。
「だ、だが待たれよノエル殿。ヤマトと違い、お主は女子。その肌に刃を入れるなど、某には……」
「いいから、やって下さい! 失敗しても恨んだりしませんからっ!」
ゴリ押しだ……太郎丸の頬を、一筋の汗が伝う。
失敗しても恨まないと言うが、それはむしろ「斬らなかったら恨むぞ!」という言葉の裏返しにも聞こえる。恨まれずとも、やっぱり女を斬るのは心苦しい……と言いたかった太郎丸だったが、痛みを厭わないノエルの真剣な眼差しに、自らの甘えた言葉を飲み込まされる。
どうやら、やるしか無いようだ。
「仕方あるまい。では、そこへ……」
言いかけた太郎丸の声に被せるようにして、別の声が割り込む。
「でしたら太郎丸様。私もついでに……」
アデリーネが軽くズボンの裾を捲り上げ、包帯の巻かれた自分の脚を指差している。
「あ、悪い太郎丸。俺も足、やって欲しいんだけど……あと、口の中も」
口を開け、折れた歯の辺りを指差すヤマト。
それなら私も、だったらココも……と、次々に上がる声。
えぇい、この者たちは人の気も知らず……! わなわなと拳を震わせて星空を見上げる太郎丸。そして……。
「あいわかった! この太郎丸、全て斬ろう! 男に二言無し!!」
そっちがその気なら、こっちだって覚悟を決めるまでだ。乗り掛かった船、とことん最後まで付き合ってやろう。
こうして治療と呼ぶには些か乱暴な、血で血を洗う荒療治が瞬く星空の下で行われた。
そして今、現在――。
「ぷっ……ははっ!」
「!? ナニが可笑シイ、ヤマト!!」
伝説の剣が眠る部屋の中、悪魔が繰り出す太い尻尾の攻撃を柱を使って回避しながら、ヤマトは笑ってしまった。
「テメェにゃわかんねぇよサークス……いんや、サークスに取り憑いた糞悪魔野郎にはな!」
極限まで気力を振り絞り、目の下に隈まで作って、仲間の為に剣を振るってくれた太郎丸。彼には悪いが、疲れ果て、スダチの膝を枕に寝転がる姿を思い出す度、妙な笑いが込み上げて来る。
「お陰さまで、こちとら絶好調だぜ!」
遠く、悪魔の村で戦っているであろう苦労性の人狼へ届けと、声も限りに叫ぶ。確かにこれでは、サークスには何の事だか分からないだろう。
「何ガ絶好調カ……黙ラセテヤル!!」
真っ赤な尻尾が轟音と共に柱を砕き、ヤマトを狙う。だが少年は、その滑光る尻尾を短剣で薙ぎつつ、ギリギリの所で身をかわす。攻撃の威力もスピードも凄まじい物ではあるが、前に一度、ノーウェイの屋敷で見ている攻撃方法だ。いくらヤマトがレベル5程度の弱小であろうと、何時までも通用すると思われては困る。
サークスと悪魔が繰り出すと思しき攻撃。その全てにおいて、回避の練習くらいはして来ているのだから。
「言ったろ? ワンパターンだ、ってな!」
尻尾を避けて距離を取る……と見せかけて、柱を蹴って真逆へと方向転換。一気にサークスの懐へと滑り込むヤマト。
「もらっ……!」
「ワンパターンナノハ、貴様ダ!!」
動きを読み切ったサークスの、毒々しい魔力の宿る拳がヤマトの左肩を襲う。
岩をも砕く一撃! 飛び退って衝撃は逃がしたものの、攻撃を受けた反動は殺しきれず、小柄な少年の身体は風に舞う木の葉の如く吹き飛ばされた。
「フハハッ! コレデ……カハッ!?」
勝ち誇ってやろうと口を開いたサークス。だが突然、腰を強く引っ張られて舌を噛み、言葉が途切れてしまう。
引っ張られた腰の部分を見れば、何時の間にやら腰のベルトへと引っ掛けられた、フック付きロープ。そしてピンと張ったロープの先端は、殴り飛ばしたヤマトの手中に握られている。
サークスの脳裏に、嫌な予感が過ぎる。まずい、このロープを早く外さないと……!
「もう、遅ぇ!!」
ぐるりと柱に回り込んで踏ん張りを利かせ、思い切りロープを引くヤマト。バランスを崩していたサークスは耐えられずに倒れ込み、ロープに引かれるがまま床の上を滑る。そして倒れた彼の身体が向う先、そこにあるのは部屋へと侵入した時から開け放たれたままになっていた、観音開きの重たい扉。このままでは部屋の外へ放り出されてしまう……サークスがそう思った時だ。
「――! ――――!!」
ヤマトが、聞いた事の無い言語で何かを叫んだ……と思った矢先。重い扉が、ギリギリと錆び付いた音と共に閉じ始めたではないか!
「ドウイウ事……ッ!?」
驚愕に目を見開いたまま、閉まりかけた扉に胴体を挟まれるサークス。身体と一体化した賢者の鎧が魔力を迸らせ、胴を引き千切らんとばかりに締め付ける扉の力を相殺している。
「グッ……! ヌガアァァァァッ!!」
ヤマトの使った言葉は何だ? どうして扉が閉まった?
答えの出ない疑問を脳内に廻らせながら、全力を振り絞って体勢を整えるサークス。両腕と尻尾でもって閉まる扉を押し返し、転がるようにして室内へ。辛うじてその場からの脱出に成功する。
「ゼッ、ハッ……ゼッ、ハッ……ナ、何ナノダ、今ノ言葉ハ……!? ドウシテ扉ガ……!!」
荒い息を吐き、床に突っ伏す。意味がわからない。どうしてヤマトは扉の開閉を操れるのか? 叫んだ言葉の響きはエルフ語に近い物であったが、聞いた事の無い言葉である事に違いは……いや、今は考えている場合では無い。
我に帰り、周囲を見渡すサークス。すると、どこにもヤマトの姿が見当たらない――。
「ドコヘ行ッタ! ヤァマトォ!!」
サークスが叫んだ瞬間、左肩にガツンと重たい衝撃が加わった。
「ここだぜ、サークスッ!」
扉の上部に身を潜めていたヤマトが、飛び降りた勢いそのままに、体重を乗せた短剣の一撃を叩き込んだのだ。
左肩から腋の下へと、垂直に通り過ぎる鋼の刃。賢者の鎧は青白い魔法の火花を散らして衝撃を打ち消そうとしたようだ。しかしヤマトの手に伝わってきた感触は、これまでとは違う。
鎧を砕いて筋肉を切り、骨を断つ……確実にダメージを与えたと確信できる、確かな物!
「ギャアァァァァァッ!?」
耳を覆いたくなるような絶叫が響く。サークスの肩口から真っ黒な体液が噴出し、その左腕が床の上へと落ちた。切断された腕の断面からも真っ黒な体液は勢い良く噴出し、軽く曲がった腕は床の上でクルクルとブーメランのように回転する。
「オ……俺ノ腕……ッ!?」
サークスの、この世の物とは思えない、やつれた髑髏のような表情。その顔が彼の心情、その全てを物語っている。
賢者の鎧を着ているのに、どうして斬られた!? 何の変哲も無い剣で! 一体、何が起こっている……何もかもが、さっぱりわからない!
だが唯一つ、確実にわかる事。
それはレベル32の悪魔憑きが、レベル5の男ただ一人に追い詰められているという事実。
それだけだった。