第五十八話:守りたいもの、守る者(一)
琥珀色の村から遠く、山を越え谷を越え、この界隈で最も大きな街、その盛り場。
『ほろ酔い亭』と看板を掲げる宿の、食堂兼酒場となっている一階フロア。冒険者たちが多く集まるこの場所で、声を張り上げ、強者たちの注目を集める小柄な少女の姿があった。
「悪魔の村、討伐参加者、ただいま絶賛募集中ですーーー!!」
エプロンドレスに栗色の髪。トレードマークたるフライパンこそ持っていないが、威勢の良い声で冒険者を集っているのは他でもない、ヤマトの妹、スダチだった。
声を張り上げる彼女の背後には、厳しい顔で口を引き結び、油断無く冒険者たちの様子を窺う人狼と、目を閉じて静かに佇む、傷だらけの天使。太郎丸とノエルだ。
「この冒険を成功させて、そこの貴方もデーモンスレイヤーを名乗りませんか!? しかも、成功した暁には普通では手に入らない豪華報酬が!」
近くに居る冒険者たちに声を掛けながら、スダチは手元の羊皮紙をヒラヒラと頭上にかざして視線を集める。
「なんと成功報酬は、伝説の武具に纏わる地図! その完全翻訳版ですっ!」
スダチが言った『完全翻訳版の地図』という言葉に、ピクリと反応を返す冒険者たち。背後で彼女を見守っていた太郎丸はこの瞬間、餌に魚が食いついた事を確信する。あとは慎重に釣り上げるだけだ。
「この地図は、私の後ろにいる実力者二人が! かの白銀のサークスが隠し持っていた物を掠め取った、正真正銘の本物! しかも! 誰にも読めなかった暗号や記号を共通語で記し直してある、正に完全版です!」
ぺしぺしっ、と手の甲で羊皮紙を叩くスダチ。酒場に集う冒険者たちの視線は彼女へ釘付けとなっている……より正確に言えば『完全翻訳版の地図』に、だ。
海千山千の冒険者たち。彼らが何故、小娘であるスダチの言動如きに興味を惹かれるか。その原因は、サークスにあった。
以前、サークスが行った伝説の武具探し。その際、彼に同行した冒険者たちは皆、伝説の武具が隠された場所の地図、その写しを報酬の一部として受け取っていた。これで誰もが伝説の武具を手に入れるチャンスが……と思ったのも束の間。地図に描かれた言語は未知の物であり、なおかつ暗号となっていて、誰一人として解読する事が出来なかったのだ。
辛うじて、それらの文字は武具の製作に関わった種族が常用していた物では無いか? との見解は出たものの、それが如何なる種族なのかも判然とせず、それ以降、地図の謎は迷宮入り。宝の地図は単なる紙切れと化した。
その際、冒険者たちは思った。もしやサークスは、自分たちに偽物を掴ませたのでは? あるいは謎を解読済みの地図を既に持っているのではないか。だから他人へ気安く地図の写しを渡す事が出来たのでは……?
その為、彼らはスダチの発言に興味を示し、それぞれの思惑を交錯させているのだ。
「だがね、お嬢ちゃん。その地図が本物で、内容が正しいって事を証明できるヤツはいるのかい?」
冒険者の一人、年配の戦士が揺さぶりをかける。青二才のスダチから、少しでも情報を引き出してやろうとしているのだ。しかし……。
「はい。私の後ろに居る二人が、そう言っています。二人とも白銀のサークスとはパーティーを組んでいたメンバーなのはご存知ですよね? これ以上の証拠は無いと思います」
最初、所詮は子供とスダチを見下し、バカにしたような薄笑いを浮かべていた年配の戦士。しかし澱みなくスラスラと、台本を読むかのように答えたスダチに周囲が「ほう」と感嘆の息を漏らす頃、彼の表情から笑みは消えていた。
「元、パーティーメンバーか……」
口々に呟く冒険者たち。スダチの質疑応答を受け、参加を迷う冒険者たちの注目は、自然と彼女の背後に佇む二人……太郎丸とノエルに集まる。
人狼と天使はその視線を受けると、口を開かぬまま、ゆっくりと頷く。「その通りだ」と、肯定の意を返しているのだ。
悠然と、落ち着き払った態度の二人……だが、実のところは全くの逆だ。今行っているスダチの発言――その半分以上が嘘である為に、内心では薄氷を渡るような不安な気分に苛まれ続けている。
「ほぅ、なるほどねぇ。ところでその……巷じゃノエルちゃんはサークス率いる悪魔どもに捕まった、とかいう噂が流れてんだが……その辺りは? もしかして、地図も、その時に?」
さっきとは別の冒険者が、違う角度から切り込んで来た。
ノエルの件については、みんな気になってはいたが聞き辛かった内容である。他の者にしてみれば、よくぞそれを聞いてくれた! といった所だろう。
少々不躾な質問ではあったが、ノエルは慌てる様子も見せず一歩前に踏み出し、表情一つ変えずに返す。
「ええ……ご存知の方もいらっしゃると思いますが、つい最近まで私は悪魔の村に囚われておりました」
ざわつく冒険者たち。やはり、あの噂は事実だったのかと互いに囁きあう。
「色々と酷い目には合いましたが……そう簡単には、やられたりしません。それほど大きな怪我も無く、ご覧の通りです」
軽く小首を傾げて手を広げ、健在をアピールするノエル。しかし、その額には薄く脂汗が滲む。
人々の信頼を力とする天使。その信頼が、またぐんと下降した事をノエルは全身で感じていた。
傷付いた天使の姿――長かった金髪はベリーショートと呼べる程にまで短くなり、左眼から眉にかけて大きな傷跡が残っている。天使の象徴とも言うべき頭上の光輪は消え去り、翼も未だ羽が生え揃っておらず、小さくみすぼらしい。助け出された直後とは比べ物にならない程にまで回復した彼女ではあったが、その状況を知らぬ者からしてみれば、大変な変化だ。
彼女のそんな姿に、冒険者たちは確信を得たのだ。ノエルが悪魔たちに囚われ、嬲り者になったという噂が真実であると。それは噂を信じていなかった者たちにも、避け様の無い現実として突きつけられる。
「地図については、お察しの通り。悪魔の村から脱出の際、手間賃として頂きました……ま、戦利品です」
ノエルの胸が痛む。打ち合わせ通りの発言とはいえ、大半は嘘八百。悪魔から自分を助けてくれたのも地図の謎を解いたのも、太郎丸とアデリーネの二人だ。それを、さも自分がやってやったぞとばかりに嘯いて……。だが、目的達成の為に必要な事だ。ちっぽけな自分のプライドなど、それこそ悪魔にでもくれてやる!
「地図の真贋についての判断は、皆さんにお任せします。でも、これを見れば少しは信じて貰えるんじゃないでしょうか……スダチちゃん、あれを」
ノエルに促され、スダチが取り出した物……それは金色に輝く立派な手甲。ガイランが使っていた『幻魔の爪』だ。
「きっと完全版の地図を使って手に入れたのでしょうね。悪魔の一人が装備していた、伝説の武具です……倒して回収しました。破損しているのは、そのせいです。魔法を使える方でしたらこれが本物かどうか、ある程度ご判断して頂けるかと」
ざわつく冒険者たち。『幻魔の爪』の登場により、本当に悪魔を倒して地図を奪い取ったのかと、ノエルが語る話の信憑性が高まっているようだ。
無論、事実は大きく異なるのだが。
「それではっ! 皆さん考える時間が必要なご様子。今日は一旦お開きにします~! 明日、また同じ募集をかけます。推奨合計レベルは50以上! 目的地までの旅費等は……」
ざわめきがひと段落した頃合を見計らったスダチが解散を告げて、その場はお開きとなった。
それぞれがパーティーごとに集い相談を始める冒険者たち。彼らを尻目に、スダチたち三人は早々と二階の自室へと引き上げた。
軋む階段を上って木製のドアを開き、まるで怯える小動物のような動きでそそくさと部屋へと入り、厳重に鍵を掛けて廊下の様子に聞き耳を立てて、誰も居ない事が確認されてから――スダチが、大きく息を吐き出した。
「ぷっふぁ~! 緊張したあぁ~!」
脱力して、ベッドへと突っ伏すスダチ。作戦の鍵を握る重要な役割を果たした幼い少女の足は、今頃になって震え出していた。
「堂々たる見事な演説であった。良くやったぞ、スダチ殿」
未だ緊張に強張ったままの小さな背中に手を置いて、今回の立役者を労う太郎丸。
アデリーネの立てた作戦――自分たち以外の冒険者を雇い、悪魔の村を襲撃する――これを果たす上で、スダチの働きは無くてはならない物だった。
ごく一部の例外を除き、冒険者は同じ冒険者に対して仕事依頼を出す事ができない。これは様々な不正を未然に防ぐ意味があるのだが、そうなると既に冒険者として実績のある太郎丸やノエルは依頼人になれない。そこでスダチの出番となったわけだ。
これが普通の仕事依頼であれば、それほど緊張をする必要は無い。だが今回は違う。
スダチの家からほろ酔い亭までの移動期間で、募集内容や、冒険者たちから質問されそうな内容を予想し、しっかりと打ち合わせた。それから何度も受け答えの練習を積んで、万全の体制を整える。だが、いくら練習を積んだとしても相手は経験豊富な冒険者たち。何を言い出すかわかった物ではない。
そんな大人たちを相手に、嘘のストーリーをバックとした依頼の提示。幼いスダチにとっては、かなりの負担であった事だろう。
「あの様子ならば明日には十分な人数が集まる。スダチ殿のお陰だ……本当に良くやってくれた。ノエル殿もそう思うであろう?」
話を振ろうと首を廻らせる太郎丸。すると、入り口横の壁にもたれ掛って荒い息を付くノエルの姿が映った。化粧で誤魔化してはいるが、元々白い肌から血の気が失せて蒼白となり、まるで死人のような顔だ。そこから多量の汗が滲み出しては、次々と光子になって消えて行く。
「ノエル殿……!」
「だ、大丈夫です、太郎丸さん。少し疲れただけですから」
差し出された太郎丸の手を避け、近くの椅子へ倒れるように座り込み、ノエルはそう言って顔を伏せた。とてもではないが「少し疲れているだけ」では無いだろう。
先程、階下で行った冒険者たちとのやり取りによって、聖女ノエルに対して憧れや畏敬の念を抱いていた者たちの信仰を失ってしまった彼女。その為に、立っている事が出来ない程にまで消耗しているのだ。
そしてノエル不調の原因は、それだけでは無い。
無意識に避けた、太郎丸の手……男性への、恐怖。悪魔の村で受けた陵辱は、確実に彼女の心を蝕んでいる。
「ノエルお姉ちゃん、無理しないでね?」
飲み物を注いでくれるスダチへ軽く顔を上げて微笑みを返し、ノエルは椅子へ身体を預ける。
ついさっき、スダチの演説中……ノエルは、一刻も早くその場から離れたいとの思いに駆られていた。
途中、自分へと冒険者たちの注目が集まった時など、危うく泣き喚いて逃げ出す所だった。怖かったのだ。男たちに囲まれている状況が……彼らの視線そのものが。
家族同然で気心の知れたスダチと、頼れる仲間である太郎丸。二人に支えられてどうにか凌いだものの、他者から信頼を受け取る事で力を発揮する天使が負った「他者へ対する恐怖」という心の傷は、非常に根深い。身体の傷は癒えたとしても、こればかりは長い期間……あるいは一生、癒える事は無いだろう。
悪魔の村への襲撃を控えた今。いくら傷が回復したところで、こんな状態では悪魔への攻撃はおろか味方の回復も出来ない。同行したとしても、何の役にも立てないだろう。
だが、それで構わない。
今回、彼女の役割は攻撃でも回復でも無い。少しでも多くの冒険者たちに、悪魔と戦う気になってもらう事だ。
自分が悪魔に嬲られたとの噂が真実であると認めて地図の信憑性を高め、成功報酬を少しでも魅力的に見せる。その上で自らの健在を示し、冒険者たちに悪魔など大した敵では無いと思わせる。更には「悪魔どもめ、ノエルの敵討ちだ!」と思ってくれる人が何人かでもいれば……。
「……そんな顔しないで、二人とも。みんなが想ってくれてる限りは私、大丈夫だから。死んだりしないよ」
心配そうに顔を覗きこむ二人へ、笑顔を見せる天使。だがその姿は酷く痛々しい。冒険者たちを利用して、悪魔にけしかけ倒してやろうと策を弄する……その行為自体が、清廉潔白を由とする天使の衰弱を更に加速させている。
だが、そんな事は百も承知。アデリーネとスミ、そしてヤマトが今挑んでいる事に比べれば、この程度は小指の先で弾いて飛ばす程度の物。
「ええ、死ぬもんですか。こう見えても私、レベル20なんですよ? レベル4のヤマトが頑張ってるのに、私がへこたれてちゃ……!」
額の汗を拭い、強がるノエル。そんな彼女の言葉に、太郎丸は首を傾げる。
「ん? レベル……4? もしやノエル殿、奴から何も聞いておらぬのか?」
「……? な、何がでしょう?」
キョトンとした天使の娘へ、人狼は意外そうな表情を返す。そして少し考えた後、腑に落ちた様子で腕を組み直し、若干声のトーンを落した優しい声で囁くように告げた。
「ヤマトはもうレベル4では無い。エルフの隠里を開放した功績により、冒険者管理組合よりレベル5に認定された……しばらく前の事だ」
「……!」
目を丸くして太郎丸の顔を見返すノエル。
「本来ならば、本人の口から直接語らせてやりたかったが……まぁ、頃合だ。これで、少しは元気が出たかな?」
「……ええ、ありがとうございます。そうですか、ヤマトが……」
太郎丸の声に、ゆっくりと頷くノエル。言葉通り、苦しそうだった彼女の表情も少しだけ穏やかなものへと変わっている。
万年レベル4だったヤマト。ここ何年もずっとレベルアップから遠ざかっていた彼が、自分の知らない僅か半年程の間に成長を遂げていた。
どこかで、変わらないと思い込んでいた。だが違うのだ。ヤマトは少しずつではあるが、変わって行く……成長して行く。どうにも目が離せない危なっかしい男の子から、頼れる男へと――。
「男子三日会わざれば刮目して見よ、と言う。次に会うた時には、また一つ二つ、レベルが上がっているやもしれぬな」
「そしたら、みんなでお祝いだね。お兄ちゃんに内緒で準備しておこうよ!」
太郎丸の言葉に、スダチが嬉しそうな声を重ねる。
みんなでお祝い。なんて素敵な言葉だろう? 暖かな暖炉を囲んで喜びの歌を歌い、少し贅沢をして美味しいものを食べながら、楽しく夜を明かすのだ。
「そうですね、必ず……みんなで!」
新しい目標ができた。楽しい未来の目標だ。今がどんなに苦しくても、それを目指して一歩一歩、確実に前へ進んで行こう。
それこそがきっと、成長するという事なのだから。