第五十七話:いい女!(五)
身体が、崩れて行く。
悪魔の力を得て、元の何倍にも強化されたカラダ。地を蹴れば遥か山の彼方が見る間に迫り、腕を振るえば木々が乾いたパンのように砕けて散る。そんな夢のようなカラダが、真っ黒く、濡れた炭のように脆くなり、動くたびグズグズになって崩れて行く。
「ヤラれちまったなぁ……くっそ、くっそぉ……」
地面に跪き、天を仰ぐバラ。だが跪くと言っても彼の下半身は既に崩れ落ちて失われ、上半身も両の腕は既に無く、頭だけでバランスを取っているような状態だ。
「ま……いいか。アデりんにだったら」
皺だらけとなり、痩せた歯茎から抜け落ちる歯、白い鬣。
バラの寿命は尽きた。そして、彼に取り憑いていた悪魔の寿命もまた尽きた。エルフと、琥珀色の村全員が出しあった命の総量が、バラと悪魔のそれを上回ったのだ。
「ねぇ、アデりん……さっき、言い残す事あるか? とか言ってたよねぇ」
「ええ、私で良ければ。何でもお伺いします」
滅びの時間が封入された朽木の矢を手に、年老いたバラとの距離を狭めるアデリーネ。彼女は、自分自身の行動が今ひとつ、良くわからなかった。
何故、こんな事をしているのだろう? 悪魔に魂を売り渡し、ノエルを嬲り、大事な宝物を壊した憎い相手の遺言を聞いてやろうだなんて。精々、呪詛の一つでも言い残すが関の山だと知れているのに。
「言い残す事は別に無いんだけどさぁ。アデりん、最後に……俺に、ちゅうしておくれよ」
「……ちゅう、ですか?」
問い返したアデリーネに、バラはニヤリと笑って頷いた。その動作だけで身体が崩れ、太い首の一部が欠け、耳の片方がもげる。
ちゅう……キスしてくれとは、どういうつもりなのだろう? 自分を近くに呼び寄せて、何かするつもりだろうか? だが、バラにそんな余力はとても無いように見える。そもそも今、こうして話をしている事自体が信じられないというのに。
「俺……さっきから言ってるけどさ。アデリーネちゃんの事、好きなんだ。初めて見た時から……一目惚れなんだよね」
喋るたび、黒い塵となって崩れて行くバラ。
「種族は違うし、アデリーネちゃんが別の野郎を好きな事もすぐ気付いたけど……なんつうの? ビビッと来た、みたいな……運命感じたんだ」
掠れる声。もう間近に居なければ、彼の声を聞き取る事は出来ない。
「だからだよ。鎧を探しに行った谷の底で死に掛けた時……悪魔の野郎に、魂売った。もう一回、アデリーネちゃんに会いたくて……一目で良いからって思ってさぁ。そしたらもう、後はワケわかんなくて……俺、めっちゃ強くて、何をするのも気持ち良くて。でも何かする度に魂が端から食われてって……けど……アデリーネちゃん、キミの事だけは…………」
そこで、バラの言葉が途切れる。
彼の口を塞ぐ、柔らかな唇。太い首に回した細い腕と、青みがかった銀髪からも伝わる温もり。崩れ行く身体に負担とならないよう、優しく、そっとアデリーネは口付ける。
「……私などで、良かったのですか?」
ゆっくりと唇を離し、目を合わせてバラへと問いかけた。彼の目はもう赤くは無く、腐った苺のような色……きっと見えてはいないだろう。だが彼はアデリーネを見つめ返し、ニッと笑って言ったのだ。
「ああ、キミは最高にイイ女だよ」
そして馬の獣人は、粉々になって崩れ落ちた。塵のようになって地に積もった身体は、波に晒された砂山のように、音も無く虚空へと消えて行く。
「ごめんなさい……」
そして、ありがとう。呟いたアデリーネの言葉は、果たして届いただろうか?
「姉ちゃん! やったのか!? 怪我ぁして無いか!?」
駆け寄ってくる多くの足音。静かになった村の様子を伺いにやって来た、スミと村の人たちだ。
アデリーネは彼らへ片手を挙げて応え、微笑んで見せる。
「や、やったーーー! 悪魔、やっつけたぞーーー!!」
湧き上がる歓声。盛り上がる人々。互いに抱き合い、手を取り合って喜びを分かち合う。弓を手に戦闘へ参加し、額に汗して罠を作り、自らの寿命を削って手にした勝利だ。喜びも一入だろう。
「祭りだ! 祭りの準備だ!」
「今日を戦勝記念日にしよう、なぁ村長! そうしようぜ!」
少し無理をして笑顔を作っていたアデリーネも、悪魔撃退の報に湧く村を目にし、安堵を覚え、そっと息を吐く。
これで良かったのだろうか? うん、これで良かったのだ。
自問自答を繰り返しながら、少しだけ歳を取ったエルフは指笛と喝采、そして歓喜の涙が溢れる空間へと足を踏み出す。
私は上手くできました。そちらはどうですか? 後で私たちも、この村のように楽しく騒ぎたいですね――。
アデリーネは、村人からもたらされる感謝の言葉を全身に受けながら、遠い空へと願いを解き放つ。
悲しみの無い、明るい未来を夢見ながら。