第五十三話:いい女!(一)
朝靄が森の枝葉を濡らす静寂の中、ざくざくと土を掘り返す音が繰り返される。
朽ちた古木の洞の中、ひたすら土を掻く銀髪の娘。枯葉が折り重なる湿った腐葉土は見た目よりもずっと柔らかく、素手でも簡単に掘り起こす事が出来た。
やがて土中から現れた、油紙で幾重にも包み隠された代物。一抱えほどもあるそれは結構な重量物にも思えたが、掘り返し、抱え上げると思いの他、軽い。エルフの細腕であっても余裕を持って持ち上げる事が出来た。
「アデリ姉ちゃん、それが言ってたヤツ? お宝ゲットなのか?」
背後に控える赤毛の少女が、興味深そうに覗き込んで来る。
「はい、スミさん。これで目標達成です」
中身を軽く確認したアデリーネが振り返って微笑むと、赤毛の少女ことスミは「やったな!」と親指を立てて嬉しそうに笑った。その屈託の無い笑顔に、アデリーネの気持ちも自然と明るくなる。
「んじゃ、次だな。えっと、こっから近いのは……」
スミが丸められた羊皮紙を広げ、現在地を指差す。
ここは森深いエルフの隠里。かつてヤマトと太郎丸、そしてアデリーネの三人で訪れ、シルフと戦った場所。アデリーネはスミと二人、この場所へ伝説の武具を回収しにやって来ていた。
「ずう~っと上の方にある、川の……」
「いいえ、スミさん。次の目的地はもう決まっております。先を急ぎましょう」
掘り出した物をしっかりと背負子に縛り付け、一分一秒を惜しむようにして立ち上がるアデリーネ。そんな彼女の様子にスミは首を捻る。
「へ? 次、一番近くの隠し場所じゃないのか? だったら、そんなに急いでも意味無くないか?」
「そうですね……スミさん、この前お話した事を覚えておいでですか? ヤマト様のお家でみんなと相談して決めた、これからについての話です」
「うん、覚えてる! アレだろ? ノエル姉ちゃんが目ぇ覚まして、銀鎧のニイちゃんが悪魔で、なんとかで……っていう」
スミの言葉に頷いて返すアデリーネ。
一週間ほど前。生気を取り戻したノエルは自分たちに、数々の貴重な情報をもたらしてくれた。中でも驚かされたのは、今サークスに憑いている悪魔は、ノーウェイに憑いていた悪魔と同一である、という話であった。
天使と同じく、何度滅ぼされようと現世へと舞い戻る悪魔たち。だがサークスに憑く悪魔のそれは、あまりにも早過ぎる。故に信じ難い事ではあったが、ノエルの話を総合すると同一固体である可能性が高く、少なくともその意思を受け継いでいる、との結論に至ったのだ。
「んで、えっと……その悪魔、前に糞チビへ『絶対コロス!』って言って死んだから、きっとヤマト狙ってくる。あと悪魔に憑かれてる銀鎧のニィちゃんが『伝説の武器探したい』って言ってたから、それも探そうとするはず……だろ?」
「そうですね、良く覚えてらっしゃいました」
アデリーネに褒められ、満足そうに鼻を鳴らすスミ。
大人同士の会話を端で聞き、ここまで理解したのだろうか? だとすればこのスミという娘、外見から受ける印象よりも随分頭が良いようだ。こっそりと感心しながら、アデリーネは言葉を続ける。
「仰るとおり、サークスに憑いた悪魔はヤマト様の命を狙うか、伝説の武具を探そうとしているはず。そしておそらくは、ヤマト様の命など何時でも奪えると軽んじて、我々より先に伝説の武具を手に入れるべく行動しているでしょう」
「んだから、アイツより先に伝説装備盗っちゃえ! って作戦だよな? だからソレ、掘り返したんだろ?」
アデリーネが背負う包みを指差すスミ。いともあっさり掘り出してしまった為に有難味が薄いが、包みの外からでも感じられる一種異様な魔力の波動……そしてアデリーネが手に入れていた情報との合致。その包みの中身こそ伝説に名を残す武具である事に、ほぼ間違いは無いだろう。
「じゃあ、やっぱり次だろ? 場所もわかってんだし、サクサク行こうぜ」
地図を確認するスミ。今の彼らは伝説の武具、その名前や性能、そして隠し場所の詳細に至るまで、何もかも全てを把握していた。
どうやってそのを知り得たか? アデリーネの功績が大きいそれら詳細については後述する事にして、今はともかく、アデリーネはスミの言葉に首を横に振って応える。
「どうしてだ、アデリ姉ちゃん?」
「普通でしたらスミさんの仰った案でよろしいのですが……実は私、少しだけウソをついておりました。というよりも、ある可能性について、黙っていたのです」
手に入れた伝説の武具を背負い、歩き出すアデリーネ。彼女の背中で縛られた包みがカシャカシャと音を立てている。
「現在サークスに憑いている悪魔が、以前、お屋敷で滅ぼされる際の断末魔、それは……」
「だんまつま?」
「簡単に申しますと、悪魔が死ぬ際の負け惜しみですね。その負け惜しみは、屋敷の隅へ隠れ潜んでいた私にまで聞こえてきました。かの悪魔は、こう言っていたのです。『ヤマト、お前だけは何千、何億回生まれ変わろうとも見つけ出し、最高の屈辱と絶望を与えて、必ず殺す』と」
アデリーネの後ろに続きながら、軽く顔をしかめて自らを抱くスミ。ボロボロ状態のヤマトを最初に発見しているだけに、悪魔が残した妄執を肌身で感じているのだろう。
「悪魔はその言葉通り、心身ともにヤマト様を痛めつけ、ノエル様さえも毒牙に掛けました。ヤマト様へ最高の絶望と屈辱を与えているのです。さらには執拗にノエル様を追い、ヤマト様のご実家に現れた大蜘蛛とガイラン……ですがあれは本当に、ノエル様を追っての事だったでしょうか?」
歩くペースを上げるアデリーネ。早歩き程度の速度であればスミが無理なく追従できる事は、ここ数日の行程で実証済みだ。
「もしやあれは別の目的があって訪れた場所に、偶然ノエル様が居合わせただけでは無いかと、私は思うのです」
「じゃあ、狙われてたの……スダチか?」
スミの言葉に、アデリーネは軽い驚きを覚える。今の話だけで、私の言いたい事を理解したというのだろうか? だとしたら、この歳で本当に大した物だ。学習の機会さえあれば、あるいは……いや、それを考えるのは全員が無事で戻ってからだ。
「糞チビの妹だから? ヤマトを苦しめる為に?」
「はい、おそらくは。聞けばガイランは、ヤマト様の仲間全員を生け捕りにしようと考えていたようですから」
ヤマトの協力者全員を連れて来いと厳命されている――ノエルが聞いた、ガイランの言葉だ。
「彼らはヤマト様を苦しめる為、近親者や友人を片っ端から襲うつもりではないかと、私は考えています」
そこまで話が進んだ時、スミの足が止まった。彼女の顔から笑顔と顔色が失せる。
「じゃ、じゃあ……ウチの村も――」
スミの心から不安が勢い良く湧き出し始める。琥珀色の村――大好きな祖父の顔や、仲の良い友人。そしてヤマトと名付けた山猫の姿が、血塗れで横たわっていたヤマトの姿に重なって見える。
「大丈夫です、スミさん。ガイランの発言から、彼らはヤマト様の行方を掴んでいなかった事がわかっています。つまり悪魔たちは、スミさんの村がヤマト様を助ていたとは知らないはずです」
不安に震えるスミにしゃがんで目線を合わせ、落ち着いた声で宥めようと努めるアデリーネ。だが慰めの言葉だけで渡り行ける程、甘い世界に生きているわけでもない。子供だから安全が保障されるわけでもない。
否応無く厳しい現実との最前線に立たされているであろうスミと正面から向かい合い、肩に手を置いて、しっかりとした口調で語る。
「今は大丈夫……ですが、やがて知れるでしょう。というよりもサークスが村の存在を知る以上、既にターゲットとなっている可能性は十分にあります」
だからこそ急ぐのです、とアデリーネは語る。琥珀色の村へ先回りして準備を整え、やがて来るであろう悪魔を迎撃する。敵と戦うのだ!
幸いにもサークス本人以外、彼の周囲で村へ訪れた経験のある者は居らず、地理に関して不案内だ。しかも悪魔である彼らに馬車など公共の乗り物は使い辛く、歩き易く整備された街道を行く事も憚られるだろう。
「今からでも、先回りは十分に可能です」
「じゃ、じゃあ糞チビたちにも教えて、みんなで……」
「いいえ、それは出来ません」
泣きそうになっているスミの口元に指をひとつ当て、アデリーネは首を横へ振る。
「いまヤマト様は、サークスを倒す千載一遇の好機に恵まれて……簡単に言うと、凄いチャンスを得ているのです。ですがもしも彼がスミさんの村が狙われている事を知れば、きっとそのチャンスを捨て、村の安全を優先させようとするでしょう」
若干、声のトーンを落すアデリーネ。別に意識したわけでは無い。スミの心情を思うと、自然にそうなってしまった。ヤマトの為、貴女の村を危険に晒します。今の彼女はスミに……ヤマトの事が大好きな女の子に、そう伝えているのだ。村かヤマトか、どちらかを選べ、と。
「スミさんのお気持ちは十分に理解できます。ですから私が、全身全霊を持って村を守ります。先程手に入れた伝説の武具は、その為に得たのです」
言葉を紡ぎ、なんとかスミの理解を得ようと心を砕くアデリーネ。彼女の考える作戦にはスミの協力が必要不可欠だ。それどころか、もしも彼女がヤマトに話を伝えようと考えたなら、アデリーネはそれを全力で阻止しなければならない。なんとしてでも。
「ヤマト様や太郎丸様、そしてノエル様に比べ、私では頼りにはならないと感じられるでしょう。わた……むぐっ!?」
アデリーネの言葉が遮られる。スミの小さな手で口を塞がれてしまったのだ。ムグムグと声を詰まらせるエルフに、赤毛の少女はいつもの、屈託の無い笑顔を見せて言い放つ。
「わかった! んじゃあ二人で悪いヤツぶっ倒してやろうぜ!」
「スミさん……!」
ぜんはいそげだ! と拳を突き出し、コーヒーの香り漂う村を目指して元気良く走り出すスミ。アデリーネも自らの考えが杞憂に終わった事に胸を撫で下ろし、腰を上げる。
「んでも、こっそりやっつけちまったら糞チビに自慢できないな」
山道を身軽に走り抜けながら、少し残念そうに呟くスミ。そんな彼女に追いついたアデリーネが、何かの秘訣でも伝授するかの如き密やかさで答える。
「それで良いのですよスミさん。イイ女には秘密が付き物なのですから」
言って、意味有り気に微笑んでみせるアデリーネ。
「そんなモンか?」
「ええ、そんなモノです」
女二人、目指すは琥珀色の村。