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第五十話:きみがいるから(四)

 突如訪れる静寂。

 雨も、風も、何もかもが動きを止め……その中には、胸に穴を穿たれたガイランも含まれている。

 深い黒と赤の毛皮を持つ虎の獣人は、両手を交差させたままの姿で立ち竦み……やがて胸の穴から炎に焼かれたかの如く、硬く脆い炭と化し、ボロボロにひび割れ、崩れて行く。


「や……ったぁ……!」


 それを見届け、膝を折るノエル。やった! と叫んだつもりだったが、声は枯れ、漏れたのは吐息のみ。抜けた息と共に力も抜け、そのまま濡れた草の中へと倒れた彼女は、静かに目を閉じる。

 どのみち、最後の瞬間には目など殆ど見えてはいなかった。瞼も失われている今、目を閉じたというよりも、目が見えなくなった……といった方が正しいだろう。

 何も聞こえず、何も感じない。降っているはずの雨の冷たさも、切り刻まれた体の痛みさえも。

 そしてズッシリと重かった身体が、ふわりと綿毛の如く軽くなる。


(これが、死ぬって事なのかな)


 凪の水面に浮かぶ木の葉の如く静かな空間に漂いながら、死を間近に感じるノエル。

 絶対的な防御能力を持ち、この世で起る大半の出来事に対抗できる力を持つ天使にとって、死とは概念的な物に過ぎない。神より与えられた使命を全うした時、身体は光となり、魂は天へと帰る……それが天使にとっての終着点であり、生物としての死だ。


(でも私、神様になんて言われて地上に来たか覚えてないんだよね。このまま普通に死んで神様の所へ帰ったら、相当怒られちゃうだろうなぁ……)


 神の命に背いた天使の魂は、粉々に分解されて新たな世界の礎になるという。それが一体どういった事なのか、どういう意味を持つのか? 全ては神のみぞ知る事だ。


(よくわからないけど、そうなっちゃったら嫌だな……)


 せっかくヤマトと再開できたのに。神様の所へ帰ってしまったら話も出来ない。さらに魂まで失えば、雲の隙間から地上の様子を垣間見る事さえ出来なくなってしまう。魂が廻り廻るこの世界において、魂の消失とは真の意味で訪れる永劫の別れ。けれど、それも仕方が無いと思える。


(スダチちゃん助けたかったし……悪魔もやっつけたし。チラッとだけど、ヤマトにも会えたし……私は死んじゃうみたいだけど、頑張った甲斐があったよ)


 ノエルは全力を振り絞った。命を燃やし、力とした。

 通常、他人から力を受け取る事でしか能力を発揮できない天使が、自らの内から出でる力で他者を守ったのだ。これは他人の意思の具現者でしかなかった天使にとって、非常に大きな一歩であり革命的な出来事だ。

 しかしそれは神の庇護下から離れ、自らの道を歩み出したのと同等の意味を持つ。神の僕たる天使が自ら楔を断ち切ったのだから、神への背信行為と言われてしまっても仕方ないだろう。


(もしも……運良くもう一回生まれ変われたら何が良いかな?)


 小首を傾げるノエル。


(そうだな……ネコとか、結構良いかも)


 ネコに生まれ変わったら、ヤマトの家へ行こう。

 いきなり行っても飼ってはくれないだろうが、優しい彼の事だ。戸口の前で鳴いていれば「しょうがねぇな」とか言いながら家に入れてくれるだろう。そしてスダチが絞りたてのミルクを温めて出してくれて、お腹一杯になった私は大きく伸びをする。ネコじゃらしで遊んで、柱を引っ掻いて、いい加減疲れたらヤマトの膝の上に乗って丸くなり、安らかに眠るのだ。


(うん、良いかも。きっと幸せな一生を送れると思う)


 ゆっくりと、ノエルの周囲が輝き始める。静かだった水面から光が沸き立ち、空へと続く道を形作る。今こそ、地上と別れの時。

 翼も、天使の光輪も失われたままのノエルだったが、羽毛が風に乗るかの如く、舞い上がる光に乗って身体が浮かび上がる。

 久々の空を飛ぶ感覚に、ノエルの心は躍った。このまま天高く登り、神の下へ――。


(……痛っ!)


 唐突に、右手が痛んだ。悪魔によってボロボロにされた右手……その手を、誰かが掴んでいる。


(もうっ! ちょっと何するの? 離してくれないと飛べないよ。空の上へ行けないじゃない)


 口を尖らせて掴む手を振り解こうとしたノエルだったが、どうやら相手は離す気など毛頭無いようだ。離すものかと、強い意志さえ感じる。


(痛い……痛いよ。そんなに強くされたら……っ!)


 痛みを訴えるノエルに、掴む手の持ち主は乱暴で粗野な意思を返してくる。

 知るか! 我慢しろ! 泣き言なら後で聞いてやる! だから頑張れ、まだ行くな!


(行くな、って言われても……)


 もう時間なのだ。早く行かないと、空への門が閉まってしまう。それに……。


(地上に残っても私、もうあの人の側には居られないよ。色々ヨゴれちゃったし……ほら見て、体中酷い事になってる。そんな女の子、近くでウロウロされたら嫌でしょ? あの人は優しいから何も言わないかもしれないけど、嫌がられてるかもって思うと……私だって辛いよ)


 少しだけ、手を掴む力が弱まった。だが、すぐさま先よりも力強さを増してノエルの手を掴み、地上へと引き寄せて怒鳴りつける。

 ワガママ言うな! ごちゃごちゃ言ってねぇで、嫌でも何でもココに居ろ! 勝手にどっか行くなんて、俺が許さねぇぞ!!


(えぇ!? もう、どっちが我侭なのよ……)


 だが彼がそう言うのなら……側に居ろと言ってくれるなら、少々辛かろうが地上へ残ろう。自分だって本心ではそれを望んでいる。

 けれどもう、本当に無理なのだ。

 力尽きた悪魔が塵と化すように、限界を迎えたノエルの身体は光の粒子と化し、空に上って行く。掴まれている手だって、ほとんど消えてしまい残っていない。魂もやがて同じ道を辿るだろう。

 きっとこれが悪魔に穢され、人々に見放された天使の運命なのだ。


(ゴメンね……)


 諦めんな! 頑張れ!! 死ぬんじゃねぇ!!

 魂に響く声。

 もしお前が神とやらに捨てられたとしても、俺が絶対拾ってやる! この世の誰もがお前を嫌ったとしても、俺が愛してる!! 俺だけはお前を愛してる!! だから俺を信じろ! 俺を信じて、戻って来い!! 戻って来てくれ……!


「……頼む!」


 雨に濡れた草原で、自らの傷も省みず横たわるノエルの手を取り、声を掛け続けるヤマト。

 既にノエルの身体は、半分以上が光の粒子となって虚空へと消えていた。残っているのはヤマトが握る右手と、上半身だけ。それだってボロボロで、端から順に次々へと光に変換されて消えて行く。

 心臓の鼓動は止まり、呼吸もしていない。人工呼吸は既に試した。心臓マッサージは……ついさっき心臓が光になって消えてしまい、出来なくなった。どんどん削れ、軽くなって行くノエルの身体。


「畜生……!」


 もう駄目なのか?


「諦めねぇぞ……俺は諦めねぇ!」


 手は尽くした。


「まだだ! まだ、何かある筈だ!」


 もう無理だ。


「無理じゃねぇ!! 無理じゃ……」


(ん、無理かもね……)


 独り、深い絶望と戦うヤマトの耳に……声が、聞こえた。


(無理かもしれないし、駄目かもしれない。でも、やってやるんでしょ? 前から良く言ってたじゃない)


 その声がどこから聞こえたのか、ヤマトにはわからない。だが、はっきりと聞こえる。この声は……!


(だったら頑張って! 貴方なら出来る。貴方が起こしてくれるって私、信じてるから。信じて待ってるから……頑張って、ヤマト!!)


 慌ててノエルの顔を見るヤマト。だが相変わらず包帯が巻かれたままの、血色の悪い死人のような顔だ。

 空耳か? いや、空耳だって構わない。ノエルが俺を信じて待ってるって言うのなら……!


「俺は諦めねぇ!! やってやる……やってやらぁ! 見てろよ、ノエル!!」


 ノエルの身体を抱きなおすヤマト。最後の瞬間まで足掻き続けるだけの気力が、少年の全身に漲る。

 だが彼の意思とは関わり無く、相変わらず消滅を続けるノエルの身体。既に左半身は殆ど消え失せ、下半身も腹の辺りまで消滅が進んでいる。だが何故か右半身と頭部だけは、あまり消滅が進んでいない。

 どうして? その答えは直感的に導き出された。


「俺が触ってるからだ……!」


 ヤマトが握る右手。そして抱き上げようと頭を支える左手。その他、自分の身体と触れている部分は消滅が遅い! それに気付いたヤマトは迷う事無くノエルの身体を胸に抱きしめた。小柄な彼であっても、その両手で十分に抱えられる程にまでノエルの身体は削れてしまっていたが、そんな彼女の小さな上半身を、ヤマトは優しく、ありったけの愛でもって包み込む。

 すると……。


「消滅が……止まった!」


 完全にストップはしていないものの、それでも消える速度は随分遅くなっている気がする。安心するには早過ぎるが、さっきよりはマシだ。今のうちに、何か手を考えなければ!

 血眼で周囲に視線を走らせるヤマト……と、辺りを見るうちに気がついた。妙に自分の周りだけが明るいのだ。最初は消えかけたノエルが光っているのだと思ったが、どうやら違う。


「な、なんだ? 光が、漂って……?」


 光となって消えるノエル。彼女の身体から剥れた光の粒は、しばらく空を漂った後に力を無くして何処へかと消えて行く。だが何故か、その光の粒たちは消える事なくヤマトの周囲を漂っている。それどころか消えていた光が、一つ、また一つと虚空より現れ、ヤマトの周りに集まり始めていた。

 それはまるで行き場を無くし彷徨う子供が、暖かな明りの下へ集うかの如く、光の粒はどんどんと集まり互いに隙間を埋めあって、やがてヤマトを中心とした光球を形作る。


「これって……」


 ヤマトは自らを囲う光球に見覚えがあった。ノエルが悪魔にトドメを刺す際に使う、光の矢を無数に降らせる技……その最後に形作られる光の繭に似ているのだ。

 ノエルが放つ件の技ではいつも、悪魔はたくさんの聖なる光に貫かれ、高熱によって身体を焼かれて塵となり消滅していた。もしもこの繭が同じ物だとすれば、自分たちも悪魔と同じ運命を辿る事になるのだろうか?

 だが仮に、そうなったとしても……。


「絶対に離さねぇからな。ノエル、心配すんな」


 ゆっくりと、光の包囲が狭まる。ノエルを連れてこの場から離れようかとも思ったヤマトだったが、彼の身体もまた限界だった。蓄積した疲労と失われた多くの血によって手足の感覚は無く、歩く事はおろか立ち上がる事も出来ない。だが二度と離さないと誓った両腕だけはしっかりと少女の身体を抱き留めたまま、迫る光から自らを盾として庇い、覆い隠す。


「絶対に、最後まで……」


 光に包まれる二人。

 この時、ヤマトはまだ気付いていなかった。彼の腕の中にある者もノエルであるなら、空に漂う光もまたノエルの一部であると。

 光は彼ら二人を焼き尽くそうと集ったのでは無い。ヤマトに惹かれているのだ。ノエルと同じように……ノエルだからこそ、虚空へと消えてもまだ彼を慕い、再び舞い戻った。


「ずっと、一緒だ」


 光の中、半分以上が消え失せたノエルへ、そっと頬寄せるヤマト。そして優しく口付ける……永遠の愛を誓って。

 丘の上の草原で、優しい光が舞い踊る。光の繭は一点に収束し、互いの想いを確かめ合う二人に吸い込まれるようにして消えた。

 そして、夜の闇が訪れる。

 いつの間にか降り続いた雨は上がり、満天の星空が二人を静かに見守っていた。

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