第四話:戦いの夜に(一)
暗闇の中、オレンジ色の炎が揺れる。その輝きの中で楽しげに踊るのは、火の精霊たちだろうか? 灼熱の炎は精霊と共に風に乗って舞い、自らを囲む人々に光と温もりを与え続ける。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
何度目なのかもわからないが、ノエルがぺこりと頭を下げた。絹糸のような金髪が炎を照り返して赤銅色に輝き、天使の光輪が淡く明滅する。
「いやいや、礼には及ばないよ。困っている時はお互い様……冒険者の教則本にも、そう書いてあるじゃないか」
ノエルの声に応えたのは、彼女と同じく金髪の青年だった。白銀の鎧に身を包み、腰には長剣を携えた長身痩躯の姿。ヤマトやノエルと同じく、彼も冒険者であるようだ。
歳はヤマトよりも少し上……二十歳程に見える。細面で整った顔付きからは華奢な印象を受けるが、身に付けている武具は重厚で、貧弱な者では動く事もままならないであろう重量級の逸品である事が窺える。
「ほら、干し肉が温まったよ……といっても、ノエルさんは天使だから肉は食べないのかな?」
金髪の青年が、焚き火で炙っていた保存用の肉を差し出した。
ここはスライムが居座っていた場所から少しだけ山を登った野営地。眼下に見える深く窪んだ地面が、つい先程までスライムが溜まり湖のように見えていた場所だ。
そのスライムが跡形も無く消え去り、日も落ちた今。彼らは焚き火を囲み、静かな夜を過している。
「ありがとうございます。でも、せっかくですが私は遠慮しておきます……ヤマトはどう?」
問いかけたノエルに、隣に座るヤマトは腕を十字に組んで意思を表した。食べたくても食べられない……溶解液と炎で傷めた喉が回復していないのだ。
「全くもう……無茶ばっかりするから」
そう言って口を尖らせ、ノエルは翼から舞い散る光の量を増やした。光は次々にヤマトへと降り注ぎ、熱傷でボロボロになった肌や髪、そして骨が見える程にまで溶け落ちていた両手をゆっくりと癒して行く。
「知ってるでしょ? 私は天使なんだからスライムの溶解液くらいなら耐えられるし、じっとしてれば息しなくても平気だって」
咎めるように言うノエルに、不満気な表情のヤマト。あの時は無我夢中で……と言いたかったが、喉が痛く喋るのも辛い。それに、そんな言い訳をするのも恥かしい。
「溶け難い鉄の棒とかを熱して、ゆっくり突き出してくれたら十分なのに……」
反論が無いのを良い事に、ぶつぶつと小言を続けるノエル。満身創痍のヤマトとは違い、スライムに全身を取り込まれたはずの彼女は全くの無傷だった。絶対無敵との呼び声高い天使の防御力は伊達ではないのだ。
だが強いて言うなれば……。
「けほっ……よく言うぜ。素っ裸で目ぇ回してたクセに」
やっと喋れるまでに回復したヤマトが、イヤミたっぷりの口調で返した。
天使の防御能力も自分の身体以外の部分……身に付ける服にまでは及ばないようだ。スライムから助け出された時、彼女の服は全て溶け、一糸纏わぬ姿となっていた。スライムに絡みつかれた際に濛々と噴出していた白煙は、服が溶ける事によって立ち上った煙だ。現に彼女は今も素肌の上に毛布を羽織っているだけという、少々恥かしい格好を強いられている。
「し、仕方ないでしょ!? 服はどうしようもないんだもん! それに目を回してたんじゃなくて、あれは……!」
「はいはい、良いモン見せてくれてありがとよ」
頬を染めて怒鳴るノエルをサラリと黙らせ、金髪の青年へと向き直るヤマト。
「ありがとな、マジで助かったぜ。俺はヤマト。悪ぃんだけど、もう一回アンタの名前聞かせてもらって良いか?」
さっきは耳をやられてて聞こえなかったんだ。そう言って苦笑するヤマトに、金髪の青年は快く頷いて口を開く。
「僕はサークス。さっきも言ったんだけど、礼には及ばないからね?」
サークスと名乗った金髪の青年はゆるやかに微笑み、右手を差し出した。ヤマトもこれに応え、二人は握手を交わす。
華奢な外見に反しサークスの掌は硬く力強かった。弛まぬ修練の痕跡が透し見える、鍛え上げられた冒険者の手だ。これまでに数え切れぬ程の経験を積み、修羅場を潜って来たのだろう。
目に見える経験値とも言える掌を前に、自分の両手を思い苦笑するヤマト。ノエルによって頻繁に癒される手のひらは、傷跡も少なく柔らかい。
多少は傷跡も残った方がベテランっぽくてカッコイイかもしれない――そんな事を考えていたヤマトに、サークスが続けて話しかけてきた。
「ヤマト君。もし、どうしても礼を言いたいというのであれば、相手は彼だ。だってキミたちを助けたのは僕じゃなくて、そっちの――」
サークスが視線で示した先。虫の声さえ聞こえぬ原生林の暗闇から、大きな人影が姿を現した。
身長は二メートル程。全身を真っ黒な体毛に覆われた、二本足で立つ狼。それが人影の正体だった。
彼は厚手の衣服を纏い、簡素な板金鎧を着けて、手には薪にするつもりだったのだろうか? 乾いた枝を何本か持って、真っ直ぐな瞳でヤマトとノエルの二人をじっと見つめている。
「彼の名前は太郎丸。僕の仲間で、種族は見ての通り人狼だよ。この辺りじゃ珍しいよね?」
サークスの紹介を受け、小さく頭を下げる太郎丸。人狼と呼ばれる種族の頭部は犬と変わらない為、鼻先をくいっと下げただけにも見える。
「二人が気を失ってる間、彼には周辺の索敵を頼んでたんだ。人狼は聴覚や嗅覚がとても鋭いから……で、どうだった太郎丸?」
「問題無い」
短く答える太郎丸。無愛想とも感じられる彼の態度に、サークスが苦笑しながら補足する。
「気を悪くしないでくれ。太郎丸はいつもこうなんだ。必要な事以外、あまり喋らない。だから驚いたよ、キミたちを助ける時に出した大声には」
サークスに言われ、一時間ほど前に聞いた声を思い出すヤマト。スライムの腹にまで響いた、野太い声。その持ち主が太郎丸だったのだ。
――少年、動くなよ!
スライムに飲まれかけていた時だ。そう叫び、森の中から飛び出して来た太郎丸。彼は一足飛びに間合いを詰め、居合い切りの要領で腰の曲刀を抜くと同時にスライムを叩き切っていた。
刃が閃く事、数回。その度に豆腐でも切り分けるかのように、スライムが細切れの立方体へと姿を変える。そしてそれら立方体が地面に落ちるよりも速く、太郎丸はヤマトと、彼が掴んで離さないノエルを、スライムの腹から引っ張り出した。
その時の様子を、溶けかかった瞼の隙間からヤマトは見ていた。
スライムをバラバラに切り裂きながら、自分たちには傷一つ負わせない太刀筋の正確さ。二人の人間を軽々と引っ張り上げる強靭な肉体、そしてバランス感覚。どれもこれも人間離れしており、到底自分には真似出来ない離れ技だ。
そして更に……。
「太郎丸、どけっ!」
遅れること数秒。駆けつけたサークスが叫ぶ。
その声に素早く反応し、ヤマトとノエルを抱えたまま飛び退る太郎丸。
「おぉぉぉッ!!」
サークスは抜き放った白銀の長剣を天に掲げ、雄叫びと共に力を込める。すぐさま剣は不思議な淡い光を帯び、刃からチリチリと電光を放ち始めた。ぎゅっと大気が押し固められて呼吸が重くなり、剣の輝きに光が集まるにつれてサークスの周囲から光が薄く、闇が濃くなって行く。
そして――。
「魔物よ、塵芥に還れッ! 奥義……滅空!!」
叫び、サークスが剣を横に薙ぐ。すると一拍を置いて、剣の軌跡から雷光を纏った衝撃波が扇状に解き放たれた。触れる物全てを粉々に砕き、灰燼に帰すサークスの秘技、光波・滅空刃。発生方向とは真逆に退避しているヤマトたちでさえ、全身を叩かれたかのような衝撃を感じる、それ程の威力だ。
小石を粉砕し、残り火を掻き消して爆音と共に広がる衝撃波。矢のような速度でスライムへ到達したそれは、既にバラバラとなっているスライムを触れる端から粉微塵に砕いて、消滅させて行く。スライムに再生の猶予も、逃げ出す暇さえも与える事無く、衝撃波の通り過ぎた所は綺麗さっぱり何も無い空間と化す。それこそが技名「滅空」の由来だ。
「まだまだっ! 欠片も残しはしない!」
剣に力を溜め、連続して衝撃波を放つサークス。凄まじい破壊力の前に、あれほど大量に居たスライムが、見る間に殲滅されて行く。
自分では、手も足も出なかった強敵が、いとも容易く。
助け出されたヤマトの胸を、例え様の無い無力感が嬲る。ミノタウロスと戦った時に感じたのと同じ、無力感が――。
「……マト? ヤマト、どうしたの? ほら、太郎丸さんにお礼くらい言いなさいよ」
ノエルに呼ばれ、我に帰るヤマト。どうやらボンヤリと考え込んでしまっていたようだ。
わかってるよ、うるさいな。ノエルにはそんな憎まれ口を返しておいて、太郎丸へと右手を差し出す。
「助かったぜ、ありがとうな」
「……」
握手こそ受けたものの、表情一つ変えずむっつりと黙ったままの太郎丸。だがヤマトには少しだけ、彼が優しげに目を細めたように見えたのだが……気のせいだっただろうか?
「さて、自己紹介も終わった所で夜も更けてきた。そろそろ寝る準備をしよう」
タイミングを見計らったサークスの提案に、異論を挟む者は誰一人として居なかった。