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第四十六話:反撃の狼煙(四)

このお話には残酷な表現が含まれます。苦手な方はご注意下さい。

 変わらず降り頻る雨の中、さて、と一息ついて、太郎丸は背後のアデリーネへ小声で尋ねた。


「ところで……某、反撃などと嘯いてみたものの、取り立てて手段があるわけではござらん。アデリーネ殿、どうなされる?」


 聡明で知られるエルフが、この危険な状況へ松明だけを手に飛び込むわけが無い。何か逆転の策を携えての参戦であろう――そう思い聞いたわけなのだが……。


「何もありませんよ」


 予想外の素っ気無い答えに気を削がれ、え? と聞き返す太郎丸。


「この蜘蛛の糸が炎に弱い事だけを確認し、慌てて駆けつけましたので策は何もありません。やって来た時、糸を燃やして作った道も既に塞がれているようですし」


 期待はずれも良い所だ。途端に背中が寒く感じられる。

 だが贅沢は言えない。糸が炎に弱い事、そしてその炎を持ち込んでくれた事だけでも十分な……。


「太郎丸様、申し訳ございません。雨が強く、松明の火が消えてしまいました。やはり即席では限度があるようです」

「…………!!」


 淡々と冷静に状況を告げるアデリーネ。そんな彼女に詰め寄って「消えただとぉ!?」と叫びたくなる気持ちを太郎丸はぐっと堪えた。叫んだって仕方ない。今は二人、力を合わせる時なのだ。

 じりじりと間合いを詰め、襲い掛かるタイミングを計る大蜘蛛の目を盗み、太郎丸は必死に周囲へ視線を走らせ策を練る。

 こんな時、ヤマトであれば高い洞察力で相手の裏をかき、隙を突いて会心の一撃を決めるのであろう。だが自分にそのような機転は働かない。敵と向かい合い、真正面から斬る以外には何のとりえも無い能無しなのだ。

 あの男なら、この状況をどう切り抜ける? 考えろ太郎丸、全力で! もう時間が無い……!


「太郎丸様……何をお考えです?」

「静かにしてもらえるか、アデリーネ殿。いま、必死に考えをめぐらせている所だ」


 疎ましげに会話を打ち切る太郎丸。もう次の瞬間には大蜘蛛が襲い掛かって来るかもしれないのだ。今は一秒でも時間が惜しい。


「もしや、ヤマト様ならどのように立ち回るか……と考えているのですか?」

「良いから、黙っておれ!」


 太郎丸の口調が、若干荒くなる。策が無いのなら静かにしててくれ。今はとにかく集中して、打開策を考えなくては!

 だがアデリーネは、そんな太郎丸の焦燥と苛立ちを軽く受け流して言葉を続ける。


「太郎丸様、だとすれば、それは無意味です」

「~ッ!! 煩いぞアデリーネ殿!!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れた。怒りを露わに牙を剥き、背後のアデリーネへと怒鳴りつける。


「何故、無意味と言い切れる! ヤマトは力で劣ろうと知恵を絞って必死に立ち向かい、状況を打開して来た! ならば某とて奴と同じ! 頭足りずとも全力で考え、知恵を絞り出すのみ!! それが何故、無駄だと!?」


 雨の音に負けぬ、叩きつけるような怒号。だがアデリーネは顔色一つ変えない。それどころか、より落ち着いて、より冷静に――事実だけを告げる。


「理由は簡単です、太郎丸様。なにも奇策を練らずとも貴方様の実力であれば、この蜘蛛たちに勝てるからです」

「な……!?」


 何を馬鹿な、気でも狂ったか? その言葉を太郎丸は辛うじて飲み込んだ。

 利き腕を痛め、愛刀を失った自分。傷や疲れによって戦闘開始直後よりも明らかに能力は低下している。万全の状態でも歯が立たない相手に、消耗した今の自分が勝てよう筈も無い。


「太郎丸様、ご心配には及びません。戦いが終わる頃には――私が『策など何も無い』と言った意味が、おわかり頂けるでしょう」


 そんな彼の気持ちを読み取ったのだろう。アデリーネが軽く振り返って囁く。その口元には……余裕の笑み。


「下手の考え休むに似たり。もう休憩は終了です。敵が……来ます!」


 ついに大蜘蛛が動いた。尻の先から糸を噴出し、数ある脚を振り上げて三方から同時に二人を襲う。

 こうなったら破れかぶれだ。何の策も無いまま、太郎丸は小太刀だけを頼りに戦う覚悟を決める。


「おぉぉっ!」


 糸をギリギリで避け、迫る蜘蛛の脚を小太刀でいなして身をかわす。敵わぬまでも、せめて一太刀……硬い部分に刃は立たないが、柔らかい部分であれば刃も通るかもしれない。そう考えて、ジリジリと間合いを詰める。

 アデリーネはと視界の端で見てみれば、火は消えたものの未だ熱の残る松明で蜘蛛の糸を掃い、大蜘蛛の一体を引き付けて逃げに徹しているようだ。


「いま暫らく堪えてくれ!」

「こ、心得ておりますっ!」


 せめて一体、蜘蛛を減らす事が出来れば。そうすればアデリーネだけでも逃がせるかもしれない。脚を怪我し、動きの鈍った自分に出来る事といえば、その程度だ。

 視界を覆いつくす勢いで吐きかけられる糸……それは遥か遠く、故郷の店先に下がる簾を思い起こさせる。幾重にも重なるそれらの隙間へと身を滑り込ませ、最小の動きで避け、やり過ごし、少しずつ大蜘蛛へと近付く太郎丸。一歩一歩確実に、じわじわと敵を追い詰める。

 ――何故だろうか。

 先程まで、あれほど激しく感じていた大蜘蛛の攻撃。だが今は、少し手緩い程度に思える。時間が経ち、幾度も攻撃を受ける内……繰り返される大蜘蛛の攻撃に慣れたのだ。勿論、アデリーネが一体を引き受けてくれた事も大きいだろう。しかし太郎丸の目が、耳が、鼻が……五感全てが敵の動きを読み取り、あらゆる情報を伝えて来る。

 大蜘蛛の脚が動いた瞬間、振り下ろされる位置がわかる。風を切る音が聞こえたなら、糸が飛来する合図だ。そしてこのニオイ……これは、追い詰められた獲物が発する、焦りのニオイ。


「ギィッ!?」


 これでもかと繰り出した攻撃の全てを人狼に避けられ、間近までの接近を許した大蜘蛛。圧倒的優位である筈の自らが追い詰められるという不測の事態に、大いに焦り、戸惑い……判断を誤る。

 疎ましい人狼を噛み砕いてやろうと、頭を下げたのだ。


「ふんッ!!」


 下がった大蜘蛛の頭、そこで真っ赤に輝く複眼目掛け、しっかりと握り込んだ小太刀を突き立てる太郎丸。岩を突いたような硬い感触と、その岩が砕ける確かな手応えが全身に伝わって来る。


「討ち取った……!」


 根元まで突き刺した小太刀を渾身の力でもって捻り、引き抜くと、大蜘蛛は潰れた目から真っ黒な体液と、ヘドロのような何かを撒き散らしてのたうち始める。脚を意味も無く振り回し、尻から吐き出す糸も止め処なく垂れ流し状態。多分ヘドロのように見えた何かは蜘蛛の脳か、それに類する運動を司る部位だったのだろう。

 小太刀を一振りして穢れを払い、他二体の蜘蛛へと向き直る太郎丸。その目には、失われていた確かな物……自分への自信が満ちている。


「……忘れていたな」


 敵に近付き、斬る。ただ、それだけ。自分に出来る事は、それくらいしか……それ以外には無い。

 だが、それで良い。

 サークスの剣技や、ヤマトの機転。ノエルの聖なる力やアデリーネの知恵。それらに勝る物など、自分は持ち合わせていない。だがそれ故に、一歩一歩確実に、地道に、真面目に、ひたむきに……わき目も振らず真っ直ぐに歩くしか無いではないか。


「ギイィィッ!!」


 糸を吐く大蜘蛛……だが最早そんな物、恐れるに足りぬ。水鉄砲も同然だ。そしてそれは脚による攻撃も同様。避けながら関節部へと小太刀をねじ込み、引き裂く――ただそれだけで、一抱え程もある脚が千切れて転がった。

 程無く八本ある脚の全てが地に転がり、身動きの取れなくなった大蜘蛛の頭部へ、躊躇無く小太刀を突き立てる……先と同じ感覚。そして噴出すヘドロ。


「残り、一体」


 太郎丸の声に、アデリーネを追っていた大蜘蛛がようやく事態に気付く。

 いつの間にか倒されていた同胞。手負いの獣が放つ、只ならぬ殺気……そして大蜘蛛は判断する。逃げよう、と。

 だがその判断は、あまりにも遅すぎた。


「逃しはせぬぞ!」


 先に切り落とし、糸が絡まったままとなっていた大蜘蛛の脚を拾い、力任せに投げ付ける太郎丸。大蜘蛛の胴に命中したそれは、未だ粘性の落ちない糸で悪魔の四肢を絡め取り、動きを鈍らせる。

 もらった。

 そんな声が聞こえたか否か――。瞬間、小太刀の煌きを最後の映像として脳に残し、大蜘蛛の思考は途絶える。砕かれた複眼、噴出すヘドロ。コントロールを失った複数の脚がくるりと腹側へと丸め込まれ、大きな図体は地鳴りを起こして仰向けに引っくり返り、痙攣し始める。


「……ふぅ」


 戦闘能力を失った大蜘蛛を見やり、ゆっくり息を吐いて濡れた草に膝を付く太郎丸。極度の緊張と集中から解き放たれ、蓄積していた疲れと痛みがどっと押し寄せる。

 利き腕、そして脚から流れ出す大量の血液。早鐘を打ち鳴らすが如く鳴り響いていた心臓の鼓動も、ゆっくり、そして弱くなりつつある。

 もう、限界だ。


「無事か、アデリーネ殿? 某は、もう動けぬ……」


 太郎丸は、少し離れた場所に倒れるアデリーネへと伝える。

 蜘蛛はすぐに復活する。頭が再生すればまた動き出し、襲い来るだろう。今の自分に、連中へ止めを刺す力は無い。だから今の内に、ノエルとスダチを連れて逃げてくれ、と。

 だが――。


「御託は結構です太郎丸様、今すぐそこから離れて下さい」

「っ!?」


 立ち上がったアデリーネが懐から何かを取り出し、それに素早く着火……身動きの取れない大蜘蛛へと投げ付けた。

 妙に冷静なアデリーネの様子に何か危険な予感を感じ、何の事だかわからないままではあったが、太郎丸はとりあえず全力で横っ飛び、距離を取る。


「伏せて――」


 そんな声が聞こえたのと、辺りが紅蓮の炎に包まれたのは、ほぼ同時だった。

 アデリーネが投擲し、大蜘蛛に命中した何か――火の点いた油壷だ――それが砕けた瞬間、眩いばかりの光と共に爆発するようにして広がる炎。


「う、うおぉぉぉ!?」


 巻き込まれないよう、草原を這いずり必死で逃げる太郎丸。

 炎は一匹の大蜘蛛を包むだけに留まらず、辺り一面張り巡らされた糸を火種として激しく燃え上がり、倒れていた他の二匹さえも灼熱の牙に捕え、噛み砕く。

 バチバチと薪の爆ぜるような音。もがく大蜘蛛の硬い体表に無数のヒビが走り、その隙間から漆黒の霧が噴出する。その霧にも引火し、炎はますます強く、熱く。そして大蜘蛛の体内にも火が回ったのだろう。大顎からは吐息の度に、竜が吐く火炎の如く橙色の熱波が長く伸びては消え、消えては伸びるを繰り返す。


「こ……これは一体……!?」


 山のように持ち上がり、チリチリと毛皮を焼く業火に目を丸くしてへたり込む太郎丸。大蜘蛛が燃える……これだけの炎であれば、如何に悪魔といえど耐えられはしないだろう。その証拠に、のた打つ大蜘蛛の動きが次第に鈍くなり……やがて止まる。

 そこへ舞い散る火花から髪を庇い、腰を低くしたアデリーネが「ご無事でしたか?」とやって来た。


「アデリーネ殿、この炎は……何故、このような?」

「申し訳ございません太郎丸様。私、三つ程……嘘を付いておりました」

「……?」


 何を言い出すのかと首を傾げる太郎丸に止血を施しながら、エルフの娘は落ち着いた声で淡々と告げる。


「一つ目は、蜘蛛の糸を『熱に弱い』と言った事……正確には『良く燃える』と言うべきでした」

「ど、どうやら、そのようだな」


 油紙か、それとも乾いた杉柴か――。それらを遥かに凌ぐ引火のし易さは、目の前で揺れる巨大な炎のオブジェが、これでもかと証明して見せている。


「そして残る二つの嘘。一つは『策など無い』と言った事。そしてもう一つは『松明が雨で消えた』と言った事です。正確には『雨で消し』ました」


 どうして、そのような事を? 問いかけた太郎丸が見つめる前で、炎に炙られ炭となった大蜘蛛たちが崩れ落ち、赤く光る塵となって消えて行く。


「最初、蜘蛛の糸が良く燃えると判った時。私はこれを使って蜘蛛を焼こうと思いました。その為には大量の糸が必要だったのです。そこで太郎丸様に回避重視の戦闘をお願いして、効率良く糸を集めようと思ったのですが……」

「お主が駆けつけた時、某は既に死に体だったというワケか」


 頷くアデリーネ。太郎丸を助ける為、松明に着火して糸を払い除けたものの、このまま炎を持っていたのでは蜘蛛に警戒されてしまう。そこで雨を理由に、松明を消したのだ。

 そして太郎丸を焚き付けて蜘蛛たちに糸を吐き出させ、十分に溜めた所で隠し持っていた火種を使い、即席の火炎瓶で……というわけだ。


「それならそうと言ってくれれば、某とて……」


 結果オーライとはいえ、太郎丸にしてみれば刺し違える覚悟だったのだ。何やら利用されたようで、あまり面白くは無い。だが……。


「いえいえ、流石は太郎丸様です。私もまさか本当に、悪魔憑きの大蜘蛛を三体も倒してしまわれるとは思っておらず……」


 えへへ、と笑って誤魔化し、目を逸らすアデリーネ。

 まさか倒すと思っていなかったという事は、当初の計画では大蜘蛛もろとも太郎丸も……!


「ふむ。『戦いの終わる頃には、策が無いと言った意味がわかる』か……。ま、そうだな。流石はアデリーネ殿だと言っておこう」

「ありがとうございます」


 ニヤリと笑い、小太刀を鞘へ戻す太郎丸。

 アデリーネは太郎丸もろとも……彼女自身さえも囮として、大蜘蛛を焼き殺すつもりだったのだ。

 その度胸、死の淵でも微笑んでみせる愛嬌。どれをとっても、流石としか言いようが無い。


「これで男運さえ良ければな……」

「何か仰いましたか、太郎丸様?」


 天はニ物を与えず――。その言葉を胸の奥に仕舞い込み、太郎丸は空を仰ぐ。

 天高く上る炎に散らされて、雲が薄く、雨が弱くなりつつあった。

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