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第四十一話:コーヒーブレイク(三)

 その日の晩、ヤマトは不意の尿意によって強制的に目を覚まされた。毎日のようにポーションを飲み続けている為、ちょっと水分摂取過多なのだ。

 かなり眠かったが、この歳にもなって恩義ある村のベッドに広大な世界地図を描くような失態は避けたい。隣で寝ていた猫を起こしてしまわないように、そっと部屋を抜け出す。


「……月夜か」


 空に浮かぶ、青白い月。夜道を行く明りとしては理想的だが、どこか冷たく、不気味に感じられる。

 嫌な予感……妙に心がざわめく。何も無ければ良いのだけれど――しかしながら往々にして、嫌な予感ほど良く当たるものなのだ。


「……ん?」


 用を足し終えて部屋へと戻る道すがら、人の気配を感じてヤマトは立ち止まった。家の玄関付近に、何人かの村人が集まって話をしているようだ。

 押し殺した彼らの声に妙な違和感を感じ、ヤマトは不自由な足を引き摺りながらも、こっそりと忍び足で近付いて行く。昔取った杵柄……と呼べる程の昔では無いが、冒険者として培った隠密技術は、傷を負っていてもなお一般人には気取られぬ静かな移動を可能にしていた。


「それは確かな話なのかい?」

「はい、村長さん。私も俄かには信じられず何人かに確認致しましたら、中には直接見たと言う者さえ居たのです」


 集まっているのは、村長と村の若者数人。そして頻繁に村へ出入りしている旅の商人だった。どうやら件の商人が話題の中心らしく、彼を取り囲むように人垣が出来ている。

 盗み聞きなど良い趣味とは言えないが、これも冒険者の性というヤツだろう。ヤマトは彼らのすぐ側、扉の陰に身を潜めて会話の内容に耳をそばだてる。


「なんでも、それは酷い有様だったそうで……」

「そうかい……ノエルさんが……」


 ノエル!? 名前を聞いただけで、ヤマトの心臓は勢い良く早鐘を打ち始めた。どうしてここでノエルの名前が出る? 村長の不安そうな表情は何だ? 旅の商人は一体何を言っている!?


「今は、その悪魔の村からは姿を消しているそうですが……果たして生きているのやら、死んでいるのやら……」


 悪魔の村? 生死不明!? もう少し詳しい話を――思わず一歩踏み出したヤマト。だが身体が言う事を聞かず、その場でよろめき、大きな音を立てて倒れてしまう。


「なっ……や、ヤマトさん……!?」


 村長を始め、一同の注目が倒れたヤマトに集まる。各々が顔に驚きの表情が浮かび、それらはすぐ気の毒そうな物へと変化して行く。


「一体、いつからそこに居られたのです? どこまで話を……」

「なぁ村長さん、ノエルが……ノエルがどうかしたのか!? 教えてくれっ!」


 溜息と共に俯く村長。元々高齢でしわくちゃの顔が、更に老け込んだように見える。


「ヤマトさん……年寄りの戯言と笑われるかもしれませんが……知らぬ方が良い事も、世の中には多くございますよ? 今は余計な事を考えず、傷を治す事を第一に考えてはもらえませんか」


 落ち着いた、優しい口調だ。悪意など微塵も感じない。村長は自らの経験を踏まえ、ヤマトの知りたがっている事は、必ずしもヤマトの為にならない……そう判断して言ったのだ。

 しかしヤマトは先達の含蓄ある言葉を、素直に受け入れる事が出来ない。


「知らない方が良い事もあるって? ンな事くらい、俺だってわかってる! んでも……それでも、やっぱり教えてくれ! 知りたいんだ!」


 知らない間に、深い仲になっていたサークスとノエル。そんな事も知らず、ノエルに髪飾りをプレゼントして喜ばせたいと、馬鹿みたいに浮かれていた自分。結局渡す事も出来ず、後になって真実を知り、ヤケになってケンカした挙句パーティーを抜けた。

 もしも、もっと早くに知っていれば……。


「たとえ知ったとしても、何も出来ないかもしれません。そうなれば、辛いだけですよ?」


 村長の口調は、相変わらず穏やかで落ち着いた物だ。しかし彼の言葉は、冷静にヤマトの現状を把握した上で紡がれている。村長は言っているのだ。『聞いた所で、お前には何も出来ない』と。


「だ、だからって……何もせずに……っ!」


 村長の言う通りだ。

 ただ大声を上げただけで息が切れてしまうような男に、一体何が出来るというのか。走る事さえ出来ず、村の支援無しでは生きる事さえ難しい男が、ノエルの為にと動いた所でどれほどの足しになるだろう? きっと多くの場合、状況を混乱させて脚を引っ張るのが関の山だ。

 それに、こう考えていたではないか。冒険者など辞めて、この村で穏やかに過ごそうと。

 もうノエルには、自分よりも遥かに頼りになる男がいる。きっと今頃、ノエルのピンチに颯爽と現れたサークスが敵を蹴散らし、二人で愛を語らっている事だろう。自分など完全にお呼びでない。単なる邪魔者だ。


「ヤマトさん、今日はもう遅い。明日の朝まで、ゆっくりお考えなさい。それでもまだ天使様の事をお知りになりたいのでしたら、いらっしゃれば良い」


 一礼して、その場を去る村長。他の者たちもゾロゾロと自分の寝床へと帰って行き、玄関前には自分以外の誰も居なくなった。

 眩しい月が照らす中、取り残されたヤマトは独り家の外に歩み出る。

 フラフラとあても無く歩いた彼の眼前には、ロープで区切られた大きな砂地。コピ・ルアクの生産場所である、猫のトイレだ。

 以前、ここは広場だった。ノエルは村の人たちを集めて天使の力を振るい、少し離れた場所にある木陰ではサークスと太郎丸が身体を休め、自分は人の整理に走り回っていたように思う。

 二度と戻れない日々。何もかも、懐かしく感じる。


「んぁ……おい糞チビぃ、そんなトコで何してんだぁ?」


 不意に、背後から声を掛けられた――スミだ。多分、自分と良く似た理由で目が覚めたのだろう。寝ぼけ眼を擦りながら、のたのたと近付いて来る。


「しょんべんかぁ? ここは猫用だから、人間は向こうだぞ?」

「そんくらい知ってるよ……ったく。馬鹿にすんな」


 隣に立ったスミの頭を、動かない右手でぐしゃぐしゃに撫でる。「やーめーろーよー」などと言うものの、さほど嫌がる様子も無く、されるがままのスミ。どこか幸せそうにも見える。


「なあ、スミ……俺さぁ……」


 どうしたら良いと思う?

 そんな事を、こんな小さな娘に尋ねようとした自分に、ヤマトは自己嫌悪を抱く。

 自分は……迷っているのだ。

 この村での穏やかな生活を捨ててまで、自分が必要とされていない場所へ赴くのか? 果たしてそれで、誰かが幸せになれるのか? ただの一人も……自分さえも幸せにならない選択肢だというのに、何故、迷うのか。


「……糞チビ? どうした?」

「ん、いや……」


 右手に、スミの体温を感じる。こんなポンコツの自分でも、この場所でなら他人を幸せに出来る。選択の余地など無いではないか。


「この村、出ていくのか?」

「え……!?」


 驚き、隣を見ると……スミが、じっとこちらを見ていた。吸い込まれるような深い色の双眸で、何もかも見透かすかのように。


「アタシは……糞チビの、好きにすれば……良いと思うぞ」

「いや、別に出て行くなんて言ってねぇぞ? それに好きにって言われてもなぁ……」


 軽い調子で返そうとしたヤマトだったが、スミの雰囲気に圧倒されて言葉を続けられない。彼女は、至って真剣だった。


「好きにしたいから、冒険者なんて……やってんだろ? また冒険、したいから……毎日必死こいて、歩く練習したり、右手動かす練習……してんだろ? 迷ってんなら、本当にやりたい事……やれよ」

「スミ、お前……」


 口を開くたび、赤毛の少女の目がみるみる潤み、ボロボロと大粒の涙が零れ出す。ヤマトのシャツを強く掴んでグスグスと鼻を啜ってしゃくりあげながら、必死に言葉を吐き出すスミ。


「オマエ、ノエル姉ちゃんトコに、戻りたいんだろ?」

「……!」

「だったら……余計な事考えずに、さっさと行けよ……行っちゃえよ」


 スミに言われ、初めて自覚する。自分は、ノエルの所へ行きたかったのだと。

 冒険出来ない身体だとか、必要とされてないだとか、自分より凄い男がいるだとか、誰も幸せにならないだとか、それっぽい理屈を並べて言い訳をしているだけだ。例え自分さえ不幸になったとしても、ヤマトは望んでいる。ノエルと共に居る事を。


「大丈夫だって、心配すんな。きっと姉ちゃんだって……糞チビの事、待ってる」

「スミ……!」


 この娘は一体どこまで知って喋っているのか? いいや、何も知りはしないのだろう。これこそがきっと、女の勘というヤツなのだ。


「わりぃ、スミ。俺、お前に……!」


 少女の小さな身体をぎゅっと抱きしめ、ヤマトは心から詫びる。こんな良い娘を、自分が深く傷付けてしまっている。しかも自分自身の意思で、我侭で。


「何だよ、気持ち悪ぃな……イイって事よ! 糞チビ、すぐにどっか行くだろうなって思ってたし……色々、前から知ってたし。オマエは何も気にすんな!」


 明るい声で言って、スミは涙を拭き、ヤマトから身体を離した。そこに立つのは、いつもの明るい少女……それを演じる、とても強い心を持った、スミという小さな女の子だ。


「よしっ! おい糞チビ、ぜんはいそげって言うんだろ? じゃあ、すぐに準備しようぜ!」


 軽い足取りで走り出すスミの背中に、ヤマトは何度も心で詫びる。許される事で無いとわかっていたが、そうせずには居られなかった。


「スミにここまでさせちまったんだ……もう逃げられねぇぞ、俺!」


 がつん、と右手で頬を殴る。いつまでもどん底気分に浸っている場合では無い。スミの気持ちに報いる為にも、自分は全力で前に進む必要がある。


「這ってでもな!」


 覚悟を決めて歩き始めた少年の行く手を、幾分か温かみを増した月が優しく照らし出していた。

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