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第四十話:コーヒー・ブレイク(二)

 ヤマトが目覚めてから三日。

 その頃になると体力もある程度は回復し、ふらつきながらもベッドから起きて自力で用を足せる程度にはなっていた。何をするにも一々介添え人の手を借りなければならなかった彼にとって、これはかなり嬉しい進歩だ。

 といっても筋肉や腱が何箇所も断裂し、骨も折れていた両脚。杖を使った上で壁に寄りかかり、ゆっくりと移動するのが精一杯で、完全回復には程遠い状態なのだが。


「ほら、見ろよ糞チビ。村の真ん中に砂場みたいなのあるだろ? あそこで猫がウンチすんだ。凄いだろ? 前みたく、わざわざ山の中まで取りに行ったりしないんだぜ!」


 良く晴れた空の下、病み上がりのヤマトを介助しつつ、リハビリも兼ねて村を案内してくれるスミ。

 日中のヤマトは、歩行訓練をひたすら繰り返していた。自由に動かない身体を引き摺っての運動はかなり辛いものだったが、見上げた空の如く明るく、どこまでも澄み渡るスミの笑顔と元気な声が陰鬱な気分を吹き飛ばしてくれる。

 かつて訪れた村は、以前よりもずっと活気に満ちていた。

 以前発見した猫の糞からコピ・ルアクを回収するという採集法。村人たちはそれを更に発展させたようだ。

 猫が同じ場所で用を足すという習性を利用し、大胆にも村の中央に巨大な猫トイレを作り、そこへ山猫たちを招いているのだ。山猫たちは森でコーヒーの実をたらふく食べた後、村にやってきて用を足す。村人たちはそれを回収する……という一連の流れ。最初に猫トイレで用を足すように躾ける必要はあるが、それ以降は特別に何かするような事は無い。加えて村そのものが猫たちを守る柵となり、凶暴な肉食獣や密猟を企む不届き者から、猫とコピ・ルアクを同時に守る事が出来る。


「上手いこと考えたモンだな」

「おう! いま村は絶好調だ!」


 ようやく声が出せるようになったヤマトが言うと、スミはぐいっと親指を立ててケタケタと笑った。他の村人にも聞いてみたが、随分と儲かっているらしく、しきりに感謝されてしまった。

 まさか自分が考えたその場凌ぎの方法で、こんなにも状況が変わるだなんて思ってもみなかったヤマトにとっては寝耳に水の話。だが村人たちは義理堅く、ヤマトへの恩返しだと言って無一文の彼に寝床と食事を用意してくれた上、手厚い看護までしてくれている。この上ない厚待遇だ。

 他人から良くされる事に慣れていない彼はこんな時、どのような顔をすれば良いのか困ってしまう。


「おい糞チビ! そろそろ腹減ったろ。メシにすっか?」


 別にそれほど腹は減っていなかったが、激しく唸りを上げるスミの胃袋を慮って、ヤマトは昼食の提案を受け入れる。

 山間部の貧しい村では、朝と夜、一日二回の食事が普通。しかしこの村では、軽くではあるがみんな昼食を摂っている。お昼に食べるご飯は、村が豊かになった、目に見える証といえた。


「よし出来たぞ、食え!」

「お前さぁ……もうちょっと他に言い方無いのかよ? まぁいいや……いただきます」


 ベッドのある部屋に戻ったヤマトは、床に敷いたゴザの上に足を伸ばして座り、行儀良く手を合わせてからスプーンを手に取った。スミもそれに習い、少し遅れて手を合わせる。

 裏返した木箱をテーブル代わりにした、質素な昼食。置かれたお椀の中には、軽く湯気の漂う薬草粥が盛られている。柔らかな米とシャキシャキした薬草の歯応えが心地良い、療養時の定番食だ。


「……おい糞チビ、食わせてやろうか?」

「いや、これも練習だ。一人でやる」


 スミの気遣わしげな言葉をかわし、ヤマトは震える右手でスプーンを握る。そろりそろりとお粥にスプーンを潜り込ませ、持ち上げようとするが……。


「うあっ!」


 最後まで持ち上げる事が出来ず、スプーンを取り落としてしまった。湿った米粒が散らばり、スプーンも床で跳ねる。


「悪い、スミ! またやっちまった……」


 慌てて詫びるヤマト。そして包帯が巻かれた自分の右手を恨めしそうに見つめた。

 彼の右腕、その肘から先は、もう殆ど動かない。包帯によって隠された右腕は破壊し尽されてグシャグシャとなり、それは酷い有様なのだ。


「ま、気にすんな。ほれ、無理せずに左で食えよ」


 差し出されたスプーンを左手で受け取るヤマト。だがその左腕とて肩から上には持ち上げられず、万全とは言い難い。

 そして薬草粥を運ぶ口も同様だ。ズタズタにされた咥内と、中程で折れた歯については、ポーションによってほぼ再生している。だが完全に抜き取られてしまった多くの歯は元に戻らず、今も失われたまま。昼食メニューがお粥なのも、それが理由だった。


「糞チビ……やっぱポーションじゃダメか? 全部は治らないか?」

「いや、気長にやってりゃ、そのうち治るだろ」


 そのうち治る――自分の言葉に拙い嘘を感じるヤマト。彼が受けた傷の多くは、ポーションの効果をほとんど受け付けなかった。これはほぼ間違い無く、悪魔の呪詛が乗った傷……つまりヤマトを襲った包帯男は悪魔だったという事だ。

 先の通り、悪魔が付けた傷はポーション等の効果をほとんど受け付けない。『ほとんど』だ。言い換えれば『悪魔の付けた傷であっても、多少であればポーションの効果がある』という事になる。

 毎日欠かさず、昼も夜も絶え間なく傷口へポーションを注ぎ続ければ、ヤマトの言ったように『そのうち治る』だろう。だがそれには、どれほどの金と、どれほどの時間が必要か見当も付かない。きっと莫大な物になるであろうと予想できるのみだ。


「おぉっ! そっか、治るのか! んじゃあメシ食ったら、ポーション飲んどけよな糞チビ!」


 白い歯を見せて笑うスミ。治ると聞いて、我が事のように喜んでいる。とても無邪気な、屈託無い素直な笑顔だった。

 真っ直ぐに自分へと向けられる好意に、ヤマトの胸は痛む。いくら鈍い彼であっても、色々と明け透けなスミの気持ちには気付いていた。幼い彼女の想いが、恋だとか愛だとかの類であるかまでは判然としないが、少なくとも好いてくれてはいるようだ。そういえば前に来た時も、背負ってやったら大ハシャギして、別れ際にはションボリしてたっけ……。


「なぁスミ、いまココのコーヒー収穫ってさ、人手足りてんの?」

「ヒトデ? さぁ? んでもジイちゃんとか、毎日忙しそうにしてるぞ。じぎょうかくだい、とか言って」

「そっか……」


 スミの言う『ジイちゃん』とは、村長の事だ。彼女の口ぶりから察するに、もう少し手広くやりたいが、そこまで手が回らない……といった所なのだろう。

 薬草粥を口に運びながら、ヤマトは今後の事を考えていた。もう少し体力が回復したら、この村で住まわせてくれと頼んでみようか? 手足が完全に回復しなくても、豆拾いくらいであれば出来るだろう。

 この身体では、もう冒険者には戻れない……戻る理由も無い。以前サークスに言われたように、自分と妹が慎ましく生活できる程度の金と、退屈だが平和な毎日があれば……。


「どうした糞チビ、何考えてる? また何かウンコの中から掘り出すつもりか?」

「な、なんか引っかかる言い方だな……人をウンコの専門家みてぇに言いやがって」


 だけど、それだって悪くない。この村の人に喜んで貰えるなら、何回だって掘り返してやろう。

 ヤマトはスプーンを置いて椀を持ち、粥を息に喉へと流し込む。弱っていた喉と内臓が悲鳴を上げたが、お構いなしだ。良く食べて良く眠り、早く動けるようにならないと。それである程度治ったら、村長に話をしてみよう……。脳裏に浮かぶ冒険仲間の顔を振り払って意思を固めるヤマト。

 そして、それから一週間という時間が流れた。

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