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第三十六話:悪魔の村(二)

このお話には残酷な表現と、性的な表現が含まれます。苦手な方は十分にご注意下さい。

 日が落ち、村の広場に篝火が焚かれだすと、暗闇に仄かな橙色の存在として浮かび上がる磔台の天使。

 炎に松の枝が投入され濛々と黒煙が湧き上がると、その煙は磔台に絡みつき、容赦無く天使を燻し始める。だが彼女は……ノエルは何の反応も見せず、指一つ動かす事は無い。


「もう死んでるんじゃねぇのか?」


 痩せた悪魔が言って、篝火から燃え盛る薪を一本引き抜いた。そしてノエルのアザだらけの胸元へ、その赤熱した先端をおもむろに押し付ける。

 水が爆ぜるような音。同時にノエルの身体がビクンと震え、磔台を軋ませた。


「よしよし、まだ生きてるな。このブス、手間ぁ掛けさせんじゃねぇよ!」


 苛立ち紛れに痩せた悪魔が、手にする薪でノエルの顔を殴りつけた。衝撃でパッと火の粉が舞い、かつて白磁の様だと褒め称えられた頬に、黒く焼け爛れた傷跡が増える。


「ちっ! ここまで反応薄いと、何をしてもつまんないぜ。悲鳴ひとつ上げやしねぇ」

「顔も身体も、具合良かったの最初だけだったな。あとは無茶しても壊れない玩具ってくらいのモンだ」

「もう殺しちまっても良いんじゃねぇか?」

「そうだなぁ……お三方は伝説の手甲とやらを探しに出られたんだろ? わざわざ、ご命令を頂くまでも無いか」


 口々に話し合う悪魔たち。その内容が、どうやってノエルを殺してやろうか……といった物に変わった頃だ。


「ちょっと、よろしいか?」

「なっ……! 何モンだテメェ!!」


 夜から溶け出すようにして、その人狼は何の前触れも無くユラリと現れた。深い青色の瞳が炎を映し、静かに燃えている。


「怪しい者ではござらぬ。某は旅の商人……この村の噂を聞き付け、足を運んだ次第」

「……商人だぁ?」


 武器代わりの農具を構えて訝しがる悪魔たちを他所に、旅の商人を名乗る人狼……太郎丸は続ける。


「お話を窺っておれば、その天使、もう始末なさるおつもりの様子。でしたら某に譲っては貰えませぬか? 勿論、タダでとは申しませぬ……おい、これへ」


 太郎丸の声に応え、彼の背後からローブに身を包んだエルフの美女が姿を現す……アデリーネだ。


「見ての通り、これは天使同様に希少なエルフ。ある富豪の下であらゆる技術を仕込まれ、その嬌態たるや千金に値するとまで云われた逸品。これを、天使の代わりに置いて行きましょう」


 太郎丸の言葉に合わせて小首を傾げ、にこりと微笑んだアデリーネ。一歩だけ前に出ると、艶っぽい仕草でローブの止め具を外して足下へ落とし、ペチコートだけの艶めかしい姿態を悪魔たちの前に曝け出す。


「お……おぉ……!」


 ごくり、と生唾を飲み込む悪魔たち。

 欲望を糧に生きる彼ら悪魔。村人の大半が逃げ出し、ノエルをボロボロにしてしまった今、彼らは欲望の捌け口に事欠いていた。そんな中、喉から手が出るほど欲しいと思っていたモノが目の前に現れたのだ。目の色も変わろうという物だ。


「この娘、某が言うのもなんですが……ソッチの技術はかなりの物ですぞ。少なくともボロ雑巾のようになった天使よりは、お楽しみ頂けるかと」


 いやらしい手付きを交えて語った最後に、太郎丸は口の端を歪めて言った。「どうなさいます?」と。


「…………」


 一瞬の沈黙。悪魔たちは落ち着かない様子を見せ、ノエルとアデリーネ、そして太郎丸の間で視線を泳がせる。

 じわり、太郎丸の手に緊張の汗が滲んだ。

 ここまでは予定通り……だが連中がどう出るか、確かな事は何も無い。最悪、一挙両得を狙って襲い掛かって来る事さえ考えられた。そうなれば自分は、ノエルもアデリーネも見捨てて逃げなくてはならない。逃げて、逃げ延びて、仲間を集って再度ここへ……。悔しいが、無力な自分にはそれ以外に無いのだ。


「おい、商人」

「はい」


 刹那、緊張による集中が、太郎丸の時間を長く長く引き伸ばす。

 悪魔が口を開く……あれは『お断りだ』と告げようとする形か――。作戦は失敗だ! 一目散に逃げなくては!

 太郎丸が両脚に力を込める。だがそれよりも一瞬早く、隣で動く物があった。


「ふふっ……」


 ふわり、風に舞い、流れるような青み掛かった銀髪。澄んだ水の如き輝きが、一同の目に映る。

 アデリーネが髪をかき上げ、悪魔たちへと軽く微笑んだのだ。


「…………その女を置いて行け。天使は、くれてやる」

「あ……ありがとう、ございます」


 流れが変わった。太郎丸の全身から冷や汗がどっと噴出す。横目で見れば、アデリーネもこちらへと軽くウィンクを返して来た。その瞳は「このくらい余裕です」と語っている。

 伸るか反るか、こういった瀬戸際での駆け引きを繰り返し、アデリーネはノーウェイの屋敷で側室として生き永らえて来た。欲に塗れた悪魔など、彼女にとってみればヤりたい盛りの若造と同じ。掌の上で転がすのに、何の苦労があるというのだろう?


「では……」


 悪魔たちの脇をすり抜け、磔台へと歩を進める太郎丸。その耳に、悪魔たちの内緒話が聞こえて来る。


「良いのか、サークス様に告げず勝手な事して」

「どうせ最後には殺すつもりだったんだ、面倒は無い方が良いだろう」

「それにあれだけの上玉、中々お目に掛かれないぜ?」


 何もかもアデリーネ殿の予想通りか。感服の至りだ。

 心の中で呟いて、心からの賛辞をアデリーネへと送る太郎丸。だが彼が磔台へと登る頃、そのアデリーネは既に悪魔たちによって乱暴に押し倒されていた。

 背後から聞こえる絹が引き裂かれる音と下卑た歓声。自らの無力さに指先を震わせながら、太郎丸は剣を振るい、ノエルを縛る縄を切って捨てる。


「確かに天使、貰い受けた」


 しっかりと抱え上げた両の腕の中、ぐったりと横たわり、気を失ったノエル。間近で彼女を見た太郎丸は吐き気を覚える程の怒りに、我を忘れまいと魂を削らんばかりの努力を必要とした。

 そこに、かつての可憐な天使の姿は無い。

 体中の傷や痣は言わずもがな、特に酷いのが首よりも上だった。陽光を思わせる金髪は滅茶苦茶に毟り取られてざんばら髪となり、頭皮ごと剥れている部分まである。左目は潰れて大きく落ち窪み、右目は無事であるようだったが、目を閉じられぬように瞼が削ぎ落とされていた。鼻は折れ曲がり、歯は折られ、柔らかな唇も上下とも切り取られて歯茎が剥き出しとなっている。そして耳からも出血があり、果たして機能しているのかどうか怪しい所だ。


 この……下衆どもがッ!!


 今すぐ腰の剣を抜き、片っ端から切り捨ててくれる! 目の前が眩む程の怒りが、太郎丸を支配する。四肢の筋肉が膨れ上がり、全身の毛が逆立った。塵も残さず、木っ端微塵にしてくれよう!!

 だが振り向いた先では、アデリーネが悪魔の慰み物となりながらも目で訴えて来る。「早く行け」と。


「……っ!!」


 歯を食いしばり、アデリーネに頷き返す太郎丸。彼女の身体を張った頑張りを、自分如きが怒りに任せた行動で台無しにする事は出来ない。それこそが彼女に対する最大の冒涜だ。

 ノエルの肩にマントを掛け、その場から離れる太郎丸。

 村を抜け、篝火が遠く離れ、嬌声が遠退いてもまだ彼は速度を緩めず、川を渡り、山を越え、更に川をもうひとつ渡ってもまだ走り続ける。

 そうして月が空の頂点に達した頃になり、ようやく歩を緩めた。


「ここなら見つかるまい」


 山林の中にある岩壁の亀裂。幅は人が一人、横になってギリギリ通れる程度。高さも太郎丸の身長ほどしか無い。だが身を細めて中へと進んでみれば、大人四人程がゆったりと座れる空洞が広がっている。

 そこはエルフの隠里からの帰り道、ヤマトとアデリーネの三人で通り雨に降られてさ迷い歩き、偶然見つけた自然の休憩所。それと同時に、アデリーネと申し合わせた隠れ家でもある。


「ノエル殿、もう安心だ。ゆっくり休まれよ」


 枯葉のベッドに傷付いた天使を横たわらせると、ベルトポーチからありったけのポーションを取り出す太郎丸。それを丁寧にノエルの傷口に振りかけて行く。

 傷に反応し、淡い魔法の輝きを放ち始めるポーション。だが案の定、思ったような効果は出ない。悪魔の呪詛が、治癒を邪魔しているのだ。


「う……あ、あぅ……!」

「ノエル殿ッ!」


 傷が痛むのか、時折りノエルは苦しげに喘ぎ、身を捩った。額に手を当てれば、熱病にでも侵されたかの如き発熱がある。激しく汗をかき、うわ言のように何かを言っている。未だ目覚めぬ彼女がどんな悪夢を見ているのか、想像するだけで虫唾が走る。

 そんな中、太郎丸は聞いた。苦しげな吐息の中で、確かにノエルは呼んでいた。ある男の名を……何度も、何度も……まるで忘れる事を恐れているかのように、何度もだ。


「……ヤマトよ、お前は今、どこで何をしている」


 手持ちのポーション、その大半を使い切る頃、ようやくノエルの呼吸が穏やかになってきた。熱も随分と下がり、傷口から流れ出していた血も、とりあえずは止まったようだ。

 その事を確認し、太郎丸は立ち上がる。

 今、ノエルが最も必要としている男は居ない。自分に彼の代わりは不可能だ。しかし、やれる事はある。今ここに居る自分にしか出来ない事だ。


「ノエル殿、某は暫し留守にする。明日の朝には戻る故、ゆっくり眠るがよかろう」


 聞こえていないだろうと思いつつも、その旨を告げる太郎丸。

 腰の剣を確認し、鎧の留め具を絞め直すと、岩壁の隠れ家から外へと歩み出る。

 未だ月は空にあり、夜明けの時は、まだ遠い。だが……。


「もっと遠く、安全な場所まで逃げろとお主は言うのかもしれぬが……許せ、アデリーネ殿」


 太郎丸は道具袋に収められた、小さな布張りの箱に語りかける。強い衝撃でも受けたのか、その箱はひしゃげ、形を崩している。そして中に収められた品……小さな花びらが可愛らしい髪飾りもまた、壊れていた。


『太郎丸様、これを預かってもらえますか? 私の、とても大切な物なのです』


 どこか切なげな、アデリーネの言葉が蘇る。この壊れた髪飾りが如何様な物か計り知れたが、自らの身体を悪魔に差し出す事さえ厭わぬ娘が『大切な物』と言ったのだ。彼女の中でこの小さな物品がどれほど大きな意味を持つのか、それくらいはわかる。


「いま行くぞ!」


 揺るぎない決意を胸に、漆黒の人狼が月夜を駆ける。その姿、疾風迅雷が如く。

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