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第三十五話:悪魔の村(一)

このお話には残酷な表現と、性的な表現が含まれます。苦手な方は十分にご注意下さい。

 曇天が続く空模様と同じ胸中を抱え、太郎丸とアデリーネがその情報を掴んだのはつい先日。行方知れずとなったヤマトを見付けられぬまま、捜索開始から二週間が過ぎようとしていた日の事だった。


「天使を捕らえ嬲り者にしている村があると聞き、まさかと思い来てみたが……」

「そのまさか、でしたね」


 村から少し離れた雑木林の中。木陰に身を潜めて、太郎丸とアデリーネが囁きあう。彼らが見つめる村の広場……そこには十字に組んだ磔台があり、ボロボロとなった天使の娘が逆さに吊るされ、裸で晒し者にされていた。

 磔台へ横向きに通された棒。その両端に左右それぞれの足首を縛られて、脚を開いた状態でぶら下げられる天使。体中の至る所が傷付けられて乾いた血がこびり付き、何箇所かの真新しい傷からは、今も血が滲み出していた。

 足と違い腕は拘束されていないようだが、脱臼、あるいは骨折しているのだろう。ぶらりと力無く垂れ下がり、ピクリとも動かない。そして腕と同じく垂れ下がる一対の翼。骨を砕かれ羽を毟り取られたむき出しの地肌は、内出血が酷く赤紫色に染まっている。


「ノエル様……でしょうか?」

「そうで無い事を祈るが、多分……な」


 あまりにも変わり果てた姿に、遠目からでは本人であると確認できない。だがこの近隣でノエル以外に天使が居ない以上、磔台の天使が彼女である可能性は極めて高かった。


「先に聞いたお話とも、一致しますものね」


 アデリーネの言葉に黙って頷く太郎丸。

 村を占拠した悪魔たち。そのリーダー格である赤い鎧の男と馬顔の獣人は、捕えた天使の娘をノエルと呼んでいた――。噂の発生源でもある、村から逃げ出した住民たちの言葉だ。

 彼らによれば、その天使は成す術も無く悪魔に囚われ、今もなお良い様に弄ばれている、との事だ。


「酷い事をする……ともかく、あれが誰であれ助けぬわけには行くまい」

「はい、太郎丸様。ですが……」


 視線の先に見えるのは、磔台の下に群がる真っ赤な肌をした幾つかの人影。村の元住民であり、悪魔の甘言に耳を貸した愚か者たちだ。農具として使っていた鍬や鋤で武装し、見張りの如く磔台を取り囲んでいる。


「さて、どうした物か……」


 考え込む太郎丸。悪魔と化した元人間を相手に、どこまで戦えるだろうか?

 悪魔は確かに手強い存在であるが、倒せぬ存在では無い。憑いた相手が人間であるのなら、多くの場合において敏捷性で人狼が上回るだろう。ノーウェイの屋敷では不覚を取ったが……あれは別だ。相手が手強かった上に、倒したと思い油断していた。

 そういった稀な要素と自らの油断を取り除いて考えた場合、悪魔たちの不意を付いて磔台に飛び乗り、ノエルの拘束を解く……ここまでは良い、多分大丈夫だ。しかし、そこから先はどうだ。

 あの様子では、ノエルは自力で歩けまい。そうなれば担いで走らなくてはならない。いくら敏捷性で上回るとはいっても、人を担ぎ、無尽蔵ともいえるスタミナを持つ悪魔を相手に、果たして逃げ切れるだろうか?

 多分、無理だ。追いつかれてしまう。


「あの……太郎丸様、ちょっと宜しいですか?」

「む? どうなされた」


 アデリーネが遠慮がちに尋ねる。


「もしも私が悪魔たちの気を引けたなら……太郎丸様はノエル様を連れて、脱出できますか?」

「……!」


 可能だ。

 一分……いや、たとえ十数秒であっても時間を稼いでくれたなら、ほぼ間違い無く脱出し、身を隠す事ができる。その自信がある。

 だが太郎丸はその言葉をアデリーネに告げる事が出来なかった。それはそのまま、アデリーネに囮になれと告げるのと同じ意味であったからだ。


「可能なのですね? わかりました、では太郎丸様……」

「し、暫し待たれよアデリーネ殿! そのような事をしても、ノエル殿は喜ばぬぞ!?」


 太郎丸が言った言葉はアデリーネを思い留まらせる為、咄嗟に思いついた言葉だった。だが彼は、その言葉を口にした直後に激しく後悔する。自分の使った言葉が様々な意味を含む事に気付いたのだ。


「確かに仰られる通り、ノエル様は私に助けられたと知れば……きっと複雑なご気分になられるでしょうね」

「あ……い、いやその……」


 この知的なエルフの娘は、すぐ太郎丸の失言に気付き、チクリとやり返した。

 アデリーネは間違いなくヤマトを好いている。そしてノエルもまた、アデリーネの気持ちに気付いているフシがあり……云わばライバル関係の二人だ。そんな状態でアデリーネに助けられ、果たしてノエルは素直に喜べるだろうか?

 よりによって、この女に助けられてしまうなんて。これを理由に恩を売られるのではないか? ヤマトを取られるのではないか?

 明確に意識はせずとも、そういった不安に似た考えが頭を過ぎるであろう事は想像に難くない。アデリーネは恋敵を助けた上、そのように勘ぐられてしまうのだ。


「すまぬ、某が軽率だった……謝ろう。この通りだ」


 アデリーネは思慮深く、優しい娘だ。自分の存在こそがノエルを不安にさせる要素だと気付き、分を弁えて己を殺し、一歩下がってヤマトとノエルを見守っている。そんな彼女へ、自分はなんと浅はかな事を言ってしまったのか。太郎丸は思慮の足らない自分の言動を恥じ、深々と頭を下げた。

 だが彼女はくすりと微笑み、言ったのだ。


「冗談です、太郎丸様。どうぞ頭を上げて下さい――私、少し意地悪でしたね」


 申し訳ございません――。そう告げて、アデリーネは立ち上がる。


「私がここに居るのは、勿論ノエル様を助ける為。ですが、それだけではありません。もっと強く思うのは、少しでもヤマト様のお役に立ちたいと……そう思うからです」


 言いながらベルトポーチを外し、ソフトレザーの鎧を脱ぎ始めるアデリーネ。


「太郎丸様……私が初めて皆さんとお会いした日の事を覚えてらっしゃいますか? 私は覚えております、昨日の事のように」


 最初、ヤマトを屋敷で見た時――半裸の自分をじっと見つめる小柄な少年に、アデリーネは微かな興味を抱いた。

 ノーウェイに身体を預ける自分に対し、大半の者は蔑んだ目で見るか、好色な目を向けるか、無関心を貫くか。そのどれかだった。それに当てはめるなら、最初のヤマトは好色な目でアデリーネを見ていた事になるだろう。

 だが彼は自分と目が合うと、顔を真っ赤にして目を逸らせた。単純に女性に慣れていないだけかと思って見ていると……直後に鼻血を噴出し、天使の娘に甲斐甲斐しく介抱され始めたではないか。


「初めてヤマト様とノエル様を見た時に思ったのです。なんて可愛らしい二人だろう、と。あの人たちと話をして、一緒に過す事ができれば……こんな私にでも、少しくらいは幸せを別けてもらえるのではないかと」


 日々美貌を磨き、互いに蹴落としあうノーウェイの側室というポジション。互いに腹を探り合う屋敷の中にあってアデリーネは、誰かと一緒に過したいと思う事など、完全に無くなっていた。

 そこへ彼が現れたのだ。微かにでも興味を抱ける対象……初心で純真そうで正直で、素直に好意を寄せる事のできそうな男性が。


「ですからヤマト様が私を庇って下さった時……本当に嬉しかった。運命という物があるのなら、これの事なのだと真剣に思いました」


 鎧を脱ぎ捨て、軽装となったアデリーネ。さらにゴワゴワとした上着とズボンを脱いで、丈の長いペチコート――下着同然のワンピースに似た物だ――それだけを身に付け、ブーツも脱いでサンダルに履き替える。


「そして太郎丸様とお二人、生まれ故郷と古い友人を救って頂き……更には進むべき道まで示して下さいました。いくら感謝しても、し足りない程です」


 ザックを開いて小さな手鏡を取り出し、軽く化粧を叩く。そして最後に、小さな花びらの付いた壊れた髪留めを外し……アップにしていた髪を下ろした。


「ん、よし。こんなものかしら……如何です?」

「お、おぉ……」


 感想を求められ、太郎丸は思わず言葉に詰まってしまった。

 アデリーネは鎧や上着を脱いで、髪型を変えただけだ。しかし先程までからは一転、種族の違う太郎丸でさえも一瞬どきりとさせられる色気が、今の彼女からは漂っている。

 女は化けるという言葉の意味を、身を持って知る太郎丸。コクコクと頷く事しか出来ない。

 そんな人狼の様子に満足気な微笑みを返し、アデリーネは村の方へと……囚われの天使へと視線を向ける。


「ですから太郎丸様、ご恩を返す機会を私に下さいませ。遠慮はいりません。私の事は、使えば敵の気を逸らせる道具とでも考え、存分にご活用下さい。ノエル様がどう思われようと、ヤマト様の為に私が出来る事といえばこれくらいしかありませんし……私自身がそうする事を望んでおります」

「あ……アデリーネ殿!」


 太郎丸は思う。自分はどこまで無力なのかと。

 故郷に居た頃、そしてサークスと一緒に居た頃は、自分は強いと思っていた。評価されているレベルよりも真の実力では上だと、そんな自負さえ持っていた。だがヤマトたちと行動を共にするようになり、本当の強さという物を知る。

 好いた女の為に身を削り、形振り構わずがむしゃらに、全力で進む男。

 好いた男の為に種族の本分を捨て、常に寄り添い、共に歩もうとする女。

 そして叶わぬ想いと知りつつも、好いた男の為に自らの全てを投げ打ち、捧げる覚悟を決める……今、目の前にいる娘だ。

 彼らに比べ、自分のなんと弱き事、小さき事、情け無き事……。


「か、かたじけないッ!! この太郎丸、全力を持って……命を賭して事に臨むと誓う!!」


 人狼の両眼から、熱い雫が零れ落ちた。

 絶対にやり遂げる。何が何でも、全力で、命の限り、あらゆる手段を持ってしてもアデリーネの気持ちを無駄にはしない。自分がどれほど弱かろうと、無力であろうと関係無い。

 今こそ、男を見せる時なのだ。

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