第三十三話:悪魔の姦計(二)
村の中央広場。普段の昼間ならば主婦たちが集って語らい、子供が駆け回り、秋にはちょっとした祭りでも開かれているのだろう。
暗闇の中、松明を手に広場に集まる人々……村人、ほぼ全員だろうか? 夜である事もあってか高齢者の姿は少なく感じられたが、それでもかなりの人数だ。
彼らは広場の片側に集まり、どこか浮かない表情で広場の反対側をじっと見ている。
「ああ、来たのかノエル。もう少し経ってから呼びに行こうと思ってたんだけど、手間が省けたよ」
村人たちがじっと見る先……広場の中で最も見通しが良い位置に陣取っていたサークスが、家の影から広場をこっそり覗き見ていたノエルに気付き、声を掛けた。
しまった、と思ったノエルだったが、こうなっては仕方ない。大人しく皆の前へと姿を現す。
「どうも……」
「やあノエル、良い夜だね。天使は色々と光って目立つから、隠密活動には向かないようだ。今も物陰から光が漏れていたよ」
「お恥かしい限りです……それはそうとサークスさん。こんな真夜中に何を?」
視線を感じながら、広場を見渡すノエル。概ね覗いた時と変わりなかったが、少し見え辛い場所に馬の獣人バラが、意味ありげな微笑を湛えて立っていた。
「何の集まりかって? いや、ちょっとね……村の様子を見てて、実験をしてみたくなったんだ」
ゆっくりとした口調で語り出すサークス。彼は何故か、前回の探索行で手に入れた伝説の装備『賢者の鎧』を身に纏っていた。全ての攻撃を無効化する、ある意味で究極の鎧。しかしノエルには鎧の色……松明の炎を映して輝く、傷口から湧き出す血のような真紅の外装が、白銀のサークスと呼ばれる彼には相応しくないと感じられた。
「僕はずっと前から考えていた。天使の力の源は何なのだろう、と。だって、おかしいじゃないか。殆どの生き物は何かを食べて生き、悪魔でさえ人の欲望を糧とすル。それなのに天使は? 何を糧にして生きてイるんだ?」
「……サークスさん?」
サークスの様子がおかしい。いや……冷静に振り返ってみれば、しばらく前からおかしかった。
どこかドライでビジネスライクな部分がありつつも、基本的には善人でパーティーの為に最善を尽くそうと努力するサークス。伝説の武具捜索に情熱を傾ける、男性らしく熱い一面も持っている――そんな彼のイメージから、今の彼が剥離し始めたのは何時頃からだったろう?
「そして僕は思イ至った。神は、人々の信仰心を力とする。だとすれば、その僕たる天使も同じでは無イのカ? と」
「あなたは、一体何を……」
ノエルがサークスを問い詰めようと一歩を踏み出した瞬間だ。彼は腰の剣を抜いた。そしてそのままの勢いで、ノエル目掛けて横薙ぎに刃を振るう!
「食らえ! 滅空ッ!!」
魔力迸る銀の刃から濁流のように膨れ上がる衝撃波。粉塵を巻き上げながら、たった数発で巨大なスライムを蒸発させ、ノーウェイの屋敷を半壊させた威力がノエルに襲い掛かる。
もしも彼女が無力な女性であったなら、今頃跡形も無く吹き飛び、広場に集う人々もまた粉々に砕け散っていただろう。だが、そうはならない。
「何をなさるんです、サークスさん」
軽く手をかざして平然と立ち、天使ノエルが言う。彼女は無事だ、村人たちも傷一つ負っていない。それどころか何が起こったのかさえ理解していないだろう。
サークスの前面に形成された光の膜。ノエルによって作り出されたオーロラのように優雅な動きを見せるその薄い膜が、放たれた必殺の衝撃波を受け止め、風さえも、音さえも防ぎ霧散させたのだ。
「流石は天使! だが、これならどうだッ!」
下段に構え、剣の刃に魔力を収束させるサークス。集めた魔力を爆発させるのではなく、集中し、切れ味を増す事に特化させた技。名付けて……。
「裂空ッ!!」
空を裂き、鋼さえもバターのように切り裂く刃が、華奢な天使の身体を捉えた……かに見えた。
「無駄ですよ」
魔力を帯びた銀の剣はノエルに届く事さえ無く、彼女の手前で光の壁に弾かれた。剣に集まっていた魔力が弾け、眩いばかりの光を放つ。絶対的な天使の力は、人類最強クラスの実力者が放つ渾身の攻撃でさえも揺るぐ事は無い。
「こんな事をして、何のつもりで……?」
追求を深めようと、口調を強くした時……ノエルは彼の異変に気付いた。
「あの、サークスさん? それは、その目は……!」
ノエルが見咎めた物。それは彼が身に付ける鎧と同じ、真っ赤な色に爛々と輝くサークスの目だった。その赤色は深く暗く、今までに何度も見た、欲望に負けて魂を売り渡した者たちの色。
「チッ……やっぱりダメだね。全力を出すと影響を隠し切れなイ。ワリと高性能な身体だけど、こればかリは仕方なシか」
「悪魔憑き……!? まさか、そんなっ!」
あれほど強い男性が、悪魔に魂を売るような事が現実にあるのだろうか? そんなノエルの先入観が瞳を曇らせ、発見を遅らせた。この所ずっと側に居ながらサークスが悪魔憑きとなっていた事に気付かなかった。対悪魔のエキスパートとも呼べる天使が、なんという体たらくだろう!?
「気に病む事は無いよノエル。この所、ゴタゴタとしていたからね。天使としての本分に目が向いていなかったとしてモ……誰もキミを責められなイ」
「くっ……サークスさんの口を使って、悪魔がっ! 知った風にっ!!」
声を上げ、翼を広げるノエル。眩い光の粒が風に踊って弧を描き、夜空に星屑となって舞い広がる。
ノエルは怒っていた。サークスを惑わせた悪魔に……それに気付かなかった自分自身に。いくら知り合いでも、世話になった恩人でも、悪魔に魂を売った者を野放しには出来ない。滅ぼすしか無いのだ。サークスが甘言に惑わされるより前に、いくらかでも兆候に気付けていれば食い止める事が出来たかもしれない。だが、もう遅い。こうなってからでは、救う事は出来ない。
「罪をっ! 悔い改めて下さい!!」
ノエルが右手を突き出すと辺りを漂っていた光子が集まって輝く槍となり、その手に収まった。すぐさま投擲の構えを取るノエル。狙うはサークス、ただ一人!
「ブヒッ! 俺を忘れてもらっちゃ困るよ、ノエルちゃあぁぁん!!」
だがノエルの行動を阻止しようと、バラが背後から飛び掛かった。右手にはメイスと呼ばれる金属製の鈍器。当たれば人の頭蓋を粉々に吹き飛ばす威力を秘めたその武器で、ノエルの頭部を狙う――だが!
「どいてて下さいッ!!」
一喝!
ノエルの発した気迫は衝撃波となり、自身の倍はあろうかという巨躯の獣人を、広場の端まで弾き飛ばした。
積み上げられていた角材の山に激突して半ばまでめり込み、目を回すバラ。そんな彼を捨て置いて、ノエルは創り上げた光の槍を改めてサークス目掛けて投げ付ける。
暗闇に光の軌跡が刻まれた……そう認識された直後、狙い違わずサークスの胸板に命中、そして爆発! 聖なる光は質量を伴わず、何かが吹き飛ぶような事は無かったが、あまりに凄まじい光量に人々は目を覆い顔を背ける。
「……こんな事になるなんて……」
呟くノエル。光の槍はサークスの心臓を貫いた筈だ。
悪魔憑きは全身を完全に焼き尽くさぬ限り、その凄まじいタフネスで再び蘇ってくる事も多い。だが人の姿を多く残す今のサークス程度であれば、心臓を失えば命を保つ事は出来ないだろう。
そう考え、彼の状態を確かめる事無くノエルは集中を解く。それは光の槍に貫かれ、無残にも傷付いた恩人の姿を見たくないという無意識が働いての事だったろう。
だが彼女は知る事となる。それがいらぬ心配であったと、目の前に現れた現実によって。
「やれやれ、ヒドいな。相手が悪魔だとわかると、本当にキミは容赦が無いネ」
「……!?」
我が目を疑うノエル。光の槍を受けたはずのサークスが、平然と自分の前に立っている。傷一つ無く、いつもと同じ薄笑いを浮かべ、真っ赤な鎧もそのままに。
「あ……!」
「そうイう事さ、ノエル」
賢者の鎧だ。伝説に名を残す鎧は、あろう事か天使の一撃さえも無効化して見せたのだ。
「ま、天使といえど……こんなモノ、というワケだね」
サークスの台詞に同様を隠し切れないノエル。それはこの場で戦いを見守る住民たちにしても同じだった。悪魔を倒すために創られたと噂される鎧が、悪魔の力となってしまったのだ。
「さて。ではソロソロ、こちらのターンといった頃合か」
余裕の表情で佇むサークス。彼は剣先をノエルに突きつけ、こう宣言した。
「後ろの連中……彼らの命が惜しければ、僕の言う事を聞くんだ」
「……人質のつもりですか? 汚い真似を……ですが無駄ですよ」
人質を取られてもなお、凛とした態度を崩さないノエル。それは天使として、人の命よりも悪魔を滅ぼす事が大事……という意味では無い。
「サークスさんには見えないかもしれませんが、住民の方々と私たちの間に光の壁を展開しています。先程の攻撃くらいで、この壁は破れません」
サークスが悪魔憑きと知れた時、ノエルは光を操ってドーム状の壁を創り出し、住民たちを囲っていた。それは人質を取られる事を避け、戦闘の余波から彼らを守る為。悪知恵の働く悪魔から人々を守ろうと、ノエルが巡らせた予防線だった。
しかし悪魔の奸策は、天使のそれを上回る。
「キミにも見えてないみたいだね。良く見てご覧よ、住民の皆さんを」
「……?」
サークスに言われるがまま、そっと視線を背後へと移すノエル……そして気付いた。
立ち並ぶ人々。その内の何人かの目が、血のように赤い。サークスと同じ、真紅の輝きを放っている!
「あらかじめ何人か、キミたちの言葉で言う所の悪魔憑きを紛れ込ませてアル。ついさっき目覚めたばかりだから力は弱いけど、お隣さんを縊り殺すくらいなら一瞬だヨ」
「なっ……!」
ノエルの表情から余裕が消えた。今、彼女の位置から見えているだけでも三人。人の影になっている者を含めれば、何人くらいの悪魔憑きが居るのだろう? 四人、いや五人か? そのくらいなら一気にまとめて滅ぼせるかもしれない。だがそれにしたって、しっかりと位置が判明していると仮定しての話。どこに隠れているかもわからない悪魔だけを一瞬でピンポイントで、しかも複数体倒すのは……無理だ。
「……わかりました、サークスさん。あなたに従いましょう」
「話が早くて結構だねノエル」
「ですが、どうするつもりです? 先に言っておきますが、天使の防御能力は無意識の物。意図してオフにしたりは出来ないのです。ですから私を倒そうにも、あなたでは傷一つ付ける事はできませんよ」
なるべく言葉を選び説明するノエルに、サークスはいつもの薄笑いを浮かべる。冷たい氷を思わせる、薄気味の悪い笑みだ。
「だから……実験なのさ」
サークスは言った。
神は人々の信仰によって力を得る。もし天使もそれに順ずるのなら、その信仰心を無くしてやればどうだ?
「信仰……すなわち信じる心。偉大な存在を心の拠り所として頼る気持ちだ。人々の、天使に対するそんな気持ちヲ全て奪った場合、一体どうなるのか……気になるよネ?」
語り終えた時、ノエルの顔色が明らかに変わった事をサークスは見逃さなかった。やはり、と確信じみた手応えがある。
これまでに見たノエルの立ち振る舞い……誰にも嫌われないように、大勢の者から好かれるように。ヤマトの前でだけ見せる素の自分を殺し、天使としての体裁を重んじた行動。それらは全て、天使の力の源である信仰を保つ為では無かっただろうか?
そうであるなら色々と合点が行く。
何故ヤマトが必要以上に自身を悪者としていたか、やけに周囲から嫌われていたか――きっと彼は知っていたのだ。ノエルの……天使の止むを得ない事情を。だから自分に悪意を集中させる事で、彼女を庇っていたのだ。
そしてヤマトが去った夜、ノエルは後を追わなかった。太郎丸とアデリーネが去った時もだ。これは天使という種族が持つ防衛本能、あるいは神の束縛であったのだろう。みんなに平等で、誰からも愛される天使である為に――。
「というわけで、ノエル」
青ざめる天使へと、笑顔のまま剣を突きつけるサークス。あの邪魔な小僧が一人居ないだけで、これほどスムーズに事が進むとは。雑魚は雑魚なりに役立っていたという事だろう。
「キミにはこれから、堕ちてもらウ。後ろの連中が信仰の対象としてキミを見れなくなるまで、徹底的に……ネ」
「……!」
ノエルは思った。自分は、ここで死ぬかもしれないと。
かつて地上に降りたその日に感じた絶望。それと全く同じ物が、足音を立てて直近にまで迫っている。
「まずは、そうだな……服を脱いでもらおうカ」
ノエルはもう少し早く、彼の下へと飛ぶべきだったのだ。