第二話:ダメ人間と優秀天使
――翌日。
抜けるような青空に日は高く昇り、人々は食い扶持を求め労働に精を出す時間帯。街に何件かある食堂の中でも、値段とボリュームには定評のある店にヤマトはいた。
目の前には焼きたてパンとカットチーズが並び、香ばしい芳香でもって『私を食べて』と誘いをかけている。しかし彼はそんな誘惑に目もくれず、ジョッキになみなみと注がれたミルクをちびりちびりと舐めるように味わうのみ。
ヤマトは、酷く疲れているのだ。と言ってもミノタウロス戦の疲れが残っているわけでは無い。疲れの発生源が現在進行形で目の前に居るからだ。
「ちょっとヤマト、聞いてるの? 昨日のミノタウロス退治、あなた一人じゃ受けられないレベルの依頼だったよ!?」
可愛らしくも厳しい叱責の声が食堂内に響く。
腰に両手を当てヤマトの前に仁王立ちするのは天使の少女ノエル。輝く金髪に純白の翼、ゆったりとした白いローブを纏った姿は優しい天使のイメージそのものだ。しかし、声を荒げる度に頭上で輝く天使の光輪が光を強めるのは、彼女が本気で怒っている証拠だったりする。
「ヤマト! き、い、て、る、の!?」
「聞いてるよ、うるさいな……」
言葉のリズムに合わせてバシバシと机を叩くノエル。パンとチーズもそれに合わせて跳ね踊る。いい加減無視する事もできなくなって、ヤマトが渋々といった様子で口を開いた。
「別に良いだろ? 何も悪い事したワケじゃねぇし、冒険者規定だって違反してないぜ。何より、ちゃんと依頼達成してる。結果オーライだ」
「良くない!!」
大声と共に、ばんっ、と勢い良く机へ叩きつけられる一枚の羊皮紙。紙には昨日倒したミノタウロスのイラストと共に、生息場所や倒した際の懸賞金、そして注意事項など様々な事柄が書かれている。
「これ、昨日ヤマトが受けた依頼の募集要項よ。ここ、ちゃんと見た?」
ノエルが指差した先には『推奨合計レベル20以上』と書かれている。
「書いてある意味、わかる? これはね、一緒に戦う仲間のレベルが、合計20以上の方にオススメです、って意味なのよ?」
「わかってるよ、そんな事くらい」
「じゃあヤマト、あなたの冒険者レベルは? 組合から認定されてるレベルはいくつ?」
腰を曲げ、ヤマトへ顔を近付けるノエル。パンやチーズとは性質の違う良い香りが少年の鼻腔をくすぐり、屈んだ事によって広がったローブの胸元から、白く柔らかな膨らみが見えそうになっているのだが……。
「あなたのレベルは、い、く、つ、で、す、かっ!?」
急かす言葉に合わせ、ばんばんっと机を叩くノエル。胸元を覗き込んでいる場合では無いようだ。
「よ……4だけど」
「でしょう!? じゃあわかるよね、レベル4と20の違い! 5倍よ、5倍! 差は16! これって猫と虎くらいの差なのよ、わかってる!?」
レベルとは、個人の総合的な能力を簡略化して数値に置き換えたものだ。一般人の平均をレベル1とし、経験を積み、功績を重ねて周囲に実力を認められるたびに数値が上昇して行く。つまり大雑把に言えば数字が大きいほど強い、という事になる。
「でもな、絶対に20以上じゃなきゃダメってワケじゃ……」
翼をはためかせて強弁するノエルに反論しようと口を開くヤマトだったが……。
「ダメよ!」
一喝され、口を閉じる羽目になる。
「ヤマト、あなた昨日ミノタウロスと一対一で戦って、勝てそうだと思った? ヤマトはレベル4だけど、それは数字上の話だけで、本当はレベル20相当の実力があるの?」
真っ直ぐな瞳で見つめられ、ヤマトは言葉に詰まる。
無茶をしているという自覚はあった。だが推奨レベルがいくつだろうと、相手がミノタウロスであれば善戦できる自身がヤマトにはあったのだ。十回戦って、七回くらいは……いや、五回くらいなら勝てるだろうか? 運の要素が絡むが、勝てない相手ではない。
「確かに俺はレベル20の奴ほど強く無いけどさ、牛が相手だったら十分勝ち目は……」
「あのねヤマト。レベル20の人はね、十回やれば十回勝つの。それが『レベル20のくせに弱い』って言われてる人だとしても、レベル20に認定されてる人なら、ミノタウロスに危なげ無く勝っちゃうの」
思わず口を噤むヤマトに、ノエルは優しく諭すように語り掛ける。
「冒険者への依頼って、色々危ない事が多いでしょ? 何かと戦ったり、危険な所へ行ったり。だから推奨レベルの所には確実に依頼をこなせるだろうってレベルが書いてあるの」
昨日の自分を振り返るヤマト。もしノエルが来なければ、無茶な依頼を受けて失敗した馬鹿な冒険者として屍を晒す羽目になっていただろう。
「別に推奨レベルが絶対だ、って言ってるわけじゃないの。それにヤマトが弱いとか、そういう事を言いたいわけでも無いの。でもね、わざわざ推奨されてるって事は……」
「はいはい、わかった、わかったよ。人間風情が無茶すんなって事だろ? いちいち説教臭いんだよ」
天使の至言を口うるさいと切って捨て、ヤマトは強引に会話を終了させた。似たような事を毎回のように言われているのだ。いい加減、聞き飽きる。
「もう、またそうやって卑屈になる……」
「わかったって言ってるだろ。昨日は無茶しすぎた、反省してるよ」
また口を開きかけたノエルだったが、ヤマトの台詞に「全く、もう」と溜息混じりに呟くと、腰のベルトポーチを開いてゴソゴソと中を漁り始める。
「本当に次は気をつけてよね……じゃあ、はいコレ」
ノエルが取り出したのはコブシ大の革袋だった。机の上に置かれたそれは、じゃらりと金属音をさせて形を変える。中身はどうやら銀貨のようだ。
「カネか……どうしたんだよコレ? 結構な額だぞ。盗んだのか?」
「そんなわけ無いでしょ! ミノタウロス退治の報奨金よ。昨日の内に冒険者組合で受け取っておいたの」
冒険者組合、報奨金。両方ともヤマトにとっては聞きなれた言葉である。
ヤマトやノエルは一般に『冒険者』と呼ばれる者たちの一人だ。様々な危険が予想される事柄を仕事として請け負い、その報酬として金銭を受け取り生活の糧としている。
そして冒険者が仕事を請け負う際に発生する金銭のやり取り、仕事内容の確認などといった事務的な事柄を統括し、取り仕切っているのが『冒険者組合』だ。
冒険者を名乗る者は全員この組合に所属し、組合の定めたルールに則って活動している。
「はい、ヤマト。あなたと私で半分こね。回復してあげたんだから、それで良いでしょ?」
「俺はいいよ。お前が全部取っとけ」
そう言うとヤマトは、革袋をフォークの先で器用に持ち上げてノエルへと投げ渡す。胸でそれを受け、きょとんとした表情でノエルは問い返した。
「どうして? ヤマトが受けた依頼なんだから、本当なら全部ヤマトが取ったって良いんだよ?」
「バカ言え。一緒に倒したってんならまだしも、結局あの牛を倒したのお前じゃねえか。俺は何にもして無いんだ、報酬なんか貰えるかよ」
「えぇ~!? 確かにトドメは私だったかもしれないけど、ヤマトだって頑張ったじゃない。そんな意地張らなくても……」
がたん、と机を揺らして立ち上がるヤマト。どこへ行くのかを聞こうとするノエルには構わず、ごちそうさまと言い放って店を出る。その後を追いかけようとしたノエルだったが……。
「ちょっと待ちな、天使のお譲ちゃん」
食堂の主人に呼び止められる。
「食い逃げは困るな。彼氏のメシ代、代わりに払ってくれるかい?」
「か……彼氏じゃありません!」
抗議の声を上げるノエルを尻目に、ヤマトの姿は街の雑踏へと消えていった。