第二十七話:馬鹿な男
賢者の鎧探索から全員が無事に戻って、今日で二日目。
いつもの街の、いつもの「ほろ酔い亭」は、いつもよりも少し賑わっていた。
「この間はありがとう、お陰で鎧を見つける事が出来たよ」
食堂の中央で、サークスとノエルが探索の参加者に銀貨の詰まった袋を手渡している。冒険の成功報酬だ。
笑顔でそれを受け取った冒険者たちは口々に賢者の鎧発見を喜び、サークスを、そしてノエルを褒め称える。
「あっという間に伝説級の装備を二つも揃えるとは。やはり噂の二人がコンビを組むと一味違うな」
「しかも誰一人犠牲者を出さずに、だからな。格が違うよ」
困ったように笑う、サークスとノエル。だが同時にどこか誇らしげでもあり、満更でもないといった様子だ。
「どうだい、二人とも。もう結婚でもして、ずっと二人で冒険してみたら?」
銀貨の袋を受け取って嬉しそうな年配冒険者が、からかうような口調で言った。
照れて笑うサークスと、曖昧な笑顔を浮かべるノエルに、周りから賛同の声が上がり、冷やかしの口笛が鳴り響く。
「……チッ」
そんな中、笑顔の中心から離れた食堂の隅で、小さな舌打ちがなされた。
ヤマトだ。独りテーブルに腰掛け、硬いパンを齧りミルクを啜って、明るい声に聞き耳を立てる……そして舌打ち。これで何度目だろう?
気に入らない。何もかも、気に入らない。
まず、ノエルとサークスがいつの間にかカップルのように認識されていると言う事が気に入らない。
別にヤマトはノエルと付き合っているわけでも無いし、保護者というわけでも無い。だから口出しする権利など全く持って無いのだが、楽しげに笑う二人を見るだけで癪に障る。頭に来る。
サークスがさり気無くノエルの腰に手を回しているのも気に食わないし、ノエルの奴がそれを拒まず、サークスから貰ったと言う金の髪飾りを、ずっと大事そうに着けているというのも、非常に気に入らない。
そしてもう一つ。
「どうして誰も疑問に思わねぇんだよ……」
それは二日前、サークスが谷底から生還した時の状況だ。
サークスの鎧と剣には、明らかに戦いの痕跡があった。直前に響いた地響きも、彼の凄まじい剣技がもたらした物だろう。
だが崖上へとサークスが生還した時、彼は傷を負っていなかった。血痕は残っていたが、血は止まって傷は塞がり、打撲も殆どが癒えていた。これは治療をしたノエルが言ったのだから、間違い無い。
そして彼はその時、驚くべき離れ業をやってのけた。気を失った大柄な獣人を二人も抱え、背中に重い鎧を背負ってロープを昇ったという事だ。
皆は「火事場の馬鹿力だ」とか「流石は高レベル冒険者だ」とか言って持て囃したが……本当にそんな事が、人間に可能なのか?
サークスよりも一回り大きいバラとガイラン。二人とも逞しい筋肉を持つ、非常に大柄な獣人だ。きっとヤマトでは、一人を持ち上げる事さえ難しいだろう。
物凄いピンチだったから信じられない力が出た? 確かに有り得る事だ。だがしかし、それにしたって異様過ぎないだろうか?
「……チッ!」
思わず舌打ちが出る。
誰かにこの事を相談したい。誰かの意見を聞きたい。だが、ヤマトには相談相手が居ない。
ノエルは最近、サークスにぺったりだ。とても話を出来る状況では無い。
太郎丸は例のガイランという獣人を見かけた日から普段にも増して無口になり、一人で何事か考えている時間が増えた。今日も朝から、どこかへと姿を消している。
アデリーネはと言えば、伝説の武具の在り処を写した羊皮紙を片手に、毎日のように街の書庫に篭っている。彼女なりに何か思う所があるのだろう。
そしてこの街に住む大半の者は、ヤマトの事を快く思っていない。聖女ノエルを独り占めしていた、ろくでなしの屑……そんな意見が大勢を占めているのだ。
つまり今、彼の周りには親しい者が誰一人居ないのだ。
「どうしたモンかねぇ……」
「何が、どうしたんだい?」
ヤマトの独り言に応える者があった。
サークスだ。いつの間にかヤマトの居るテーブルに歩み寄り、椅子の背に手を掛けて優雅に佇んでいる。
「よう、サークス。ご苦労さん。傷の方はもう大丈夫か?」
「ああ、おかげ様でね。流石はノエルさんだよ、あっという間に全快さ」
嘘だ。傷は、崖の上に戻った時点で塞がっていた。
「バラとガイランって言ったっけ? あいつらも?」
「うん、元気だよ。今日は鎧の鑑定に、魔法屋へ行ってもらってる」
確かその二人も、かなりの出血をした痕跡があった。鎧に血が溜り、全身の毛が血で真っ赤に染まる程に。だがサークスと同じく崖の上で見た時に、そんな傷は見当たらなかった。
どうする? カマを掛けてみるか……?
「そういやサークス、あの時谷の底で何かと戦ったんだよな? それ……」
「そんな事より、ヤマト君」
ヤマトの声を遮り、サークスが持っていた革袋を勢い良く机の上に置いた。他の冒険者に配っていたのと同じ、報酬の入った革袋だ。だが少しだけ開いた口から覗いているのは、眩いばかりの金色の輝き。
「おい、これって……」
「そうだよ、金貨だ」
重そうな革袋には、金貨が目一杯詰まっていたのだ。その価値は銀貨の百倍に及ぶ。これだけあれば何年も……慎ましい生活をするのであれば一生だって、のんびりと暮らして行けるだろう。
「何だよ、これ? 随分多くないか?」
「ああ、これはね……」
言葉を区切り、一呼吸置いてサークスが言った。
「手切れ金さ」
どういうつもりだ? そう聞こうとしたヤマトよりも早く、サークスが答える。
「ヤマト君。キミに……パーティーを抜けて欲しい。そしてノエルさんとも手を切り、二度と僕らの前に姿を現さないで欲しいんだ」
チッ!
ヤマトの舌打ちが響く。
「これだけあれば、当分は生活には困らないはずだ。たしか……妹さんが居るんだよね? だったら兄妹で仲良く慎ましく……」
「断る」
即座に答えるヤマト。
「サークス、テメェにゃ悪いが、俺は冒険者を辞めるつもりは無ぇ! ノエルと手を切るつもりもな!」
「そうかい。それは……ノエルさんの事が好きだから?」
ストレートな質問だった。
ヤマトはこれまで、ノエルに対する正直な気持ちを一度も口にした事が無い。だからだろうか? 今更、言葉にしてしまう事が憚られ、思わず口篭ってしまう。
「…………悪いかよ」
だが、ここで引いたら負ける。そんな気がして、辛うじて、それだけを口にした。
「そうか、まぁ気持ちはわかるよ。身分違いだとはわかってても、熱い想いは止められない……ってヤツだね。ま、あれだけ美しい天使なんだ。近くに居て、好きにならない方がおかしいさ」
納得し、頷くサークス。どこか上から目線に感じるのは、ヤマトのひがみ根性あっての事か。
「これでキミがノエルさんと離れたがらない理由はわかった。でも、ノエルさんの方は?」
一瞬、サークスの表情が邪悪に歪む。
「実はキミから離れたがってるんじゃないか? 考えてみたまえ、もし仮に告白したとして、だよ」
椅子に両手でもたれかかり、薄い笑いを浮かべて続ける。
「昨日まで弟のように可愛がってた男の子に、突然告白されるノエルさん。困るよね? 困るだろう。キミを傷付けたくは無いが、かといって受諾も出来ない。だって、所詮は弟だもの……男としては見れない」
常に頭の片隅でモヤモヤとしている考えを、言葉として明確にされ、ヤマトの心が軋む。まるで打ち身痕を強く押すような、鈍く、それでいて耐え難い痛みだ。
反論したかったが、言葉が出てこない。なぜなら自分の中にある悪い予想。それと合致しているのだから。
「でも良かったじゃないか、これまで一緒に居れたんだから。もう満足だろう? ヤマト君は大金を手に入れて冒険者を引退。ノエルさんには相応しい仲間が見つかった上、キミの面倒も見なくて良くなった……そう考えれば、万々歳じゃないか」
と、そこまで一気に喋ったサークスがふと喋るのを止め、少しだけ声色を落して聞いた。
「それとも……ノエルさんには、キミと一緒に居たいと思う、居なければならない理由でもあるのかな?」
先程までの明るい調子から一転。深く、澱んだ声。
「例えば、キミが近くに居ないと、ノエルさんが力を発揮できない……とか?」
唐突なサークスの質問に、ヤマトは言葉に詰まる。
「何言ってんだ? そんなワケねぇだろ。サークス、お前……」
「いやなに、そんな事を聞いたのに深い理由は無いんだ。これまで、どうして彼女が格下のキミとずっと一緒に行動してたのか気になっててね。もしやと思ったんだが……違うのか」
この男……サークスは一体、何を考えている?
ヤマトは眼前の優男に底知れぬ気味の悪さを感じ、知らず知らず背中に嫌な汗をかいていた。このまま放っておいたら、大変な事になるんじゃないか? そんな予感がある。
「だっておかしいじゃないか。血の繋がらない男女が二人一緒に十年近くも居て、何も無いだなんて。他の理由を勘ぐらない方がおかしいだろ? 現に、この数ヶ月。キミが居ない間に僕たちは……」
また明るくなったサークスの声色。そこから次々に飛び出す言葉に、少年の胸が嫌な高鳴りを覚える。それ以上は聞きたくない……そう思った時だった。
「どうしたの、二人とも。難しい顔して?」
話題の中心たるノエルが、ひょっこりとやって来た。どうやら何も知らないらしく、無邪気な表情でヤマトに話し掛けて来る。
「今回の報酬、貰ったんだよね? 私、また近い内にスダチちゃんの所に届けて来るよ。良かったら、いま預かっとこうか?」
「あ、あぁ……いや……」
ノエルの優しい笑顔を前にどうして良いかわからず、曖昧な返事を返すヤマト。
全ての疑問をこの場でぶっちゃけて、サークスに確信を迫るべきか? それとも信頼できる仲間……ノエルや太郎丸、アデリーネに話をして意見を聞くべきか?
ヤマトが悩んだ一瞬を、サークスは決して見逃さなかった。
「ノエルさん」
「はい?」
ノエルが返事をして、サークスの方へと振り向いた瞬間だ。
「…………!!」
サークスはノエルの身体を抱き寄せ、彼女の唇を奪った。
時間にして、数秒程の事だったろう。だが、永遠にも感じられる程……長い、長い瞬間だった。
「なっ……何をなさるんですかっ!?」
両手でサークスを突き飛ばし、唇を拭うノエル。自分のされた事が信じられない、そんな様子だ。
「良いじゃないかノエル、このくらい。海辺で肌も露わなキミに口付けた事、忘れたのか?」
「あれはっ……!」
海底洞窟で青い小石を取った際、ノエルは気を失ってしまった。その後、助け出されたものの呼吸をしていなかった彼女に、サークスは応急処置として人工呼吸を施したのだ。後でそれを告げた際、サークスは何度もノエルに謝っていたが……。
「事実じゃないか。そうだろ、ノエル」
「あ……で、でも……!」
確かに嘘では無い。だが細かな事情を、この場で説明するのは憚られる。特にヤマトの前では……。
「わかってもらえたかな、ヤマト君。僕たちは既に、こういった関係にあるんだ」
サークスの台詞に、ヤマトは何の反応も示さなかった。ただ驚愕に双眸を見開いたまま、微動だにしない。
「ち……違うの、ヤマト! そうじゃないのっ!!」
酷く狼狽し、違う、そうじゃないを繰り返すノエル。その髪には、サークスから贈られた金の髪飾りが美しい輝きを放っている。これまで、アクセサリになんて興味が無い風だったのに、これだけは毎日欠かさず付け続けている。
そうか、そういう事か――。
だからサークスが、急にパーティー抜けろとか言って来たのか。
「ああ、わかったよサークス。俺が、馬鹿だった……って事だな?」
「ま、そういう事になるのかな」
椅子から立ち上がるヤマトに、ノエルが駆け寄り声を上げる。
「違うのヤマト、そうじゃない! 話を……私の話を聞いて!?」
だがヤマトに、彼女の声は届かない。すがる様にして服の袖を掴むノエルの手を乱暴に引き剥がし、ヤマトは拳を握り込む。
そして……。
「おぉぉぉッ! サークスッ!!」
次の瞬間、ヤマトは雄叫びと共にサークスへと殴りかかっていた。