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第二十六話:地獄に近いこの場所で(二)

 その時に起った様々な出来事をノエルが正しく認識したのは、これよりもずっと後。事態が取り返しの付かない事になってからだった。

 まず最初に聞こえてきたのは、岩の崩れる音。そして誰かの悲鳴だった。


「一人落ちたぞ!」


 そんな声がベースキャンプのテント内に聞こえた時、ノエルはテントから飛び出し、崖下へと身を躍らせていた。

 今から追えば谷底へ叩きつけられる前に拾えるかもしれない。そう思い、思い切り羽ばたいて加速し、谷間を急降下して行く。

 翼を折り畳んで風の抵抗を減らし、制御可能なギリギリの速度で後を追うと――見えた! その男性冒険者はまだ崖の中程を、突き出した岩壁に叩きつけられながら落ちている最中だった。

 まだ、間に合う!!


「くっ……! てぇい!!」


 目前に谷底が迫る中、辛うじて落ちて行く男性に追い付いたノエルは彼と落下速度をあわせ、腰にしっかりと手を回して翼を大きく広げる。そして急減速。男性の重み、そして武具の重みがズシリと両手に掛かり肩や肘が軋んで悲鳴を上げたが、絶対に手を離すわけにはいかない。これが命の重みなのだ。

 そして……刃のように尖った地面に叩きつけられるギリギリの所で、停止する事に成功した。


「だ、大丈夫ですか? いま、上まで運びますからね」

「う……す、スマん……」


 良かった、生きていた!

 男性は全身を強く岩肌にぶつけて何箇所も裂傷や骨折を負っていたが、まだ息がある。助けられる! 谷底に叩きつけられる前に確保できたのが大きかったようだ。


「良く耐えて下さいました! 生きてて下さって嬉しいです。もう少しの我慢ですからね、頑張って!」


 なるべく負担を掛けないように、それでいてなるべく迅速に。ノエルはゆっくりとベースキャンプを目指し上昇する。その間にも光を操り治癒を行ったが、痛みを和らげる気休め程度にしかならないだろう。本格的な治療は、上に戻ってからだ。


「おいノエル、そのオッサン生きてるか? それならこっちだ、テントを空けてある!」

「うんっ! 皆さんどいて下さい、怪我人です!」


 崖上に戻ると、すぐヤマトが駆け寄ってきた。勝手を知る彼に導かれ、すぐさまテントへ。そこで急いで男性の治療に入る。

 迅速かつスムーズな一連の流れ。当たり前のようだが、これまでに何度もやっているからこその、阿吽の呼吸だ。もしもノエル一人だったなら……あるいは顔見知り程度の他人しか居なかったなら、彼女は未だ怪我人を抱え、テント前でまごまごしていただろう。


「ん、もう大丈夫ですからね……気を楽にして、ゆっくりと呼吸して下さい」


 苦痛に歪んでいた男性の顔が、次第に安らかな物となる。優しい光が体内を巡り、血を止めて傷を塞ぎ、骨を再生させて行く。

 これでもう安心だ。ノエルが安堵の息を吐いた……その時。

 地面が揺れた。


「……爆発?」

「いや、違うな……何の音もしなかった。近くで地震……か?」


 テント内が、そして後発部隊として備えていた冒険者たちの様子が、俄かに慌しくなる。


「ちょっと外を見てくる。ノエルはここに居ろ」


 ヤマトがテントを開けて、外へ出る。その時、入り口の隙間から具間見えたのは、谷底から勢い良く吹き上がる物凄い量の粉塵。一時、空が覆いつくされ日が陰る程の、赤茶けた細かな砂の群れだった。

 火山の噴火を思わせるその現象は、サークスたちの向った谷底で何かがあった事を指し示していた。

 どうする?

 ノエルは迷った。ヤマトに言われた通り、この場で待機しておくべきか? それとも急いで谷底へ向い、何かしらのサポートを行うべきか? この状況下、彼女の知り得る情報。それら全てを鑑みても、どちらを選択すれば正解であるのかは誰にもわからない。

 そんな中、ノエルは選択した。

 この場で待機する事を。


「外が少し騒がしいですけど、私はここに居ます。安心して、リラックスしてて下さい」


 不安そうな顔をする怪我を負った男性冒険者に、優しく語り掛けるノエル。彼を放っては行けない。現場へ向うよりも今は、自分に与えられた仕事を優先するべきだ。彼女はそう考えたのだ。

 外へはヤマトが向った。太郎丸さんも居る。あとアデリーネさんだって頑張ってる事だろう。何もかも自分ひとりで出来るわけじゃない。だから、みんなを信じよう。


「きっと、大丈夫です」


 そう呟き、にっこりと笑うノエル。その感情が、その考え方が。天使にとって非常に珍しい物である事に、彼女自身は気付いているのだろうか?

 ともあれ、そのような判断を下したノエルだったが、根底にある不安が解消されたわけでは無い。音の無い地響きは断続的に続き、火山の噴火を思わせる谷底からの粉塵噴出も、未だに治まる気配が無い。

 サークスは無事だろうか? あと二人の獣人……バラとガイランも大丈夫なのだろうか? みんな、かなりの実力者である事は知っている。だがしかし、この胸を打つ根拠の無い不安感は一体何なのだろう?


「……おい、見ろ。誰か上がって来るぞ!」


 治療を続けていると、外からそんな声が聞こえて来た。どうやら事態が動いたようだ。

 ノエルは自分の膝元に横たわる男性冒険者を見る……いつの間にか彼は、安らかな寝息を立てていた。今なら、少しくらい席を外しても大丈夫だろう。


「すぐに戻りますからね」


 聞こえてはいないだろうが、そんな囁きを残し、テントを出るノエル。

 辺りには粉塵が漂い、埃っぽく、靄がかかったような空気だった。そんな中、崖の辺りに多くの人が集まっているのが見える。


「ちょっと失礼しますね」


 ざわつく人込みを飛び越え、砂煙の先へと目を凝らすノエル。すると、微かに人影が見えた。何者かが大荷物を抱え、暗い谷の底から、ロープを伝い登って来る。


「……サークスだ」

「おぉっ! サークスだ、白銀のサークスは無事だったぞ!」


 冒険者たちの間から、明るい声が上がる。

 確かにそれはサークスだった。

 白銀の鎧は血と砂に汚れて激しく痛み、剣は鞘ごと中程で折れている。額からの激しい出血によって美しい金髪はべったりと頬に張り付き、なんとも凄惨な有様だ。

 そして右手には馬の獣人バラを抱え、左の小脇には縄で胴に縛りつけた、虎の獣人ガイランを引き摺っている。二人とも血塗れで、気を失っているようではあったが……その身体に目立った傷は無く、命に別状は無いようだ。


「大丈夫……みんな、無事だ。じきに……上がってくる」


 酷く疲れた様子でそう呟いたサークスは、その場で膝を折って倒れた。だが酷く満足げな……それでいて、今までに見た事の無いような、どこか不敵な表情で微笑む。


「作戦、成功……だ」


 そう告げた彼の背中には、誰も見覚えの無い、古びた箱が大事そうに縛り付けられていた。

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