第二十五話:地獄に近いこの場所で(一)
この話には残酷な表現が使われております。苦手な方はご注意下さい。
硬い土を踏みしめるレザーブーツの音。それが幾重にも重なって、独特のリズムを生み出す。そのリズムは谷間から吹き上げる風に乗り、高く、どこまでも響いて山々に知らせて回るのだ。
奴らがやってきたぞ、と。
「目の前にある深い谷……この底に伝説の『賢者の鎧』がある」
サークスは羊皮紙を広げ、地図のようにして描かれている図面のバツ印部分を指し示した。
「多分、ここだ。先発隊はロープを使って崖を伝い谷底へ降りた後、各自で探索を行う。パーティー編成については先に渡した文書を参照してくれ」
あらかじめ打ち合わせをした通りの内容を各人に告げ、その場で解散。一応の確認ではあるが、冒険にはトラブルが付き物。準備については慎重過ぎて損は無い。
「本当に見つかるだろうか?」
水筒の中身を口に含んで一段高い岩の上に立つサークス。付近を見渡すと、目に止まるのは茶色い岩肌むき出しの切立った岩山。そして武器と鎧に身を固めた多数の人々……全て冒険者だ。
サークスは賢者の鎧を探すにあたり、大勢の冒険者を募った。総勢五十余名。ほぼ全員がレベル10以上のベテラン揃いだ。それは探索の成功率を少しでも高めると同時に、伝説装備の独り占めを妬む、他の冒険者たちの不満を散らす為でもあった。
伝説の武具、その手掛かりを掴んだという事実。本来ならば黙っていたかったのだが、サークスとノエルの知名度がそれを許さない。海底洞窟での探索成功は、瞬く間に余人の知る事となってしまう。
件の青い石が指し示すヒントを頼りに消撃の盾も手に入れ、手に入れた伝説の手掛かりが本物であると公に知れた以上、他の冒険者も雇うなどして独り占めするつもりが無い事をアピールしなければ、何度寝込みを襲われるか知れた物ではない。他の武具を探す際にも同じ手法を取り、安全と見かけ上の公平性を保つ。その予定だ。
「自分が見つけるか、全く見つからなければ、それまで。もし他人が見つけたなら……頭を下げて、買い取らせてもらえば良いさ」
そのくらいの金は持っているつもりだ。人間では五本の指に入るレベル32の実力と資本力は伊達では無い。それに全ては、自らの夢を叶える為に使う金。惜しくは無い。
「サークス様、ロープの準備が整ったそうです。いつでも降りられます」
「ありがとう、アデリーネさん。みんなを集めてもらえるかな」
わかりました、と一礼して駆けて行くアデリーネ。知的で、美しい女性だ。眼鏡など掛けたなら、すこぶる似合う事だろう。事業でも起こすのであれば是非とも傍らに居て欲しい存在だ。加えて希少なエルフである、というのもポイントが高い。何故ならきっと自分が生きている間には、彼女の美貌が老衰によって損なわれる事は無いのだから。
だが、現在に至るまでの経緯が問題だ。あのノーウェイに身体を差し出していた……それが引っ掛かる。何らかの事情があったのだろうとも察するし、女性を差別するような事はしたくないが……こればかりは別問題だ。深い仲となる事も考えるなら、当然、考慮すべきだろう。まあ口先では何とでも言えるのだが……。
だが、あまり深く考える必要も無い。彼女に関して所有権はヤマトにあるのだから。言い方は悪いが、彼のような者がアデリーネ程の美人をモノに出来るチャンスなど、屋敷での、あの瞬間を置いて他に無かっただろう。アデリーネ本人も随分とヤマトに恩を感じているようだし、丁度良いのではないかと思う。
「これより、ロープを伝って谷底に降りる。先発隊は僕に続け! 後発隊はその間、ロープとベースキャンプの防衛! 後発隊の指揮は……」
見渡せば、並み居る冒険者たちの端に、腕を組み目を閉じる黒毛の人狼が映る。
「後発隊の指揮は太郎丸だ!……頼むぞ」
「うむ……心得た」
ゆっくりと目を開き、短く答えて頷く太郎丸。頼りになる男だ。
狼の獣人である彼は、忠義に厚く義理堅い。質実剛健を絵に描いたような性格で、豪胆でありながら繊細。人間の限界を遥かに超える筋力と俊敏性を持ち、異様なまでに鋭い嗅覚も備えている。
前線で戦わせても強いが、後方で部隊指揮を任せてもそつなくこなす柔軟性も持ち合わせた、まさしく戦場の申し子のような存在だ。
ただ唯一、無愛想で口数が少ないのが球に瑕。コンビを組んでの冒険など、話が続かなくて非常に困る。コミュニケーションも取り辛いから、何を考えているか良くわからない事も少なくない。
今もそうだ。腕を組み、何を考えていたのか……余計な事で無い事を願っておこう。
「ノエルさんは、太郎丸と一緒に崖の上に残って、もしもの時に備えて……あの、ノエルさん? 聞いてる?」
「あ、はいっ! 大丈夫です。負傷者が出た場合は、花火で知らせてくれるんですよね」
「そういう事。滑落者が出るかもしれないから、敵が出なくても気を抜かないでね」
ノエル……この上無く可憐な、天使の少女だ。最近は『聖女』の二つ名で呼ばれる事も多くなってきた。
出会った当初は天使の能力を持て余す、見た目だけの女かとも思ったが……実際にパーティーを組んでみてわかった。
彼女は、強い。
高い能力も然る事ながら、的確で冷静な判断力。いざという時の行動力。そして女性的な気配りにも長けていて、彼女がパーティーに居るだけで空気が華やぐ。安心感が違う。レベル20程度と評価されているようだが、とんでもない話だ。パーティー全体に与える影響を考えれば、レベル30……いや、40以上と評価されても良いだろう。
最初は少し他人行儀な感じがしたが、最近では随分打ち解けて来た。このまま良好な関係を維持し、これからは、これまで以上に親密な関係を築きたい。
だが、その為には……。
「サークス、もう行くのか? 大丈夫だとは思うけどよ、気をつけてな」
「ああ……ヤマト君も。もしもの時は、頼む」
いま声を掛けてきた黒髪の少年、ヤマト。彼が、ノエルを惑わせる障害となっている。
レベルはたったの4。とはいえ、近くで見ていると不当に低すぎる気もするが……理由はわかる。
彼はノエルの幼馴染だ。その関係を利用して都合良くノエルを独占状態にしていた。その為、彼の実力はノエルあっての物と評価されている事、そして天使の独占を快く思わない者の評価が低すぎて、実力よりも低いレベルと評価されているのだろう。
と言っても、その実力もそれほど抜きん出た物では無い。多少の機転は利くようだが、身体的には一般人に毛が生えた程度。戦闘技術もまだまだ未熟で、特に非力さが目立つ。冒険者としては半人前……正当に評価したとして、精々レベル6か7程度だろう。
今回の探索にも、本来ならば同行できないレベルだ。だが彼だけを仲間外れにするもの気が引けるし……何より、ヤマトが参加する事を条件とする参加者が三名も居たのだ。
太郎丸、アデリーネ。そして……ノエル。頼りにならない故に、保護欲が働くのか? ともかく、彼の参加を認めないわけにはいかなかった。
「よし、出発!」
今もヤマトは、せっせと予備のロープを運んでいる。非常に働き者である点は高く評価出来るのだが……自分が足手まといである事、彼だってわかっているはずだ。冒険における花形から外され、後方支援どころか荷物持ちのロバ同然だと気付いているはずだ。なのに何故、彼は何の文句も言わず探索に同行しているのか? さっぱりわからない。
「この谷……やはり、かなりの深さだな。石の時といい盾の時といい、どうやってこんな場所に隠したのやら」
ロープに身体を預け、岩壁を蹴って少しずつ、慎重に下って行く。岩は脆く崩れやすく、細かな砂が積もって滑りやすくなっている為、十分に気をつけなければならない。唯一つ、気休め程度の安心点は、もし滑落しても即死でさえ無ければノエルが居るという事。もし滑り落ちても絶対に諦めるなと、先発隊には通達してある。同時に、だからといって気を抜くなとも伝えてあるのだが……。
サークスがそう考えていた矢先。ガラッ、と岩の崩れる音。そして誰かの悲鳴が上がる。
「……落ちたか」
天使と言う存在が生む安心感、それは油断に繋がる。一瞬の油断が命取りとは、よく言った物だ。
直後、滑落した冒険者を追いかけ、上空からもの凄い勢いでノエルが急降下して行くのが見えた。運が良かったら助かるだろう。……仮に死んだとしても、ある意味アウトローである冒険者が美しい天使に看取られて逝けるのだから、それはそれで幸運かもしれない。
そうこうする内、ブーツの底にしっかりとした地面の感触が届いた。谷底に到着したのだ。
魔物の牙の如く、乱雑に並び立ち鋭く隆起した谷底の岩盤。平地は無いに等しく、太陽の光も遥か遠く頭上にあり、薄暗く、ほのかに寒い。漠然とした不安が、腹の底に溜まって行く。
「あるいは、ここにベースキャンプを張ってゆっくり探そうと思っていたけど……無理みたいだね」
サークスに続き、他の冒険者たちも次々と谷底へ到着する。それとは逆に、羽ばたく天使が誰かを抱えて崖の上へと飛んで行った。ノエルが負傷者を運んでいるのだろう……果たして助かったのだろうか?
「よし、ではパーティーごとに別れて、それぞれのエリア探索を……?」
サークスはここで、妙な事に気が付いた。
辺りが、やけに静かなのだ。
いや、静かなのは構わない。ここは生物を拒む切立った岩山の、深い谷の底なのだから。自分たち以外に動物を目にする事も無かったわけだから、静かで当然だ。だがどうして、自分たちの声さえしない? 土を踏む音や、鎧の擦れ合う音、風の音や、それに伴う様々な音がするはずだ。
「何かおかしい……みんな、気をつけ……!?」
音も無く、何かがサークスの足にぶつかった。驚いて足下を見れば、そこには馬の獣人……バラだ。バラが白目を剥き、口から舌をだらりと出して倒れている。
「お、おいバラ! しっかりしろ、バラッ!」
バラを抱え上げるサークス。すると彼の太い首が、中程からがくりと折れ曲がる。それもその筈、バラの首は、骨ごとザックリと中程まで抉れ、ピンク色の肉が覗いていたのだ。
瞬く間に傷口より噴出す真っ赤な液体。この傷は深い、間違い無く致命傷だ。だがしかし、まだ助かる……助かるはずだ!
「ノエルさん! 早く来てくれ……ノエルさん! ノエルッ!!」
上空を見上げて叫ぶ。天使の力があれば、この程度の死を遠ざけるなど容易い事のはず。だが光り輝く天使の姿は遠ざかるばかり……サークスの声に気付く様子は無い。
「くそっ! 聞こえないのか!? いや……」
やけに静かな谷底。音も無く倒れ、ぶつかってきたバラ。
「音か!? 音が……声が遮断されている!」
その方法や理屈はわからないが、音の伝達が妨害されている。彼に他人の声は聞こえず、他人にとってもサークスの声は聞こえない。さっきからやけに静かなのも、それが理由だろう。
普段であれば、大した問題とはならないだろう。だが事態は逼迫している。少なくとも、レベル15のバラを一撃で戦闘不能に追い込める何者かが、これを好機として襲い掛かっているのだ。
「みんな気を付け……と言っても聞こえないのか」
音が聞こえない以上、視力に頼るしか無い。なるべく平らな場所を選んでバラを寝かせ、辺りの様子に気を配る。他の冒険者たちは、まだ事態に気付いていないようだ。音の異常にさえ気付いていない者も多いだろう。経験豊富なサークスだからこそ、いち早く異常に気付く事ができたのだ。
「と、とりあえずバラに応急処置だ。ポーションを……いや、ハイポーションを!」
道具入れからポーションと、その濃縮版であるハイポーションを探す。回復薬など使うのは何年ぶりだろう? ここの所、楽勝だったり魔法での回復に頼りっきりで、薬など使おうとさえ考えなかった。
常備しているポーションは二本、ハイポーションは一本。バラの傷を癒すには、全く足りない。荷物になるのを嫌い、どうせ使わないからと数を減らしていたのだ。
「これではヤマト君を笑えないな」
常に十本以上のポーションを持ち歩くヤマトを、ノエルが居るのに不要だろうと茶化した物だが……備えあれば憂い無し。どうやら、彼の方が正しかったようだ。
少し埃の積もったガラス容器を取り出し、蓋を開けるサークス。淡い魔法の輝き……ちょっと古いが、効果は失われていないはず。そう期待を込めて、抉られたバラの首へ液体を振り掛ける――。
(無駄だよ)
どこからか、声が聞こえた。
(無駄だって……ハイポ、高いんだろう? 無駄遣いは止めろよ)
油断無く、周囲に視線を走らせるサークス。声はすぐ近くから聞こえて来る……だが、周囲に怪しい人影は無い。そもそも音の遮断されたこの状況で、どうやって声を伝えるというのか?
(ほら見ろ。一応血は止まったけど、傷は塞がらないだろう? この馬は死ぬ。キミには、どうしようも無い)
声は、サークスの頭の中から聞こえていた。そして声の通り、バラの傷は塞がらない。ポーションを全て使っても駄目だ。あまりの深手に、命を繋ぎ止める事さえ叶わない。
(そうしてサークス、キミも死ぬ。ほら、周りを見てみろよ)
慌てて周囲を見渡し、驚愕する。
いつの間にか、そこかしこで真っ赤な触手が蠢いていた。岩と岩の間を縫うように、脈打ちながら谷底いっぱいに広がっている。
サークスは、この触手に見覚えがあった。いつかノーウェイの屋敷で見た悪魔……膨れ上がった人の肉体を突き破り現れた、真っ赤な悪魔の尻尾。それに酷似している。
(おっと、虎の獣人が気付いたみたいだ。中々やるじゃないか……でも、遅い)
異変に気付き、こちらに駆け寄ろうとした虎の獣人ガイラン。だが数歩を踏み出す間に、地面から突き上げられた触手によって両腕を千切り飛ばされ、次の瞬間には胸板を貫かれて動きを止める。
(ふふふ……他愛の無い。もしかして、他の連中も似たり寄ったりなのかな?)
悪魔だ……間違いない。あの時、ノーウェイの屋敷で見た赤い悪魔が、この場に現れているのだ! 消える間際に奴は言っていた。何千、何万回生まれ変わろうと復讐すると。その第一歩が、これだと言うのか!?
剣を抜くサークス。このまま黙って殺されるのは真っ平御免だ。
他の冒険者たちもようやく異変に気付き、散り散りとなって逃げ出して行く。ある者はロープにしがみ付き、ある者は岩陰に身を隠して震え始める。
(やはり、天使が居なければこんな物か。あの女を引き離せた時点で、私の勝ちだったな)
そうか。最初の滑落は、こいつの仕業だったのか。そうやってノエルの手を塞ぎ、こちらへの救援を遅らせたというわけだ。更には谷底の音も消して連絡網を絶つとは……中々やってくれる。
(少し違うね、谷底の音については元々さ。伝説を求める者にそういう試練が用意されていたんだろ)
恨むならキミ達の先人を恨みたまえ……頭に響く声がそう告げた。
(それではサークス、さよならの時間だ。祈りの言葉を唱える時間? それなら心配はいらない……ゆっくり苦しめながら殺してやる。時間なら、たっぷりとある筈だ)
鞘に納まる銀の剣を、しっかりと握り締めるサークス。
こんな所で……夢を目の前に、死ぬわけにはいかない。死にたくは無い!
幼い頃から父と共に冒険を繰り返して来た。父の夢は……伝説の武具を揃える事、唯一つ。夢半ばにして倒れた父の想いを引き継ぎ、自分も同じ目標を掲げて今日まで生きてきた。至極当たり前の事として。
そして親子二代で捜し求めた夢のゴールが、もう目の前に見えている!
「死ねるものかあぁぁぁぁッ!!」
命を賭け、サークスは剣を抜き放った。