表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/70

第二十一話:深海に眠る伝説(二)

 天使御用達の白いローブを脱いで下着姿となったノエルに、太陽の恵み届かぬ海底洞窟の寒さは容赦が無い。ふかふかの翼で身体を覆っても、岩肌と直に触れるつま先は冷え切って、気を抜けば歯がカチカチと演奏を開始してしまいそうだ。それに加え、今から水に入らなくてはならない。軽く触れた水面は氷のように冷たく、骨まで凍ってしまいそうだ。自分で言い出した事とはいえ、どうしてこんな事になってしまったのか……悔やんでも悔やみきれない。


「ノエルさん、本当に大丈夫かい? なんだか寒そうにしてるような……」

「い、いえ。その、ちょっと緊張で……武者震いですかね?」


 少し離れた通路で、背中を向けたサークスが気遣わしげに言った。彼の目にはしっかりと目隠しが施され、天使の柔肌を見る事は叶わない。彼は、その手に握られたロープでノエルが寒そうにしている気配を感じたのだ。ロープはノエルの足首にしっかりと結び付けられており、緊急時には無理矢理にでも引っ張り上げる事になっている。


「それでは、行って来ます!」

「うん、気をつけて」


 いよいよだ。覚悟を決めて足先を水に漬けると……。


「~~~っ!!」


 凍えるような冷たさが、震えと共に頭の先にまでやってきた。全身に鳥肌が立ち、翼は羽毛が逆立って一回り大きくなる。

 色々な意味でサークスに目隠しをしておいて良かった。こんなみっともない姿、とても見せられない――。そう思いながら、今度こそ本当に覚悟を決めて、ノエルは水中に身を投げ出した。


「……えいっ!」


 どぷん、と空気と水が混じる音の後、突然訪れる静寂。そして下着や髪、翼に入り込んでいた空気が抜けて行くカプカプともコプコプともつかぬ音が聞こえ、今度こそ本当に、長い静寂が訪れる。

 水は冷たかったが、だからといって支障をきたすような身体でも無い。ぐっと我慢して意識を集中、光を操って視界を確保した後、身体を反転させて水路を潜り始める。

 入り口こそ狭い水路かったが、水中にはそれなりの広さがあった。両手、両脚を伸ばしても壁までにかなりの余裕がある円柱の内側……その苔さえ生えないゴツゴツとした黒い岩壁が、ノエルの光を反射して不気味に輝く。一応周囲に警戒しながら慎重に縦穴の底まで潜りきると、そこには水上からも微かに見えていた横穴が存在していた。


(かなりむこうまで続いてる。ロープ、足りるかな?)


 ロープを手繰り寄せて長さに余裕を持たせると、ノエルは横穴へと身体を滑り込ませる。これも縦穴と同じく、入り口こそ狭いが進入してしまえばそれなりの広さがあった。進む先の末端までは光が届かず、闇に閉ざされている……随分と長い。

 それにしても奇妙な光景だった。蒼い海の中であるにも関わらず、そこには何の生命も見当たらない。魚はおろか、海草の類も皆無だ。何度か海に潜った経験のあるノエルだったが、こんな場所は初めてだった。


(ヤマトに見せたら、どう言っただろ?)


 不意に、そんな考えが頭を過ぎる。

 もう彼とは半月ほども顔を合わせていない。幼い頃に、とある木の下で出会って以降、こんな事は初めての経験だった。それ故に、顔や声を時々は思い出さないと忘れてしまうのでは無いかと不安になってしまう。

 最後にヤマトを見たのは、彼がエルフの隠里へと旅立つ日の朝だ。忘れ物は無いか、薄めたポーションは水筒に入っているかと問い質す自分に、ヤマトは言った。


「俺の事はいいんだよ。お前こそ、早く戻って来い」


 あの鈍い彼の事だ。何かを意図して言った言葉では無かっただろう。だが戻って来いとの言葉が、無性に嬉しかった。

 だが同時に、辛くもあった。

 ヤマトの肩越しに、こちらを見つめるアデリーネの姿を見止めたからだ。彼女は自分へと一礼し、申し訳無さそうな笑顔を見せた。不安にさせてごめんなさいと、彼女の目は言っていた。


(違う……謝らないといけないのは、私の方だ)


 アデリーネは気付いていた。ノエルが見せた、微かな不信感に。万人に無限の愛を与えなければならない天使が見せた、僅かな偏見に。

 かつての主人であるノーウェイにそうしていたように、アデリーネがその美貌と身体を武器にヤマトに近付くのでは? 一瞬ではあるが、ノエルはそう考えてしまった。


(天使、失格だよね……)


 生きる為に頑張っていたアデリーネ。その生き様を蔑むような事があってはならない……絶対に。だが他ならぬヤマトが対象だった為に、一瞬の嫉妬心が呼び起こした後ろ暗い気持ち。それをアデリーネは敏感に感じ取っていたのだ。

 天使といえば、世間的には悪魔以外の全ての生命を慈しむ聖なる存在として知られている。そんな天使に疑いの目を向けられる事が、どれほど彼女の心を傷つけたろう? であるにも関わらず、アデリーネには気を使われ、太郎丸にまで気を回されて、自分の未熟さを痛感したノエル。


(ヤマトもきっと、私が手を出すたびに、こんな気持ちになってたんだろうな……)


 考えるうち、真横に向っていた水路は次第に斜め上へ。そして、程無くして垂直に昇り始める。

 行く先に、揺らめく水面が見えた。自分の放つ光とは別の輝きも見える。ゴールはもうすぐだ。


「~……ぷはっ!」


 水面を突き破って飛び出した先。そこは岩壁によって形成された、ドーム状の空間だった。球を半分に切ったような構造で、水の無い部分だけでちょっとした部屋くらいの広さがある。空気が溜まっており、何故か部屋全体が薄っすらと輝いていた。


「これ……魔法の明りだ」


 羽ばたいて水から上がり、光を操ろうとして気付く。熱を伴わず薄く青みがかった光は、魔法の力によって生み出された、照明の為にだけ存在する光の特徴だった。

 その青みがかった光の発生源。それが部屋の中央にある、小さな石だ。

 大きさは5センチ程。手の中に握りこめる程度の、いびつな形の石。部屋の中央で何の支えも無く空中に浮かび、虹のように表面の色彩を変えながら光の魔力を放っている。


「何だろう? 魔法の品物なのは間違いなさそうだけど……?」


 小石に近寄るノエル。その時、ふと見た自らの翼に、何か文字が浮かび上がっている事に気が付いた。驚いて良く観察すれば、翼だけでは無い。肌や髪、身に付ける下着や、滴る水滴にさえ同じような文字が!


「この石の光……この光が文字になってて……距離や色に応じて、見える文字が変わってる!」


 驚きの声を上げ、翼に映る文字に目を凝らすノエル。そこには現在では使われていない古代語で、何かの隠し場所についての記述がある。ノエルの知識では詳細まではわからなかったが、サークスの話と総合して考えれば……。


「これが伝説の武具の在り処……とか?」


 これはもしや、大発見なのでは? 十年近く冒険者をしていて、初めての経験だった。ノエルの頭に明るい未来が想像される。

 この石を持って帰り、謎の言語を解読して、みんなで宝探し! サークスさんは念願の伝説的武具を手に入れて夢を叶え、太郎丸さんも同じように装備を充実させる。同時に金銀財宝も手に入って、アデリーネさんは平穏で優雅な生活を。そしてヤマトも何か、生存率が上がるような魔法の御守りを手に入れて、毎日気楽に冒険しながら充実した生活をして……それで私も……!

 凄く良い。とても素敵な生活だ。きっとみんな喜ぶ!

 ニヤけた表情のまま、石に手を伸ばすノエル……と、これまで虹色だった表面が、突然深い青色に変化した。その途端!


「キャッ……!!」


 あっ! と思った時、ノエルは硬い岩壁に叩きつけられていた。魔法の小石から放たれた凄まじい衝撃波……というよりは絶え間なく押し寄せる圧力によって、彼女は弾き飛ばされたのだ。


「ぐっ……うぐぐ……!」


 信じられない程の圧力。ミノタウロスの怪力を押し返した天使の力を持ってしても、抗う事が難しい。叩きつけられた岩壁が徐々に砕け、身体がめり込んで行く。空気や光さえも部屋の中央から押しのけられて壁際で圧縮され、濃い青色の輝きを放つ。上昇した空気圧によって呼吸は出来ず、光と共に視界さえも歪む。とてもではないが、普通の生物が耐えられる圧力では無い。だが……。


「てやあぁぁぁぁッ!」


 天使としての能力を全開にしたノエルが、押し寄せる圧力を押し返した!

 純白の翼と天使の光輪から放たれる白い光。それを身体の前面で盾のように展開し、青色の光として認識できる圧力波を防ぎ、相殺して行く。


「んぐぐぐっ……! このくらいっ……!」


 大瀑布の如く押し寄せる光の奔流を押し退けながら、ノエルは部屋の中央に輝く小石に手を伸ばす。

 これがあれば、きっとみんな幸せになれる。私だって満ち足りた生活を……ヤマトと一緒に……!


「てっ……天使、なめるなあぁぁぁっ!!」


 純白の光が爆発するように広がり、全てが眩い輝きを放ち、影が消え失せた。そして何もかもが白一色で塗りつぶされる。岩壁も、水面も、魔法の石も――ノエルの意識さえも。


 ――そして、どれほどの時間が経ったのだろう?

 彼女が意識を取り戻した時。目の前には緑の木々と、抜けるような青空。そして見知った男性の顔があった。


「……ルさん! ノエルさん!? 良かった、気が付いた! 本当に良かった!!」

「あれ……サークスさん? ここは? 私、何を……?」


 安堵の表情を浮かべるサークスに、ノエルは尋ねた。まるで寝起きであるかのように頭がボンヤリとして、考えが纏まらない。

 どうやら毛布の上に寝かされていたようだ。身体にはサーコートが掛けられており、近くから打ち寄せる波の音が聞こえて来る。


「ここは、海底洞窟の外。入り口の近くにある砂浜だよ。ええと、行き止まりの水路へノエルさんが潜った――そこまでは覚えてる?」

「ええ、確か足にロープを結んで……」


 手渡された水を飲む内、ノエルもようやく頭がはっきりとしてきた。


「キミが潜ってしばらく後、物凄い地震があったんだ。その直後、洞窟の中に水が入ってきて……」


 順を追って、丁寧に説明するサークス。

 どうやら地震が起ったのは、ノエルが石の圧力に弾き飛ばされたのとほぼ同じタイミングであるようだった。危険を感じたサークスは慌ててノエルに繋がったロープを手繰り寄せ……。


「そうしたら驚いたよ。ノエルさん、ぐったりして意識が無いんだもの! その場ではロクな応急処置も出来なくて、悪いとは思ったけど肩に担いで脱兎の如く……ってわけさ」

「そ、そうだったんですか、助かりました……そっか、私あの時に気絶して……」


 良くわからないが、石に拮抗しようと力を振り絞った結果、意識が飛んでしまったようだ。

 サークスには感謝しなくてはならない。もし自分一人であったなら、死ぬ事は無いにせよ、誰も訪れなぬ冷たく寒い水牢へ、半永久的に閉じ込められる羽目になっていたかもしれないのだから。


「本当にありがとうございます、サークスさん。助けて頂いたのは、これで二度目ですね」

「いや、お礼を言いたいのはこっちの方さ! 一つは……これ!」


 サークスが取り出した小さな革袋。その中に、見覚えのある小石が入っていた。


「ノエルさんが、大事そうに握ってたんだ。この輝き……魔法の品だ。水路の奥で手に入れたんだよね? きっと、何か伝説の武具に纏わる物に違いない」


 満面の笑顔で、サークスが言った。まるで子供のような、無邪気な表情だ。

 魔法の小石は初め見たような淡い蒼の輝きを湛え、静かに革袋の中で転がっている。ノエルを壁に叩きつけた、荒れ狂う光の奔流が嘘であるかのようだ。


「それと、もう一つ……お礼というか、役得というか……これも二度目かな?」

「……?」


 首を傾げるノエルへ、顔を背けながら、綺麗に折り畳まれた衣服を手渡すサークス。


「ゴメン。急いでたから、着せる暇が無かった。それにまさか、丸裸になってるとは思わなくて……」

「……えっ?」


 小石のあった部屋で受けた岩さえも粉砕し得る強烈な衝撃と圧力に、薄く柔らかな下着が耐えられるはずも無い。

 ノエルの素肌へと掛けられたサーコートの下は、まさしく一糸纏わぬ姿。サークスと出会った日、スライムから助け出された時と同じ、完全なる素っ裸だ。


「天使って、ピンチになると服を脱ぐ習性でもあるのかい?」

「きっ……!!」


 良く晴れた砂浜に。


「キャアアァァァァァァッ!!」


 ノエルの甲高い悲鳴と、ビンタの快音が鳴り響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ