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第十九話:記憶の中の故郷(四)

 かつてエルフの隠里を襲った悲劇。

 平和な郷へ突然現れた、悪魔の群れ。

 今となっては何故悪魔がエルフの隠里を襲ったのか、襲うことができたのか、その理由は定かでない。だが事実として、襲撃は起った。

 暗闇の中、真っ赤に光る目が木々の合間で閃く度に誰かの悲鳴が上がり、命の炎が消えた。悪魔の力は圧倒的だった。

 しかしエルフたちとて、ただ無様にやられ続けたわけではない。最初こそ劣勢であったエルフ側だったが、地の利と人の輪によって体勢を立て直すと、エルフ族に伝わる秘法の力と、郷に住まう風の精霊シルフの力を借りて反撃に転じる。そしてついに悪魔たちを退ける事に成功したのだ。

 だがしかし、本当の悲劇はそれからだった。

 味方であったはずのシルフが狂い、エルフを襲い始めたのだ。


「確か両親の話では、精霊であるシルフは物質界の生き物よりも魔法的な存在であるから、悪魔の呪詛を強く受けたのだろう、と……」

「物質界って俺らの居るこの世界の事か? まぁ良くわかんねぇけど、悪魔に混乱させられちまったって事だな」


 大きな岩陰から、少しだけ身を乗り出して話すヤマトとアデリーネの二人。その視線の先には、竜巻のような風を纏って触れる物全てを切り刻む、狂えるシルフの姿がある。

 しっかりと何かに掴まっていなければ吹き飛ばされてしまいそうな暴風が吹き荒れ、無作為に、無造作に、ただただ力を振るい暴れ回る姿は、時に大自然がもたらす無慈悲な自然災害そのものだ。


「シルフから受けた傷がポーションで上手く回復しないのも、悪魔の呪いが関係しているからでしょう」


 岩にしがみ付いたアデリーネが、風の音に負けないよう声を張り上げる。

 彼女の両親は、悪魔の呪いのせいで亡くなった。蘇った記憶の中には、温もりを失って行く手の感触と共に、そう刻まれている。


「んじゃ、野郎が郷の仇って事で……やっちまって良いんだな?」

「はい、ダメージを受けて力を失ったシルフは精霊界へと還ります。同時に悪魔の呪いからも解き放たれるでしょう。死ぬわけではありませんから、遠慮なく。ですが……」


 アデリーネが乱れた髪を整えて、ヤマトへと向き直る。


「ヤマト様、あのシルフ……このまま放置しておいても良いのですよ? きっと、この郷のエルフたちは全滅しているでしょう。そうなれば私以外、ここを訪れる者も居ないはず。それなら危険を冒し……むぐっ!?」

「ほい、そこまで」


 喋るアデリーネの口を、ヤマトが無造作に押さえて黙らせる。


「あのシルフ、お前の知り合いなんだろ? だったらブン殴って、正気に戻してやろうぜ」


 そう言って、ヤマトは顎の先で少し離れた場所にある岩の陰を指し示す。そこには木や石の破片を一箇所に集め、蔦で縛って巨大なボール状に加工している太郎丸の姿があった。


「太郎丸も言ってただろ? 安寧の享受を由とするなら、冒険者などしておらん! とかなんとか。危ないから止めとこうって考えるような奴が、冒険者なんかやってねぇよ」

「そ、それはそうかもしれませんが……」


 戸惑うアデリーネ。ヤマトや太郎丸の好意は嬉しいし、シルフを正気に戻したい気持ちは誰よりも強いつもりだ。しかし先にも述べた通り、理屈で考えれば、いま無理をしてシルフに挑む必要は無い。

 主力たる二人の男は怪我を負っているし、戦闘を想定していたわけでは無い為に準備も不足している。せめて一旦引き返し、傷を癒してから再度来る方が良い。そうに決まっている。


「ほら、行くぜアデリーネ。シルフの野郎がお待ちかねだ」


 未だ迷いの消えない彼女にヤマトが言った。両手に革のグローブを嵌めて何度も握りなおし、調子を確認している。完全にやる気の表情だ。

 太郎丸もそれは同じようで、準備が整ったと親指を立て、こちらへ合図を送っている。


「きっとシルフの野郎も、懐かしいお前を見つけて嬉しかったんだ。それで正気に戻して欲しくて出てきたんだろうぜ。だったら今しか無ぇ! また今度だとか、次の機会だとか、あるかどうかのチャンスを待ってる場合じゃねぇ。やるんだ! 今、この時に!」


 効率的では無いし、理に適ってもいない。だがヤマトの言葉は妙にアデリーネの胸に響いた。

 自分はエルフだ。人よりも遥かに長い時を生きる。だからだろうか? チャンスを待つ事が、当たり前になっていた。今よりもっと良い機会が訪れる。明日か明後日か、あるいは何百年後かもしれないが、準備を整えてチャンスを待てば良いと考えていた。

 だがヤマトは違う。不確実な未来に希望を賭けたりしない。今この瞬間に出来る限りの努力を惜しまない。常に全力で走り続けているのだ。


「……ノエル様が苦労なさるはずですね」

「ん? 何か言ったか?」


 苦笑するアデリーネ。疲れる生き方だと思う。こんなにも全力疾走されては、付いて行く方がたまらないだろう。

 だがそれでも付いて行きたいと願ったのなら……。


「わかりましたヤマト様、お願いします。あのシルフを……精霊界へ還す為、お力をお貸し下さい!」

「よっしゃ、任せろ! 一発ブチかましてやろうぜ!!」


 それを合図として、吹き荒ぶ風の中をヤマトは岩陰から飛び出した。飛ばされそうになりながらも地面に取り付き、手近な石を拾ってシルフへと投げ付ける。


「こっちだ、こっち! このスケスケ野郎! 風吹かすだけの能無しか、このヘボ!!」


 あからさまな挑発を行いつつ、次々に石を投げ付けるヤマト。狂えるシルフが言葉の意味を理解しているとは思えないし、石も届く事無く竜巻に巻き上げられてしまったが、それでも下劣な悪態と投石は続く。


「無視ってんじゃねぇぞコラァ!」


 そんな掛け声と共に投げた細長い石。それが偶然にも風に乗り、爆風の壁を掻い潜ってシルフの元まで届いた。そして見事に喉元へ命中……したかに見えたが、まるでそこには何も無いかの如くシルフをすり抜け、反対側の爆風によって粉砕されてしまう。


「チッ! やっぱりかよ」


 予想した通りだった。シルフはヤマトたち物質界とは違う、精霊界の住人だ。アデリーネの言葉を借りるなら、より魔法的な存在といえる。そんな精霊たちに干渉する為には、物質界の物では駄目なのだ。


「アーデリネの言う通り、魔法か、魔法の掛かった武器じゃねぇと触る事も出来ないってワケか」


 ノエルの操る光の魔法や、サークスの剣技『滅空』のように直接魔法力を放出する技。あるいは魔法の武器でなければシルフには傷をつける事さえ出来ない事になる。

 だが希少品である魔法の武器など持ち合わせている筈も無く、ヤマトも太郎丸も魔法と絡めた剣技など習得していない。そして魔法を操る素養があると思われるアデリーネも、その術を知らなかった。

 つまり今この場にいるメンバーに、シルフを倒せる者は居ないという事だ。


「でもまあ、ここまでは予想通り……おっとぉ!」


 賑やかに喋るヤマトの目に一瞬だけ、ほぼ無色透明なブーメランのような物が見えた。辛うじて身をかわすと、足下の土が派手に抉れて宙に舞う。シルフの繰り出す風の刃だった。それが次々に生み出され、甲高い風切り音と共にヤマト目掛けて飛来する。

 無差別に猛威を振るっていた狂えるシルフが、彼一人に狙いを定めたのだ。


「やっと本気になりやがった。俺相手に手を抜くとか、ちょっとナメ過ぎなんだよオマエは!」


 ヒョイヒョイと身軽に動き、風の刃を避けるヤマト。だが強気な口先とは裏腹に、その動きは鈍い。先の戦いで負った傷と、強烈な風が彼の動きを妨げているのだ。


「ぐっ……ヤベぇ、風が強くて……!」


 シルフの周りを守っていた竜巻が、全てヤマトの周辺に集まる。叩きつけるような爆風に、一瞬でも気を抜けば遥か上空まで巻き上げられてしまいそうだ。

 しかも風の中に地面から巻き上げた枝や小石が混ざり込み、凄まじい勢いでヤマトの身体を殴り、突き刺す。特に守る物の無い剥き出しの腕や頭には多くの枝が突き刺さり、飛礫によって次々に青アザが刻み込まれて行く。


「畜生……!」


 身を守るのに精一杯で、身動きの取れないヤマト。このまま嬲り者にされるか、あるいは風の刃で……と思われた時、太郎丸がシルフの背後に雄叫びと共に現れた。


「おオォォォッ!!」


 彼は先に準備していた蔦で固めた巨大な球を、全身を使い、渾身の力でグルグルと振り回す。ミシミシと筋肉が軋み、傷口が開いて鮮血が噴出した。だが構う事無く蔦の球に十分な速度を持たせ……。


「どっせえぇぇい!!」


 勢いを付けてシルフに叩きつけた!

 唸りを上げて飛来する巨大な球を、咄嗟に竜巻で防御するシルフ……本来、物理的な攻撃の影響を受けない精霊には必要の無い防御だ。しかしそれは、生物が本能的に持つ防衛反応だったのだろう。目に物が飛び込んだ時、人が咄嗟に瞼を閉じるように、シルフは竜巻で防御を行った。

 爆風に煽られ、粉々に砕け散る蔦の球。だが同時に、竜巻の回転も乱れていた。風の力だけでは蔦球の大きな質量を受け止める事が出来なかったのだ。

 瞬間、強く吹き荒れていた風が止まり、凪となる。


『今だ! アデリーネ!!』

「やあぁぁぁぁぁッ!!」


 男たちの叫びに合わせ、タイミングを計っていたアデリーネがシルフの元へと駆け込む。その手には、魔法の輝きを宿す棍棒――エルフの御神木、その枝をへし折って作った、即席の魔法棍棒だ。

 アデリーネは走る勢いを乗せ、手にした棍棒を大きく振りかぶる。そして力一杯、全力で持って狂えるシルフの頭を……ブン殴った!

 ごつん、と鈍く重い音が響く。彼女の握る無骨な棍棒は、眩い輝きを放ちながら、狙い違わずシルフの頭をカチ割った。更に二度、三度。アデリーネは大上段から棍棒を振り下ろす。薄い手の皮が裂け血が滲んだが、構う事無く渾身の力を込める。


「えいっ! えぇいっ!! ……はぁっ、はぁっ……!」


 何度、棍棒を振るっただろう?

 自らの血で汚れた棍棒を手に、肩で息をするアデリーネ。彼女の前では、元々半透明だったシルフが更に透明度を増し、殆ど透明な状態となって宙に浮かんでいる。その姿はまるで風に漂う綿毛のように、ただ流されるままの力無い存在であるかのようだ。

 もう、この世界に留まる力を失ったのだろうか? そう思った矢先だ。


「っ!? キャアァァァッ!!」


 鋭い突風がアデリーネを襲った。風の刃に切り裂かれ、細い髪や服の切れ端と共に、血煙が空に広がる。

 狂えるシルフが最後の力を振り絞り、巨大な竜巻を起こしていた。これまでで最も大きな竜巻だ。周囲の物を巻き上げ、木々を巻き込み、蔦球の残骸も全て上空へと放り上げて行く。

 烈風を伴い、あらゆる物を粉々にする強烈な竜巻。だがこれは、シルフにとっても我が身を削る諸刃の剣だった。半透明の身体が端から削れ、風と共に消え失せて行く。

 このまま、この竜巻を耐え忍べばシルフは力尽きる。そうなれば自分たちの勝利だ。

 しかし!


「もう、待たせたりしない!」


 アデリーネが、棍棒を手に立ち上がった。体中に受けた傷からは血が滲んでいたが、彼女の固い意志の前に障害とはなり得ない。

 吹き付ける風の中を、一歩、また一歩と地面を這いずるようにしてシルフに近付く。彼が自ら消えてしまう前に……これまで自分を待っていた彼への、ケジメを付ける為に。


「きゃ……!」


 だが軽量のアデリーネでは、シルフへ近付くにも限界があった。あまりの風に身体が浮き上がり、前に進む事はおろか踏ん張る事さえ出来ない。

 もう時間が無いというのに……どれほど強く願ったとしても、駄目な物は駄目なのだろうか?


「あきらめんな! こっからが本番だろ!!」


 間近でヤマトの声がした。同時に、風が緩む。

 風上にヤマトと太郎丸が居た。互いに肩を組み、地面に爪を立てて踏ん張って、身体を風除けにしてアデリーネの願いを力強く支える。


「アデリーネ殿ッ!!」

「お前の意地、野郎に見せてやれ!」


 狂えるシルフへと続く、道が出来た。


「はいっ!!」


 アデリーネが駆け出す。ヤマトと太郎丸が作った風のトンネルを突っ切り、消えかけているシルフの元へ。そして……!


「てやあぁぁぁぁッ!!」


 棍棒を眼前に構えたまま、走る速度を殺す事無く身体全体でぶつかる。そうしてシルフを背後に聳え立つエルフの御神木へと、まさに全身全霊を込めて叩きつけた!

 太い幹に雷のような輝きが走り、無数の葉が舞い落ちる。手元の棍棒は砕け、破片が鮮やかな輝きを撒き散らしながら飛び散った。そしてシルフも……。


「…………」


 雪が溶けるかの如く、身体の端から順に解れ、光の粒となって消えて行く。この世界で精霊としての形を維持する力を失い、元居た精霊界へと還るのだ。

 言葉は無く、音も、何も無い。ただ一陣の優しい風だけが、アデリーネの頬を撫でて空へ、高く高く流れて行く。


『こんな方法しか取れなくてごめんなさい。長い間、ほったらかしてごめんなさい。逃げようとして……ごめんなさい。あっちで、ゆっくり休んでて』


 古いエルフの言葉を風に乗せ、アデリーネは目元を拭った。

 そして傷付いた手のひらを、棍棒と同じ輝きを放つエルフの神木に添えて、祈りを捧げるのだった。

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