第十八話:記憶の中の故郷(三)
エルフの隠里が、隠里でいられる理由――それが今、ヤマトの目の前に聳え立っている。
視界の全てを占拠する太い幹。見上げれば、空を覆いつくす程に生い茂る濃緑の枝葉。郷の中央に生えるその木は、とても太く、とても高く、とても大きく――古くから森に生きるエルフの長い歴史を象徴するような、見事な大木だった。
「これが、私たち郷の者の間で御神木と呼ばれている、大切な木です。この木は大地から魔法の力を吸い上げ、周囲に迷い道の魔法を掛けていると伝えられております。その魔法のお陰で、この郷は隠里として存在できるのです」
アデリーネが丁寧な口調で、どこか誇らしげに語ってくれた。エルフである彼女にとって、自慢の代物なのだろう。
「魔法を使う大木かぁ」
「はい。お二人には確認し辛いと思いますが、魔法の素養がある方でしたら木が魔力を放っている様を見る事ができるはずです」
そう言われ、ヤマトは目を凝らしてみた。自身に魔法の素養が無い事は知っているが、もしかしたら多少は見えるのではないか? そう思ったのだ。
「見えたか、太郎丸?」
「いや……」
囁きあう二人。
そんな男たちに微笑みながら、アデリーネは傍らの苔生した石の側へとしゃがみ込む。両手で抱えられる程度の、それほど大きくない石だ。
「魔力の流れは見えなくても大丈夫……本題は、こちらですから」
そう言った後、彼女は石に生えていた苔を丁寧に剥がして見せた。丸くスベスベとした石。全体的に白く、所々に薄くヒビが入っているようだ。
「アデリーネ殿。それは……?」
「はい。エルフの、頭骨です」
言って、石を……石と思われていた頭蓋骨を、そっと抱き上げるアデリーネ。中程まで土に沈み、所々が欠けてはいたが紛れも無い。それは確かに頭蓋骨だった。
そして、その事実に気付いた今ならばわかる。
木の周囲を見渡せば、他に幾つも目に付く白っぽく丸い石。そして枯れ木と思われた白っぽい枝の数々。
「全て確認したわけではありませんが、元々ここに住んでいた皆さんの、遺骨だと思います」
「これ全部が!?」
ヤマトが驚きの声を上げる。骨の多くは土に埋もれ、木の陰や茂みの下に隠れていたが、目に見える範囲だけでも百や二百は下らないだろう。
「それと、これを……」
アデリーネが改めて頭蓋骨を差し出した。良く見れば、その側頭部にあたる位置に大きな切れ込みが入っている。鋭い刃物で切り裂かれたかのような深い傷跡。この傷が頭蓋骨の持ち主が亡くなる原因となった事は、容易に想像できた。
「多くの骨に、このような傷が。それ以外にも、木や岩にもそれらしき痕が散見されます」
「って事は、太郎丸が言う緊急事態ってのが、この傷を付けたってワケか」
言って、もう一度周囲を見渡すヤマト。木々の隙間から垣間見える骨の数々に、辛く、苦しい思いが込み上げて来る。
今は骨になってしまっているが、かつて、これだけの数のエルフがここで血を流し倒れたのだ。静かな森に悲鳴と怒号が飛び交い、濃い血の匂いが漂ったのだ。
「…………」
気が付けば太郎丸が目を閉じ、遺骨へ向けて正座で手を合わせていた。彼の故郷における、死者の魂を慰める所作の一つだ。
ヤマトの故郷に、そういった風習は無い。だが太郎丸の隣に座り、形だけでも真似て手を合わせる。
安らかに眠れ、名前も知らないエルフたち。アンタたちが助けた娘は、今ここで生きてる――。
伝わらないかもしれないし、的外れかもしれない。けれど、これだけは伝えたかった。
アンタたちの死は、決して無駄じゃ無い。
「ヤマト様、太郎丸様……」
ヤマトの傍らに膝を付いたアデリーネが口を開きかけた時、風が流れた。不意の事に違和感を感じた彼女が風の吹く方を見てみると、いつの間にか人が立っているではないか。
人といっても、人間では無い。人型をした何かだ。
薄っすら蒼く発光する半透明の身体。大きさは人間の大人くらいで、全体的に女性的でやせ細ったようなシルエット。地面からは少し浮かび上がり、風にたゆたう羽毛の如くフワフワと揺れ動き、眼球は無く、代わりに蒼い発光体がこちらをじっと見つめている。
「な、なんだコイツ?」
「面妖な……!」
突然現れた正体不明の相手に警戒し、構えを取るヤマトと太郎丸。それに反しアデリーネは、懐かしい物でも見たような様子で表情を和らげる。
「あなたはシルフ……! まだここに残っていたのね?」
風の精霊、シルフ。
世界の根幹を成す四元素、地、水、火、風の内、風の属性を司る代表的な精霊の一つだ。知性は低く、本能で行動すると言われている。
風の吹く場所であれば、そこかしこに存在する精霊ではあるのだが、「精霊使い」と呼ばれる特殊な才能を持つ者でなければ目視する事が出来ない。だが気まぐれに、こうして人前に姿を現す事もある。
「大丈夫です、お二人とも。このシルフは、私がここに居た頃からずっと存在し続ける精霊です。郷の緩やかな風の如く、優しく、穏やかな性質ですから」
言いながら、シルフに近寄るアデリーネ。もぬけの殻となっていた故郷に見知った顔を見つけたのだ。その喜びや安心感は、筆舌に尽くし難い物があるだろう。
「お願いシルフ、私に教えて。ここで何があったのか……私のお父さんと、お母さんはどうなったの?」
問い掛けて、シルフへと手を伸ばす。触れ合う事で意思の疎通を……そう思ったのだろう。
だが、横合いからそれを阻む者があった。
「危ねぇ!!」
ヤマトのタックルを受け、倒れこむアデリーネ。背中をしたたかに打ちつけ、一瞬息が出来なくなる。
「いたた……何をなさるのですかヤマト様。何も危険な事は……?」
頬に落ちてきたヌルりとした液体。それを指先で掬い取った時、不満を訴えるアデリーネの言葉は止まった。
それは真っ赤な血だ。ヤマトの肩口から滴り落ちた、彼自身の血液だ。
「早く! この場を離れるのだ!! ぐぉあッ!?」
そしてヤマトの背中越しに見えたのは、身体を盾にして何者かの攻撃を受け止めている太郎丸の姿。既に全身血だらけで、こうしている間にも風切り音と共に傷がどんどん増えている。
「こ、こっちだアデリーネ!」
わけもわからず、ヤマトに手を引かれて大樹の陰へと身を隠すアデリーネ。
こんな事がずっと昔に、あった気がする……。
「無事だったか、二人とも?」
「おう、太郎丸。お陰さんでな。そっちも……大丈夫そうだな」
アデリーネが既視感に囚われていると、すぐに太郎丸も同じ場所へ逃げ込んできた。体中に切り傷を負い、黒い体毛が真っ赤な血に染まってはいたが、意に掛ける様子も無い。
「とりあえずは回復だ。太郎丸、ポーション持ってるか?」
「うむ、十分に有る。心配無用だ」
男たちが無事を確認しあい、傷を癒し始めた頃。アーデリネの心は思い出の中にあった。
そう、かつてこの郷から逃げ出した時の事。
突然やってきたのだ。真っ赤な身体をした者たちが。そして森に住まう、穏やかなはずのシルフが暴れ始めた。
理由はわからない。だが多くの同胞が真っ赤な者たちによって薙ぎ倒され、シルフの鋭い風によって切り裂かれた。自分は両親に手を引かれ、木の陰に逃げ込んだ。その時、両親は傷を負っていた。深い傷だ。だがポーションで治療すれば大丈夫だと思った。けれど……。
「ヤマト様、太郎丸様……その傷は、ポーションでは治りません」
アデリーネが、はっきりとした声で言った。そして、その言葉に男たちが疑問を挟むより前に、彼女は続ける。
「曖昧だった記憶が、私の中に戻ってきたのです。今すぐ包帯で止血して下さい、お手伝いします」
呆気に取られる男二人の身体へ、ザックから取り出した包帯をグルグルと巻きつけて行くアデリーネ。何がなんだかわからないヤマトだったが、傷に関して言えば確かに彼女の言うとおりだ。
シルフの放った風の刃からアデリーネを庇い、背中に受けた傷。普段であればポーションの二、三本でも飲むか、傷口にかけるかすれば大した問題もなく治る傷だ。しかし今回は痛みこそ和らいだものの、劇的に回復する様子は無い。そしてそれは、太郎丸の傷も同じ状況であるようだった。
「アデリーネ殿。記憶が戻ったと仰られたか? では、あのシルフは一体……?」
自らを止血しつつ聞いた太郎丸。その問いにアデリーネは表情を曇らせ、それでもしっかりとした口調で、手早く答えた。
「彼の精霊は、悪魔の毒気に当てられているのです」