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第十二話:幻の琥珀色(六)

 あいも変わらず豪奢な室内。

 無駄に高い天井と、毛足の長い絨毯。壁には良くわからないが値の張りそうな絵画が掛けられ、その隣からは立派な角を持つ鹿の剥製が首を突き出している。そして、どこを見ても何を触っても、とにかく広く大きいのだ。

 集落を後にして依頼人であるノーウェイの屋敷へと帰還したヤマトたち四人は、依頼を受けた時と同様、だだっ広い部屋へと通されていた。


「ほぉ! この芳醇な香り……そしてこれまでに無い深みとキレ! 程好い酸味と、僅かな苦味。クセは多少強いが、それがまた……」


 傅く冒険者たちの正面、広い室内の上座にあたる段上では、コーヒーカップを片手にノーウェイがどこで覚えたのかも知れない御託を長々と垂れ流していた。


「もう一杯だ! コピ・ルアクを淹れよ!」


 上機嫌でおかわりを要求するノーウェイ。召使いと思しき女性が慌てて黒色の液体をカップへ注ぎ足し、逃げるようにして立ち去る。


「うむ……素晴らしい味わいだ。良くやったぞ冒険者。流石は噂に名高い白銀のサークスと、天使ノエルよな!」

「お褒めに預かり、光栄です」


 ゆっくり頭を下げるサークス、そしてノエル。美男美女の優雅な立ち振る舞いに、召使いたちの間から甘い溜息が漏れる。


「ケッ! 何が素晴らしい味わい、だよ。どぉせ味なんかわかりもしねぇクセに」


 どこからか聞こえてきた呟きに、美男美女は身体を固くして冷や汗を流す。二人の背後に控えるヤマトの声だった。


「ん? 何か言ったか?」

「い、いいえ。何も……んっ!」

「んギャ……!!」


 言いながら、ノエルは踵でもって背後に立つ誰かの足を思い切り蹴飛ばした。ヤマトに良く似た、押し殺した悲鳴が聞こえたような気もしたが、きっと空耳だろう。


「まあ良い、大儀であった。報酬は使いの者を宿へ遣らす故、後で受け取るが良い」


 コーヒーを啜って満足げに息を吐き、空いた手を、まるで野良犬でも追い払うかのようにヒラヒラとさせるノーウェイ。そして思い出したように続けた。


「そうそう、報酬の一部は中古の女で支払う約束であったな。余は、ちゃんと覚えておるぞ」

「……はい。では我々は、これにて失礼致します」


 舌打ちをするヤマトを余所目に、顔色一つ変えずサークスが言った。腹立たしくはあるのだろうが、それを表に出す程子供では無いと言う事だろう。

 踵を返し、扉へと向う冒険者たち。

 これで、この嫌な感じの依頼人ともこれっきりだ……全員がそう思った時だ。


「これ、時にお前たち。このコーヒーをどうやって手に入れた?」


 唐突に、ノーウェイがそう聞いてきた。


「これまで何人もの冒険者を雇ったが、誰一人として持ち帰った者は居なかった。お前たちは、どうやってコピ・ルアクを手に入れた」


 この何気ない質問に、ノエルは全身の毛穴から嫌な汗が噴出すのを感じていた。

 言えない……猫の体内から取り出したのです、とは。それを言ってしまえば森の猫は乱獲され、長老の不安が現実の物となってしまう。かといって、適当にはぐらかす事も難しいだろう。手に入れてきたコピ・ルアク其の物の信憑性を疑われかねない。そして本当にどうやって手に入れたのかは、絶対に……絶対に言えない。

 横目でサークスの様子を窺えば、どうやら自分と同じ所で思考停止しているようだった。丹精な顔に、一筋の冷や汗が流れ落ちる。


「どうした、どうやって手に入れたのかと聞いているのだ。余の質問に……」


 どう答えたら良い? なんとはぐらかせば良い? どうすればみんな幸せになる事が出来る?

 答えの見えないまま、ノエルがとにかく何か喋って時間を稼ごうとした……その時だ。


「クソだよ」


 広い室内にヤマトの声が響き渡った。

 驚いてノエルが振り返れば、仁王立ちするヤマトと、その隣で頭を抱える太郎丸の姿が映る。


「くそ……とな?」

「ああ、そうだ。あのコーヒー、コピ・ルアクってのは現地の言葉で猫のコーヒーって意味でなぁ……」


 意地の悪い目付きで、ニヤニヤと薄笑いを浮かべるヤマト。幼馴染としての直感が、ノエルの警鐘を打ち鳴らす。

 まずい、急いでヤマトの口を塞がなきゃ!

 慌ててヤマトへと駆け寄るノエル。だがその行動は、ほんの僅かに遅かった。


「なんと、猫の糞から取れるんだよ!! クソの中から取れるコーヒー豆を、向こうじゃコピ・ルアクって言うんモガモガモガ……!」


 言っちゃった……!

 言っちゃいけない、本当の事を。


「そ……それは、まことか?」


 ノーウェイの問い掛けに冒険者たちは目を逸らし、誰も答えようとしない。ただ口を塞がれたヤマトただ一人だけが、とても楽しげな表情で段上を見つめている。

 その沈黙こそが、コピ・ルアクの真実を雄弁に語っていた。


 一週間前。

 一匹の猫が命拾いをした、しばらく後。

 集落付近、コーヒーの木が生い茂る原生林にて、ヤマトは見事にコピ・ルアクを見つけていた……猫の糞の山から。


「ほらな! 見ろよ、あると思ったんだ! この種って結構固いだろ? そう簡単に消化できないって事になったら、最後にはケツから出すしか無いもんな」


 嬉しそうに語るヤマト。彼の眼前には、たくさんの糞と、それに塗れたコーヒー豆。どうやらこの付近の猫は、一箇所で用を足す習性があるようだ。

 彼は猫のソレを解し、細かく選り分けて…………いや、多くは語るまい。


「大したものだ、ヤマト君。キミのお手柄だ、僕が浅はかだったと認めざるを得ない」

「や、やったねヤマト……」

「げふっ、けふけふ……」

「…………」


 そんなヤマトを、遠巻きに見つめるサークス、ノエル、太郎丸。そしてスミ。


「いやぁ、それほどでも……木の上から見た時にさ、猫の糞してあった所から、なんか芽が出てたんだ。だからもしかして、とは思ってて……それはそれとして、お前らも少しは手伝ってくれよ。結構大変なんだよコレ……」


 糞を選り分ける作業を続けながらヤマトがぼやく。だが……。


「キミの手柄を横取りするほど、僕は恥知らずな男じゃないつもりさ」

「私はその……天使ってキャラクター的に、ちょっと……」

「げふっ……けほっ!」


 誰もが彼を遠巻きに見守り、一歩たりとも近寄ろうとしない。しかしそれも無理からぬ事だろう。雑食性である猫の糞は、多少距離を取っていてもなお、かなり匂う。


「何だよお前ら、冷たい連中だぜ。それでもパーティーか! なあスミ、お前は手伝ってくれるんだろ?」


 名を呼ばれたスミは、猫を抱いたままヤマトを正面に見据えて、悲しげにボソリと呟く。


「アンタ本当の意味で、糞チビになっちゃったね……」

「おいコラぁ! クソとか言うんじゃねぇよチビ! そもそも俺が居なきゃなぁ……!」


 と、こうしてヤマト一人の手によって幻のコーヒー豆コピ・ルアクは穏便な方法によって集められ、冒険者たちは無事にノーウェイの元へと届ける事に成功したのだった。


 そして現在。


「……つまり余は、猫の糞まみれの物を口にした、という事か?」

「一応、洗ってはあるけど……まあ、そういう事になるな」


 ここまでバレては仕方ない。そう達観したノエルの束縛から解放されたヤマトは、この上なく嬉しそうにノーウェイと向き合う。タチの悪いイタズラのネタばらしを楽しむ、意地悪な男の子そのものといった風情だ。


「こう言っちゃなんだけど、苦労して取ってきたんだぜ? 戻って来る間、何回手を洗ってもニオイが消えねぇし……ああ、ニオイってのはウOコのニオイな」

「……!」


 ヤマトが一言喋る度にノーウェイの顔色が、どんどん赤みを増して行く。カップを持つ手は震え、両脚も痙攣してガタガタと椅子を揺らす。その様はまるで、癇癪を起こして泣き喚く幼児のようだ。

 そして部屋の片隅からは、普段虐げられる立場の召使いたちが、怒りに震える主人の様子を心底楽しそうな表情で覗き見ている。


「こ……この痴れ者が! 何故先に教えぬ!? 知っておれば、そのような汚い物ッ!!」

「でもウマかっただろ? ウOコのダシが利いてて」


 一瞬の静寂。それを破ったのは……。


「ぷふっ!」


 笑いを堪えきれず、太郎丸が吹き出した声だった。


「ふっ、ふははははっ!」

「あはっ! あはははは!」

「ゲラゲラゲラ……」


 太郎丸につられて、至る所から次々に上がる笑い声。これまでの鬱憤を晴らすかのように、冒険者たちも屋敷の使用人たちも、全員が大声で笑い出す。

 これほど楽しく、痛快な事があるだろうか? 皆が心の中に抱える「ざまぁみろ!」が、笑い声となって溢れ出したのだ。

 腹を抱え、涙を流し、笑いすぎて咳き込む者もいる。それでもなお楽しげな笑い声は止む事を知らず、屋敷全体に響き渡る。


「うひひひひ……」

「あはは……あはっ、あはは……」


 笑い声は絶え間無く続き、やがて、皆が笑い疲れた頃だった。


 パリンっ!


 頼りなく、切ない音が室内に響いた。

 それがコーヒーカップの割れる音だとわかった時、笑い声が次第に小さく、少なくなって行く。


「よくも……余を謀り、コケに……ッ!」


 音のした方向には、椅子から立ち上がり、冒険者たちを睨むノーウェイの姿があった。

 激しい恥辱と怒りの為か、その顔は林檎のように真っ赤に染まり、今もなお赤みを増して行く……その色は本当に赤く……まさに真紅と呼ぶべき色だ。


「おい、アイツ……な、なんか……大丈夫なのか?」


 動揺の混じる声で、ヤマトが呟く。

 皆が見守る中、ノーウェイは頬も、唇も、耳の先も、目の中にまでも赤色が広がり、首や手も同色に染まって行く。そして林檎のようだった赤は深みを増し、血のような色へ。そして暗く錆び付いた鉄のような色に変わる。


「みんな……気をつけて!」


 誰に言うでもなく、そう呟いた時。天使ノエルは感じていた。

 悪魔の到来を。

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