第十一話:幻の琥珀色(五)
冒険者たち四人が集う小屋にスミを伴った長老が姿を現したのは、ノエルの治療が一段落付き、各家々からは夕食の香りが漂い出す、そんな時間帯の事だった。
もうすっかり足の傷が癒えたらしい長老は、しっかりとした足取りで冒険者たちの下へと歩み寄ると、深々と頭を下げてこう言った。
住民全員にお恵みを頂き、我ら皆、感謝して余りある。そこまでして頂きながら、何も返す物が無いどころか、我らは皆様に隠している事がある。せめてもの恩返しに、それを今からお伝したいと思う。
「その隠し事が、コレか……」
夕焼けに染まる山林に、冒険者たちとスミ、合わせて五人の若者はやって来た……いや、戻ってきた、というべきかもしれない。
ここは昼間にコーヒーの実を集めた森。まだ記憶に新しい香り漂う、見覚えのある場所だ。
「なるほど、この猫がね……道理で、コーヒーの実を食べるわけだよ」
そう呟くサークスの前には昼間見かけた猫が、無邪気な表情で佇んでいる。また食べ物でも貰えるとでも思っているのだろうか? 警戒する様子は無く、手を近づけても指先に鼻を擦り付けてクンクンするくらいで、全く逃げようとしない。
「希少なコーヒー、コピ・ルアク。コピとはコーヒーの事。そしてルアクとは猫の事……すなわち、猫のコーヒー」
長老は言った。コピ・ルアクとは、山猫の食べたコーヒーの果実から作られると。
コーヒーの果肉は消化され、腹には種だけが残る。その熟成された種を腹から取り出し、炒った物が希少なコーヒー豆として世間に伝わっているのだと。
「アタシたち、たまに猫の毛皮を取るから……その時にお腹から出た豆を使うの。でも、ほとんど取れないから……」
スミが小さな声で言った。産出資源に恵まれない山間の集落において、柔らかくしなやかな猫の毛皮は、貴重な資源。もしもコピ・ルアクの取り方が世に知れ渡り、幻のコーヒーを求めて件の猫が乱獲されるような事になれば、集落にとって大きな打撃だ。あっという間に猫は絶滅し、コピ・ルアクは本当の意味で幻となるだろう。
「なるほど、他の冒険者たちがコーヒーを手に入れられなかった理由がわかったよ。肝心の生産者に口を噤まれちゃあ、どうしようも無い」
「……ごめんなさい」
しょんぼりと俯くスミ。その頭を、ノエルが軽く撫でる。
彼女としても、せっかく仲良くなれた人たちに隠し事をするのは辛い物があったのだろう。撫でられた頭をノエルの服に押し付け、鼻を啜っている。
「さて、それじゃあ……」
すらりと長剣を抜き放つサークス。そんな彼へ、少し疲れた表情のノエルが躊躇いがちに声を掛けた。
「やっぱり、殺すんですか?」
その声にスミが首をすくめ、猫は小首を傾げる。
「ああ、長老の好意を無駄にはできないし……僕たちは冒険者だ。いけ好かない相手ではあるが、依頼人にコーヒーを届けなくちゃならない」
表情を曇らせ、サークスが言う。子供に聞かせるような事では無いと配慮したのか、多少抑え目の声だ。
「この猫は可哀想だが……せめて苦しまないように、一撃で首を刎ねるよ。汚れ役は、僕がやる」
皆に離れるように言って、構えを取るサークス。
「あ……う……」
何か言わなければ、と口を開くノエルだったが、言葉が詰まって出てこない。
確かに何の罪も無い猫を殺す事に強い抵抗はある。だが奇麗事だけで人は生きられない。清廉潔白を由とする天使ノエルではあるが、理想と現実に開きがある事くらい知っている。危険でシビアな世界に生きる冒険者であるなら、尚更だ。
ここで猫の腹を裂き、コピ・ルアクを得なければ依頼は失敗してしまうのだ。サークスの意見は一方で正しく、止めたくても、その為の言葉が見つからない。
これは魔物を排除するのと同じ事。必要な犠牲なのだと、目を閉じ耳を塞ぎ、心に蓋をしてやり過ごす以外に無いのだろうか?
「では……ッ!」
サークスが剣を振りかぶった。スミが身体を固くして目を閉じ、ノエルは目を背ける。
夕焼けの赤い光を反射した銀の刃が、真っ赤な軌跡を残して猫の首を通り過ぎる――。
だが、猫の首が飛ぶ事は無かった。かわりに響いたのは、甲高い金属音。
「……何のつもりだい?」
銀の刃は、鋼の刃に阻まれ猫の寸前で止まっていた。サークスと猫の間に身体を割り込ませ、ヤマトが剣を受け止めたのだ。
「あ、危ねぇ……! 俺ごと叩き斬られるトコだったぜ」
緊張の中に薄笑いを浮かべ、ヤマトが呟く。あと一瞬でも遅ければ、ヤマトと猫の首が、仲良く地面に転がっていた事だろう。
「どいてくれないか、ヤマト君。猫へ下手に恐怖を味あわせる方が、僕は酷い思う」
「ちょっと待ってくれ! 少しで良いんだ、時間をくれ! 俺に考えが……」
ヤマトの背中に庇われた猫を半泣きのスミが抱き上げたのを見て、サークスは溜息と共に剣を引いた。そして厳しい口調で言い放つ。
「考え? それはもしや、猫に豆を吐かせる……なんてアイディアじゃないよね? それくらいなら僕も考えたさ。だが猫の腹で熟成が必要だという事を考えた場合、確実性に欠ける」
「い、いや。まあ確かに似たような事ではあるんだけど……」
言いながら、その場にへたり込むヤマト。剣を受けた衝撃によるものか、それとも恐怖による物か、彼の両手足には震えが来ている。
「ふぅ、ちょっと痺れが取れるまで待ってくれよ」
「……まあ良い。どちらにせよ……」
猫を抱くスミをちらりと見て、サークスは再度大きな溜息を吐く。
「この状態の猫を斬れる程、僕は鬼畜にはなれない。キミの話を聞こう」
ほっと息を吐く一同。
そしてヤマトは、ぽつぽつと自分の考えを話し始めた。