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第十話:幻の琥珀色(四)

 自らの容姿を引き立てる化粧も、やりすぎれば逆効果となるように、素晴らしい香気も時と場合によっては台無しになる。コーヒーの香りが、まさにそれだ。


「ぐっ……けふ、けふっ……」

「おい、大丈夫かよ太郎丸?」


 室内にコーヒーの香りが充満している。

 ここはヤマトたちが冒険の拠点として借りている、集落の隅に建つ小屋の中。


「少し休憩するか?」

「いや、それには及ば……けふっ、けふっ!」


 四人の冒険者たちは採集してきたコーヒーの実を、飲料用コーヒーとする為の作業の真っ最中。全員が口元を布で覆っての単純作業。身を潰し、種を取り出し、炒る。ひたすら地道に手を動かし続けるだけの、簡単ではあるがちょっと面倒な作業だ。

 しかし問題は作業の難易度では無い。煎られた種子より燻り立つ、濃厚なコーヒーの香りだ。


「けふ……けふんっ! げふっ!!」

「やっぱり一旦休憩にしましょう? 太郎丸さん、私と一緒に来て下さい。治療しますから」

「か、かたじけない……!」


 ヨレヨレの太郎丸を連れて小屋の外に出る冒険者たち。山間を抜けて吹き付ける、木々の香りを含んだ風が疲れた身体に心地良い。


「ふう~……っ。楽勝かと思ったけど、結構キツいなぁ」


 口布を外し、深呼吸するヤマト。コーヒーは嫌いでは無いが、あまりに強烈な香りを長時間嗅いでいた物だから、少し頭が痛い。人間である自分がそれなのだから、凄まじく鼻が利くといわれる人狼の太郎丸には耐え難い苦痛だろう。

 そう思いながら周囲を見渡せば、ノエルに連れられて木陰で休む太郎丸の姿が目に入った。


「太郎丸さん、ゆっくり深呼吸して、気を楽にして」


 木の幹にもたれ掛り、ぐったりと座り込んだ太郎丸。その身体をノエルの翼が優しく包み込む。

 淡い輝きを放つ純白の翼。その光が徐々に膨らみ、やがて太郎丸の全身も同様の光を放ち始める。


「どうですか?」

「む、これは中々……心地良い物だ」


 ウットリとした表情で呟く太郎丸。先程までしきりに出ていたクシャミとも咳ともつかない症状も治まり、苦しげだった呼吸も緩やかになっている。


「私の治癒、即効性は無いですけど、使えば無くなるというような物ではありませんから。いつでも、遠慮なく言って下さいね」

「……心得た」


 普段は見る事の無い穏やかな表情で目を閉じ、優しい暖かさに身を委ねる太郎丸。ノエルの放つ光は彼の、クシャミや咳以外の小さな切り傷や打撲の類も、全部まとめて治して行く。

 そして数分が経ち、そろそろ太郎丸の体調も万全に戻った頃だ。


「ねえ天使のお姉ちゃん、ちょっとイイ?」


 集落に戻るなり姿を消していたスミがひょっこりと姿を現し、ノエルの服を引っ張った。傍らには杖を突く高齢の男性が、震える足でスミに寄り添うように立っている。ノエルの記憶が確かなら、確かこの男性は集落の代表者であったはずだ。他の者から長老と呼ばれているのを聞いた覚えがある。


「どうしたのスミちゃん?」

「あのね……」


 問いかけたノエルに、スミはちょっとだけ迷い、俯いて遠慮がちに、小さな声で神の使いである天使へ「お願い」をした。


「おじいちゃんの足……診て欲しい」


 スミの連れてきた高齢の男性は、ノエルの記憶通り集落の長老であると名乗り、あわせて自分は足が不自由であると明かした。元々は健常であったのだが、何年か前に転び、足と腰を痛めてからは歩くのにも苦労しているという。


「この通り、歳も歳でな……用を足すにも小さな娘を煩わせる始末。あまりに心苦しい」


 片手で杖を突き、逆の手ではスミの肩を借りる長老。若い頃は元気だったのだろう。彼の表情に落ちる影は深い。

 ノエルは黙って彼の話を聞き続ける。


「ならば駄目で元々、幸いにも訪れた天使様にお頼みをと思うて……。天使様にこのような老人が願い出るなど、厚かましい事は承知の上なのですが……」

「お願い、お姉ちゃん! お金なら……」


 そう言って、懐から小さな革袋を取り出そうとするスミ……と、その幼い手に天使の手のひらが重ねられる。


「大丈夫だよ、そんなの。私たちを手伝ってくれたスミちゃんのお願いだもん」


 微笑むノエルに、曇っていたスミの表情が一気に晴れ渡る。


「おぉ、天使様……! なんとありがたい……っ!!」

「そんな、どうぞ顔を上げて下さい。私たちもスミちゃんには力を貸してもらったのです。何もお気になさらず」


 しきりに頭を下げ、恐縮する長老。そんな彼を宥めながら、ノエルはスミに言った。


「じゃあスミちゃん、私からもお願いして良い? あのね……」


 慌てて駆け寄ったスミは、フンフンと鼻息荒くノエルの「お願い」に耳を傾ける。

 そして――。


「な……何事だい、あれは?」


 近くの川で手を洗い、ついでに顔も洗って小屋へと戻ったサークスは、我が目を疑った。自分たちが借りている小屋の前に何十人も……いや、何百もの人が集まり、ごった返しているのだ。

 小さな集落である。これだけの人数ともなれば、もしや住民全員が集まっているのではないだろうか?


「サークス殿、戻られたか」


 目を丸くするサークスに、木陰で休んでいた太郎丸が声を掛ける。驚きを隠しきれないサークスは太郎丸の調子伺いも程ほどに、目の前の有様について尋ねる。


「人だかりの、中央付近を見られよ」


 そう言われ、サークスは木に取り付いて少し背伸びをし、人込みのど真ん中へと視線を走らせる。

 そこでは純白の翼を大きく広げた天使が、目を閉じて微笑を湛え、周囲に光の雨を降らせていた。


「あれは……」

「ノエル殿だ。彼女が住民を癒している……無償で、片っ端からな」


 馬鹿な!

 サークスはその一言を、辛うじて飲み込んだ。

 ありとあらゆる傷や疾患を癒すと噂される天使の他者治癒能力。その力は神の愛が如く無限であり、尽きる事は無いとされる。しかし天使とて生物である以上、能力を使えば疲れが溜まり、どこかで必ず限界が訪れるはずだ。無限などというのは言葉のあやだろう。とりあえず目的のコーヒーは手に入れたものの、冒険はまだ半ば。そう考えた時、無駄に力を使うのは愚の骨頂といえる。


「帰り道の事もある。程々で止めるように言わなければ」

「無駄だ」


 険しい顔で歩き出そうとしたサークスを太郎丸が止める。


「無理はするなと伝えたのだが、大丈夫へっちゃらです……との事だ」

「そうか……」


 その言葉に、サークスも諦めがついたのか木陰へ腰を下ろす。太郎丸が言って聞かなかったのだ。自分が言っても同じだろう。

 天使の少女は、こんな山間の小さな集落で力を振るって、一体何がしたいのか。どうしても治療が必要な急患が居る様子も無いというのに。多少住民から喜ばれる事はあっても、ただそれだけ。お礼にと、小銭を握らされて終り……といった所が関の山だ。


「全く、困った事だ。異種族……特に天使や悪魔といった種族は、僕ら人間には理解し辛い部分があるね」


 目の前の光景を呆然と見つめるサークス。光を纏い、人々を優しく癒すノエルの姿は、天使の名に相応しい神々しさであり、目を覆いたくなる程に気高く、美しい。

 そして美しい天使の周囲には、小柄な少年、ヤマトの姿もあった。声を上げ、集まった人々を整理し、効率良く並ばせている。何やら「こちら最後尾」と書かれた手製の看板まで持っている様子だ。


「どうもヤマト君は、随分と手馴れているようだね」

「うむ。毎度の事なのだろうな」


 感心したように、半ば呆れたように、サークスと太郎丸は呟く。


「まだしばらく時間が掛かりそうだ。少し早いが、食事にするかい?」

「……うむ」


 二人は頷き合い、小屋の中へと姿を消した。

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