第九話:幻の琥珀色(三)
ツヤツヤとした緑色の葉っぱは、大きな手のひらのような形。太い幹は高く伸び上がり、見上げれば首が痛くなる程。その所々に小さな赤黒い果実をつけた樹木が辺り一面、所狭しと繁っている。
「これだよ、コーヒーの木。間違い無い」
ヤマトの背中に乗ったガイドのスミが太鼓判を押し、色めき立つ冒険者たち。
森に入り込んで、約一時間。いともあっさり、彼らはコーヒーの木群生地へと辿り着いていた。
「どぉだ糞チビ、見たかアタシの実力!」
「へぇへぇ、大したチビだよお前は……」
鼻息荒く、ヤマトの後頭部を叩くスミ。ヤマトの相槌は随分と適当ではあったのだが、どうやら褒められたと思ったのだろう。彼女は薄い胸を反らして顔を紅潮させている。
コーヒーの木を探しながら追いかけっこして互いに罵りあう内、スミはすっかりヤマトに懐いていた。追いかけっこで疲れたスミをヤマトが背負ってからは特にそれが顕著で、コーヒーの木のガイドを雇ったのか遊び相手として雇われたのか、わからなくなってしまう程だ。
「それじゃ、早速収穫しようか」
「俺とノエルが木から落すから、みんなは下で拾ってくれ」
スルスルと器用に木を登り、緑の葉生い茂る天辺付近で声をかけるヤマト。ノエルも小刀を手にフワリと舞い上がり、ふとスミに問いかける。
「ねえスミちゃん。コーヒー豆って種だから、実の外側は少しくらい傷ついても大丈夫なんだよね?」
「え……っと。あ、う……うん」
ノエルの何気ない問い掛けに、なにやら口ごもるスミ。ちょっと人見知りしてしまったのか、それとも知らない事を聞かれて困ったのか。
「ま、なるべく傷付けないようにすりゃ良いだろ」
「そうだね。それじゃ、落しま~す!」
言うが早いか、腐葉土の積もった地面にコーヒーの実が次々と落下し始める。
誰も摂る者が居ないのか、たわわに実った果実の量は非常に多く、回収が追いつかない程だ。それらを一つ一つ丁寧に袋へと収めて行く。
傷付いた果実から濃厚なコーヒーの匂いが溢れて付近に漂い、目を閉じて深呼吸すれば、上等なカフェにでもいるような錯覚を覚える。ただ一人、極端に鼻の利く太郎丸だけはしきりに鼻を擦り、ゲフゲフと苦しそうにしていたが……。
ともかく、一時間も経った頃だろうか。
「ストップだ、ヤマト君。もう袋が一杯で持ちきれない」
サークスの声がする方へ注目してみれば、両手でやっと抱えられるようなサイズの、ずっしりと重そうな麻袋が四つ出来上がっていた。ここまで何のトラブルも無く、驚くほど順調な行程に、拍子抜けの感さえある程だ。
「ふぅ、こんだけあれば十分だよね?」
「そうだな。んじゃあ、引き返すか」
ノエルと頷き合い、木から降り立ち額の汗を拭うヤマト……と、その視界の端に、一瞬動く物が映った。
それに最も早く反応したのは太郎丸だ。跳ねるような動きで体勢を整えると、腰の剣に手を掛け、重心を低く身構える。
「何かいるぞ!」
警告を発する太郎丸。
やっと事態に気付いたノエルが翼を広げて臨戦態勢を取り、スミが身を固くしてヤマトにしがみ付く。サークスは少し遅れて、取り回しの良い短剣を抜き放った。
軟らかな土を蹴立て、木々の間を何か小さなモノが走り回る。かなり機敏な動き。一瞬だけ赤茶色の毛並みが見えたが、その程度でしか目に止まる瞬間が無い。
「気をつけろ、みんな!」
油断無く短剣を構え、サークスが考えを巡らせる。
木々が生い茂り、腐葉土に足を取られる森の中ではこちらが不利だ。一匹くらいならどうとでもなるだろうが、複数体が現れた場合、足手まといを守りながら戦うのは難しい。ここは一旦、撤退を……。
そう考え、全員に伝えようと口を開きかけた時だった。
「みんな、チョッと待って!」
その足手まといこと、スミが大声で叫んだ。
「静かに! 大声を出せば狙われるぞ!」
「大丈夫、襲われたりしない! 大丈夫、大丈夫だカラっ!」
「そうは言うが、一体何が大丈夫だと言うんだ!?」
スミの声に多少の苛立ちを感じながら、サークスが身構えたままで尋ねる。彼女は大丈夫だとしきりに訴えているが、根拠の無い子供の妄言に踊らされ、パーティーを危険に晒すわけには行かない。警戒を維持し、このまま安全圏へ下がるのが良策だ。
しかし、そんな妄言に踊らされる者が居た。
「ああ? スミ、大丈夫なのか? なんだよ、ビビって損したぜ」
スミを庇い、最後尾へと下がっていたヤマトだ。彼はそそくさと短剣を仕舞うと、足手まといと共にスタスタと前衛へと歩いて来る。
「待て、ヤマト君! まだ安全は……」
「いいえサークスさん、どうも大丈夫みたいですよ?」
緊張の維持するサークスに、上空からゆっくりと降りてきたノエルが優しい声を掛けた。
「ほら、あそこを見て下さい……可愛いですよ」
彼女の指差す方向……そこに居たのは、小さな猫だ。
赤茶色の毛並みと、シャープな身体つき。街で見かける野良猫よりは精悍な顔付きをしていたが、それでも確かに猫だ。尻尾は細く、手足は頼りなげで、ふかふかの毛並み。どうやら、まだ子供のようだった。
「な!? どうしてこんな所に、こんな小さい幼獣が……」
訝しむサークス。普通、人間が騒いでいるような所に野生の獣はやって来ない。来るのは交戦的な魔物くらいだと彼の経験は言っている。
そんなサークスの警戒心を感じ取っているのだろうか? 猫は冒険者一行を警戒しながらジリジリと移動し、落ちていたコーヒーの果実を一つ咥えた。そして慌てて木の後ろへと逃げ込むと、シャリシャリと齧り始める。
「ははっ、どっかのチビみたいな動きだな。腹減ってんのか? ほら、もう一個食えよ」
ヤマトがコーヒーの実を放り投げると、猫は少しだけ身体を強張らせたものの、すぐに実を咥えて木の陰に隠れ、今度はあぐあぐと何度も噛み潰して飲み下して行く。
「なんだよ、可愛いなコイツ。目付き悪いけど」
「そうだね……ほら、もっと食べる?」
すっかり和むヤマトとノエル。その後ろでは、サークスがようやく緊張を解いて、スミに話しかける。
「そうか、スミちゃんはこういった猫がコーヒーを食べに来る事を知っていたんだね? それならそうと、最初に言っててくれれば……」
「う、うん……ゴメン」
叱られた為だろうか? 気落ちしたような表情を見せるスミ。
「子供とはいえ、一応はガイドとして……」
「まあ良いでは無いかサークス殿。最初から危険が無いと知っていては、我々の警戒も緩もうというもの。結果的に、これで良かったのだ」
まだ何か言い足りなそうだったサークスを、太郎丸がやんわりと宥める。普段喋らない彼だけに、口を開いた時の存在感には無視できない物があった。サークスもそれを感じたのだろう。「それもそうだね」と引き下がり、大人気なかったとスミに詫びる。
「う、ううん。ゼンゼン大丈夫、気にしないで! ほら、いつまでもネコと遊んでないで、行くよ糞チビ!」
「糞とかチビとか言うんじゃねぇよ!」
明るい笑顔を取り戻したスミが走り出し、大きな麻袋を担いだヤマトが追う。
そんな二人を見送りながら、ノエルは感じていた。
漠然とした違和感と、奇妙な不安を。