『地図にない町で、君と美味しいものを。――途中下車から始まる、不思議な一日旅』
今回は、行き先を決めない途中下車の旅をテーマにした短編です。
美味しいものを探して立ち寄った先で、地図には載っていない不思議な町へ――。
少し不思議で、どこか懐かしい一日旅をお楽しみください。
「ねえ、全部放り出して、どこか遠くへ行ってみない?」
その一言を口にしたのは、金曜日の夜だった。
仕事を終え、駅前の小さな居酒屋で焼き鳥をつまみながら、僕――相沢直人は高校時代からの友人、藤崎美月にそう言われた。
「……いきなりだな」
「いきなりじゃないと、旅なんて始まらないよ」
美月はそう言いながら、熱々のだし巻き卵を箸で切った。
湯気がふわりと立ち上る。
「最近さ、直人、ずっと疲れた顔してるじゃん」
「仕事だから仕方ないだろ」
「それ、社会人が一番言っちゃいけない諦めの言葉だと思う」
「厳しいな」
「だから旅に出る」
「明日?」
「明日」
「どこへ?」
「決めない」
僕は焼き鳥を持ったまま美月を見た。
「……決めない?」
「そう。朝、駅へ行って、一番最初に乗りたくなった列車に乗る。途中で美味しそうなものを見つけたら降りる。それだけ」
「宿は?」
「そのとき考える」
「帰りは?」
「そのとき考える」
「適当すぎないか?」
すると美月は笑った。
「旅なんて、それくらいがいいんだよ」
その言葉に押されるようにして――。
翌朝。
僕たちは小さなリュックひとつで駅に立っていた。
◇◇◇
午前七時十二分。
僕たちが乗ったのは、地方へ向かう普通列車だった。
目的地はない。
ただ窓の向こうを眺めながら、気になった駅で降りる。
そんな旅だ。
車内には高校生や買い物へ向かうらしい年配の夫婦、それから大きな旅行鞄を持った女性が数人いるだけだった。
都会を離れて一時間もすると、景色はすっかり変わった。
高い建物が消え、代わりに田んぼと山が増えていく。
窓の外では、収穫前の稲が風に揺れていた。
「いいねえ」
美月が言った。
「何が?」
「何もないのが」
「地元の人に怒られるぞ」
「違うって。何もないんじゃなくて、余計なものがないってこと」
確かに。
スマートフォンの通知も、仕事のメールも、会社の予定表も。
列車の中にいると、すべてが遠く感じられた。
しばらくして。
列車が小さな駅に停まった。
ホームには古びた木造の待合室。
駅名は――。
「浜崎?」
美月が窓に顔を近づける。
そのときだった。
ホームの端に、小さな屋台が見えた。
白い煙が立ち上っている。
「……あれ」
美月が言った。
「絶対美味しいやつ」
「何で分かるんだよ」
「煙」
「煙?」
「美味しい店は煙が違う」
意味は分からなかったが。
僕たちは次の瞬間、荷物を持って列車を降りていた。
◇◇◇
屋台で売っていたのは、焼き鯖だった。
ただの焼き鯖ではない。
串に刺した大きな鯖を炭火でじっくり焼き、仕上げに醤油を塗っている。
ジュッ。
炭へ脂が落ちるたび、香ばしい煙が立つ。
「一本六百円」
店のおじさんが言った。
「二本ください」
美月が即答した。
「早いな」
「旅先の食べ物に迷う時間ほど無駄なものはない」
受け取った焼き鯖は、想像以上に大きかった。
かぶりつく。
「……うまっ」
思わず声が出た。
皮はぱりぱり。
中は驚くほどふっくらしている。
脂が口いっぱいに広がったところへ、焦げた醤油の香りが追いかけてくる。
「美味しい……」
美月は幸せそうに目を細めた。
おじさんが笑う。
「朝に焼く鯖はうまいだろ」
「何でですか?」
「魚が朝から頑張ってるから」
「絶対違うでしょ」
三人で笑った。
焼き鯖を食べ終え、僕たちは駅前を歩いてみることにした。
小さな商店街には、昔ながらの八百屋や和菓子屋が並んでいる。
そこで今度は、焼きたてのみたらし団子。
一本百五十円。
「食べる?」
「さっき鯖食べたばっかりだぞ」
「甘いものは別」
「旅が始まって二時間で、もう二食目だぞ」
「旅先のカロリーは観光費」
意味不明な理論だった。
だが結局。
僕も一本食べた。
柔らかな団子に、甘辛いタレ。
焦げ目の香ばしさ。
「……うまい」
「でしょ?」
美月が得意そうに笑った。
なぜ彼女が得意になるのかは分からない。
◇◇◇
午前十一時。
再び列車へ乗った。
今度も目的地は決めない。
けれど三十分ほど走ったところで、妙なことが起きた。
列車が突然、速度を落としたのだ。
車内放送が流れる。
『この先、信号確認のため、しばらく停車いたします』
山あいの区間だった。
窓の外には細い川。
その向こうに古い家々が見える。
「あそこ、町かな」
美月が言った。
「地図見てみる」
スマートフォンを開く。
けれど――。
「……あれ?」
何も表示されない。
道路も、店も、町の名前も。
「電波ない?」
「いや、電波はある」
もう一度拡大する。
しかし画面に映っているのは山だけだった。
そのとき。
列車がゆっくり動き始めた。
そして数分後。
見たことのない小さなホームに停まった。
駅名標には。
『夕凪町』
と書かれていた。
「夕凪町……?」
僕は検索した。
結果――ゼロ。
「地図にもない」
美月も自分のスマートフォンを見る。
「本当にないね」
だが駅前には確かに町がある。
古い木造家屋。
石畳。
暖簾を出した食堂。
八百屋。
魚屋。
旅館。
人々も普通に歩いている。
そのとき車掌が言った。
「十分ほど停車します」
美月が僕を見た。
その顔だけで分かった。
「まさか降りる気か?」
「もちろん」
「十分しかないぞ」
「だったら次の列車に乗ればいいじゃん」
「次あるのか?」
「旅は冒険です」
「急に格好いいこと言うなよ」
結局。
僕たちは夕凪町で降りた。
そして。
それが普通の旅行ではなくなる最初の一歩だった。
◇◇◇
駅を出る。
空気が妙に静かだった。
車の音がほとんどない。
聞こえるのは川の音と、遠くから聞こえる鳥の声。
石畳の道を歩いていると、美月が鼻をひくひくさせた。
「直人」
「何だよ」
「出汁の匂いする」
「犬か」
「こっち」
美月は迷うことなく路地へ入った。
そこには。
『食事処 なぎさ』
と書かれた暖簾。
店の前に小さな黒板が置いてある。
――本日の昼定食。
鯛めし。
山菜天ぷら。
だし巻き。
あさり汁。
漬物。
千二百円。
美月が僕を見る。
僕も美月を見る。
「入る?」
「入らない理由ある?」
即決だった。
店内には十席ほど。
僕たちはカウンターへ座った。
厨房に立っていたのは、六十代くらいの女性だった。
「いらっしゃい」
「昼定食二つお願いします」
「はいよ」
五分ほどすると、小さな釜が運ばれてきた。
蓋を開ける。
白い湯気。
その中に鯛の切り身。
三つ葉。
薄く刻まれた生姜。
「うわ……」
美月が声を漏らした。
茶碗によそう。
一口。
米に鯛の出汁が染みている。
味は濃すぎない。
なのに噛むほど、旨味が増していく。
「美味しい……」
次に山菜の天ぷら。
塩を少しだけつける。
サクッ。
山菜のほろ苦さ。
衣は軽い。
続いて、だし巻き。
箸を入れると、出汁がじわりと染み出す。
「ああ……」
美月が目を閉じた。
「何だその反応」
「美味しいもの食べると、人は語彙力を失うんだよ」
最後にあさり汁。
大きなあさりが三つ。
出汁が体に染みる。
「ここ、すごいな」
僕が言うと、店の女性は嬉しそうに笑った。
「旅の人?」
「はい」
「珍しいねえ」
「珍しい?」
「この町へ旅の人が来るのは」
女性はそう言ってから。
少しだけ声を落とした。
「十年ぶりくらいかな」
僕と美月は顔を見合わせた。
◇◇◇
食事を終えて町を歩く。
奇妙だった。
観光地らしいのに、観光客がいない。
土産屋もある。
旅館もある。
食堂もある。
なのに外から来た人がいない。
そして。
スマートフォンの地図には、相変わらず町が表示されなかった。
そのとき。
「旅行ですか?」
後ろから声をかけられた。
振り返る。
二十代後半くらいの男性だった。
白いシャツに黒いパンツ。
肩には小さな鞄。
どこか旅慣れた雰囲気がある。
「はい」
「僕もです」
男は笑った。
「朝倉蓮といいます」
「相沢直人です」
「藤崎美月です」
「よかった」
朝倉は少し困ったように言った。
「実は僕も、この町が地図にないのが気になってまして」
僕たちは驚いた。
どうやら朝倉も、数時間前に偶然この町へ来たらしい。
「旅行記を書いているんです」
朝倉が言った。
「仕事で?」
「まあ、そんなところです」
それからなぜか。
僕たち三人で町を歩くことになった。
◇◇◇
最初に入ったのは和菓子屋。
店頭に並んでいたのは。
『夕凪まんじゅう』
一個百二十円。
黒糖を使った薄皮の中に、粒あん。
蒸したてだった。
「三つください」
美月が言う。
「また食べるの?」
「旅は胃袋との戦いだよ」
「何と戦ってるんだよ」
朝倉が笑った。
まんじゅうを割る。
中から湯気。
あんこは甘さ控えめ。
黒糖の香りが強い。
「うまい」
朝倉が呟いた。
「こういうのでいいんですよ」
「分かります」
美月が頷く。
さらに少し歩くと。
今度はコロッケ屋。
『牛すじコロッケ 二百円』
「食べる?」
美月。
「さっき饅頭食べただろ」
僕。
「甘いのとしょっぱいのは交互に食べれば永久機関になる」
「ならない」
結局三つ買った。
揚げたて。
衣がざくざく。
中にはじゃがいもと甘辛く煮込まれた牛すじ。
「……これ反則」
美月が言った。
「ビール欲しくなるな」
朝倉。
「昼間ですよ」
「旅先では時計を見ない主義です」
だんだん彼のことが好きになってきた。
◇◇◇
午後三時。
三人で川沿いの喫茶店へ入った。
店の名前は『月灯り』。
木造の古い店だった。
僕はブレンドコーヒー。
美月はプリン。
朝倉はクリームソーダ。
「その見た目でクリームソーダなんですね」
僕が言う。
「好きなんです」
朝倉は平然としている。
美月のプリンは昔ながらの固め。
上には大きな生クリーム。
カラメルはほろ苦い。
「一口食べる?」
「いいの?」
「三百円」
「金取るのかよ」
美月が笑った。
結局、一口もらった。
「……美味しい」
「でしょ?」
そのときだった。
朝倉が窓の外を見た。
町の人々が、次々と店を閉め始めている。
「まだ三時ですよね」
僕が言った。
喫茶店の店主が答えた。
「今日は夕凪の日だからね」
「夕凪の日?」
「午後五時には町を出た方がいい」
店主の表情から笑顔が消えた。
「特に、外から来た人はね」
◇◇◇
僕たちは駅へ戻ることにした。
しかし。
駅には誰もいなかった。
時刻表を見る。
午後四時二十分。
次の列車。
――表示なし。
「……え?」
美月が言った。
朝倉が駅舎の外を見る。
線路の向こう。
濃い霧が出始めていた。
「嫌な感じですね」
「どうする?」
「町の人に聞きましょう」
三人で歩き始めた。
ところが。
さっきまで開いていた店が、すべて閉まっている。
人もいない。
魚屋。
八百屋。
食堂。
和菓子屋。
誰もいない。
まるで町全体が眠り始めたようだった。
僕はスマートフォンを見る。
午後四時三十五分。
電波――圏外。
「朝倉さん」
「はい」
「何か知ってます?」
朝倉はしばらく黙っていた。
そして言った。
「……実は僕、この町へ来るのは初めてじゃありません」
美月が足を止める。
「え?」
朝倉は静かに続けた。
「二十年前。僕はここで生まれました」
◇◇◇
彼の本当の名前は。
朝倉蓮ではなかった。
夕凪蓮。
かつてこの町で生まれた人間だった。
二十年前。
大きな土砂災害がこの地域を襲った。
町は壊滅。
住民の多くが移住した。
やがて行政区分も整理され。
夕凪町という名前は地図から消えた。
「でも」
美月が言う。
「この町はちゃんとあるじゃないですか」
朝倉は首を振った。
「現在の地図では、この場所には町は存在しません」
「じゃあ僕たちが食べたご飯は?」
「分かりません」
「店の人たちは?」
「分かりません」
「……幽霊?」
「そこまで単純じゃないと思います」
朝倉は続けた。
二十年前。
五歳だった彼は、母親とこの町を出た。
その後。
二度と夕凪町には戻れなかった。
道路を探しても見つからない。
電車も停まらない。
地図にもない。
ところが数日前。
一本の手紙が届いた。
差出人なし。
中には一枚の紙。
『九月二十七日。
夕凪駅で待っています』
その文字は。
二十年前に亡くなった祖母の筆跡だった。
「それで来たんですか?」
「はい」
朝倉――いや、蓮は頷いた。
「僕は旅行ライターではありません」
彼は鞄から名刺を出した。
出版社。
編集者。
「旅の本を作る仕事はしています。でも今回の目的は、この町を探すことでした」
「おばあさんは?」
蓮は首を振った。
「まだ会っていません」
そのとき。
町の奥から。
鐘の音が聞こえた。
午後四時五十分。
◇◇◇
「こっちです」
蓮が走り出した。
僕たちも後を追った。
細い路地。
石段。
その先に。
小さな家があった。
玄関の前に。
一人の老婆が立っていた。
「……蓮」
朝倉が止まる。
「ばあちゃん」
老婆は笑った。
「大きくなったねえ」
朝倉は何も言えなかった。
その目から涙が落ちた。
老婆は僕たちを家へ招いた。
「せっかくだから、ご飯を食べていきなさい」
「でも五時には町を出ないと」
美月が言う。
老婆は笑った。
「まだ間に合う」
そして。
僕たちはその日最後の食事をした。
炊きたての白いご飯。
鯵の干物。
里芋の煮物。
ほうれん草の胡麻和え。
大根と豆腐の味噌汁。
特別豪華ではない。
でも。
不思議なくらい美味しかった。
味噌汁を一口飲んで。
蓮が泣いた。
「……この味」
「覚えてたかい」
「忘れるわけないよ」
「そうかい」
祖母は笑った。
「よかった」
僕と美月は何も言わず食べ続けた。
白いご飯。
煮物。
味噌汁。
どれも優しい味だった。
そのとき。
老婆が僕たちに言った。
「旅ってのはね」
僕たちは顔を上げる。
「遠くへ行くことじゃないよ」
老婆は味噌汁を飲みながら続ける。
「普段なら出会わなかったものに出会うことだ」
その言葉を。
僕は長い間忘れられなかった。
◇◇◇
午後五時。
外へ出る。
町は夕焼けに染まっていた。
老婆は蓮の手を握った。
「もう来なくていいよ」
「ばあちゃん」
「ちゃんと自分の場所で生きなさい」
蓮は泣きながら頷いた。
「……うん」
三人で駅へ向かう。
振り返ると。
老婆はまだ家の前に立っていた。
駅へ着く。
ちょうど列車が来た。
行き先表示は。
僕たちが最初に乗った路線。
「乗りましょう」
蓮が言った。
列車へ乗る。
扉が閉まる。
ゆっくり走り始める。
窓の外。
夕凪町が遠ざかる。
美月が小さく手を振った。
その瞬間。
霧が町を包んだ。
そして。
数秒後。
何もなくなった。
山だけだった。
◇◇◇
三十分後。
列車は大きな駅へ着いた。
僕たちはホームに降りた。
スマートフォンを見る。
電波は戻っている。
地図を開く。
やはり。
夕凪町はない。
「夢……だったのかな」
美月が言った。
「でも」
僕は鞄から袋を取り出した。
夕凪まんじゅう。
和菓子屋で買った残りが二個。
美月が笑う。
「夢じゃないね」
蓮も笑った。
駅前で別れる前。
彼は僕たちに言った。
「ありがとうございました」
「僕たちは何もしてないですよ」
「一人だったら、ばあちゃんのところまで行けなかったかもしれません」
蓮は深く頭を下げた。
そして去っていった。
◇◇◇
そこから。
僕と美月の旅はもう少しだけ続いた。
「お腹空いた」
「……嘘だろ」
「夕飯」
「今日何食食べたと思ってるんだ」
「朝、焼き鯖。団子。鯛めし。饅頭。コロッケ。プリン。おばあちゃんのご飯」
「七回だぞ」
「旅だから」
「便利な言葉だな」
駅前には。
『ご当地ラーメン』
と書かれた店。
僕たちは立ち止まる。
美月を見る。
美月が僕を見る。
「……入る?」
僕が言った。
美月は笑った。
「もちろん」
店へ入る。
頼んだのは醤油ラーメン。
大きなチャーシュー。
煮卵。
メンマ。
海苔。
透き通ったスープ。
一口飲む。
魚介出汁の香り。
「……うまい」
僕が言う。
美月が笑う。
「ね?」
「何が『ね?』なんだよ」
「旅に出てよかったでしょ」
僕は少し考えた。
仕事。
予定。
日常。
全部を放り出したわけではない。
月曜日になれば、また戻らなければならない。
それでも。
今日一日だけ。
知らない駅で降り。
焼き鯖を食べ。
団子を食べ。
地図にない町へ入り。
鯛めしを食べ。
饅頭を食べ。
コロッケを食べ。
プリンを食べ。
誰かの大切な人との再会に立ち会い。
最後にラーメンをすすっている。
「まあ」
僕は言った。
「悪くなかった」
「そこは最高だったって言うところでしょ」
「じゃあ次はどこ行く?」
「え?」
「来月」
美月は少し驚いた顔をして。
それから笑った。
「決めない」
「また?」
「その方が面白いじゃん」
確かに。
予定通りにいかないから。
知らない人と出会う。
予定通りにいかないから。
予定になかったものを食べる。
そして。
予定通りにいかないからこそ。
忘れられない場所へ辿り着くこともある。
後日。
僕はインターネットで『夕凪町』について調べた。
検索しても。
やはり、ほとんど情報は出てこなかった。
ただ。
古い地方新聞を電子化した記事の中に。
一件だけ。
『夕凪地区土砂災害から二十年』
という記事があった。
そこには。
かつて小さな町が存在したと書かれていた。
そして記事の最後。
小さな白黒写真。
町の食堂の前で笑う住民たち。
その中に。
僕たちは見覚えのある顔を見つけた。
鯛めしを作ってくれた女性。
和菓子屋の主人。
喫茶店の店主。
そして。
蓮のおばあさん。
写真の撮影日は――。
二十一年前。
僕たちはしばらく画面を見つめていた。
やがて美月が言った。
「ねえ」
「何?」
「また旅に行こう」
「来月だろ?」
「明日」
「急すぎる」
「旅は思い立ったら出発です」
「仕事あるぞ」
「じゃあ来週」
僕は笑った。
「今度こそ普通の町にしような」
すると美月も笑った。
「それは行ってみないと分からないよ」
旅とは。
目的地へ行くことだと思っていた。
けれど、もしかすると違うのかもしれない。
知らない町で。
知らない料理を食べ。
知らない誰かと言葉を交わす。
そして、ときには。
地図にさえ載っていない場所へ迷い込む。
そんな寄り道の一つ一つが。
旅なのだ。
だから。
次の休日も僕たちは駅へ行く。
行き先は。
まだ決めていない。
美味しいものがありそうなら途中下車する。
気になる道があれば歩いてみる。
そして。
もしまた。
地図にはない駅が現れたなら。
僕たちはきっと。
迷わず降りるだろう。
――お腹と心を満たしてくれる、新しい旅を探すために。
〈完〉
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
美味しいものを食べながら知らない町を歩き、そこでしか出会えない人や景色に出会う。そんな「途中下車の旅」を描いてみました。
夕凪町での出来事は終わりましたが、直人と美月の気ままな旅は、これからも続いていきます。
次はどんな町で、どんな美味しいものに出会うのでしょうか。




