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心理士と戦術家

心理士である美津子の心眼と戦術家龍崎の出会いの話

職種は違っても相手を読むことには変わりはない。


第五話 <龍崎との出会い>

春の終わりに差しかかる頃だった。

山の空気にはまだ冷たい湿り気が残り、風が吹くたびに木々の葉が静かに擦れ合う音が聞こえる。

黒木美津子は車のエンジンを止め、ハンドルに手を置いたまま一度だけ深く息を吐いた。

ナビの画面には目的地が表示されている。

――喫茶店 Ayuzoroy

東京の外れ、山に抱かれるような場所にある小さな店だ。

(こんな所にあるのね)

美津子は車を降り、春風にコートの裾を揺らしながら店の前に立った。

木の看板には、素朴な文字で店名が彫られている。

扉を開けると、チリン、と控えめなベルの音が鳴った。

店内にはコーヒーの香りが満ちていた。

山小屋のような内装だった。

木のカウンター、柔らかな照明、棚に並ぶコーヒー豆の瓶。

そしてカウンターの奥に、一人の男がいた。

白髪混じりの短い髪。

年齢は六十を越えているはずだが、背筋は驚くほど真っ直ぐだった。

男はカップを磨きながら、穏やかな声で言った。

「黒木美津子さんですね」

美津子は少し驚いたが、すぐに笑みを浮かべた。

「ええ。そうです」

「初めまして」

男は軽く頭を下げた。

「龍崎です」

その名を聞いて、美津子は改めて男を見た。

――龍崎猛。

サバイバルゲーム界では知らない者がいない名前だ。

元インストラクター。

戦術家。

そしてチームRagdollを育て上げた人物。

だが目の前の男は、どこにでもいそうな穏やかな喫茶店のマスターに見えた。

「未来さんから聞いています」

龍崎はカウンターの席を勧めながら言った。

「どうぞ。長旅だったでしょう」

「ありがとうございます」

美津子は席に腰掛けた。

龍崎はコーヒー豆を挽き始めた。

静かな店内に、グラインダーの音が柔らかく響く。

「未来さんとは最近知り合ったそうですね」

「ええ」

美津子は頷いた。

「インドアフィールドで」

龍崎は微笑んだ。

「彼女は音響手榴弾が好きでしょう」

美津子は思わず笑った。

「ええ、見事にやられました」

「閉鎖空間であれを使われると、なかなか厄介ですね」

龍崎は楽しそうに言った。

コーヒーがゆっくりとドリップされていく。

湯気とともに、香りが広がる。

美津子はふと龍崎の手元を見た。

無駄がない。

動きが静かで、滑らかだ。

(この人…)

無意識に観察している自分に気付く。

心理士の癖だ。

龍崎もまた、さりげなく美津子を見ていた。

「黒木さん」

「はい?」

「心理士だそうですね」

美津子は微笑んだ。

「未来さんから聞きました?」

「ええ」

龍崎はカップを差し出した。

「どうぞ」

美津子はカップを受け取る。

香りが深い。

一口飲むと、苦味の奥に柔らかな甘みがあった。

「おいしい」

素直に言うと、龍崎は少し照れたように笑った。

「ありがとうございます」

少し沈黙が流れる。

だが不思議と居心地は悪くなかった。

龍崎が言った。

「心理士の方がサバゲをするというのは、少し面白いですね」

美津子はカップを持ったまま答えた。

「そうですか?」

「ええ」

龍崎は頷いた。

「人の心を読む仕事でしょう」

「まあ、そうですね」

「サバゲでも同じことをしているのでは?」

美津子は笑った。

「どうでしょう」

龍崎は楽しそうに続けた。

「例えば森の中で伏せているとき」

「敵がどこに来るか考える」

美津子は静かに頷いた。

「ええ」

「人は必ず“考え方の癖”で動きます」

龍崎は言った。

「慎重な人は遠回りする」

「短気な人は突っ込む」

美津子は少し目を細めた。

「龍崎さん」

「はい?」

「あなたは人の心理より“配置”を見ている人ですね」

龍崎は一瞬驚いた顔をした。

「ほう?」

美津子は穏やかに言った。

「あなたは人ではなく“盤面”を見る」

「どこに人がいて、どこが空いているか」

龍崎は腕を組んだ。

「なるほど」

「そう見えますか」

「ええ」

美津子は微笑んだ。

「戦術家の目」

龍崎は笑った。

「未来さんがあなたを面白い人だと言っていた理由が分かります」

美津子も笑った。

「お互い様ですね」

龍崎は言った。

「黒木さんは観察が自然すぎる」

「普通の人は、そこまで見ません」

美津子は肩をすくめた。

「職業病です」

外で風が吹いた。

窓の外で枝が揺れる。

龍崎は棚から一枚の紙を取り出した。

テーブルに広げる。

地図だった。

山のコース。

ポイント。

射撃地点。

「これがスナイパートライアルのコースです」

美津子は身を乗り出した。

「三キロ」

龍崎は頷く。

「六つの狙撃ポイント」

「そして対戦要素」

美津子は地図を指でなぞった。

「面白いですね」

「どこがです?」

「このルート」

美津子は言った。

「心理的に迷いやすい配置」

龍崎は目を細めた。

「気付きましたか」

「ええ」

美津子は笑った。

「心理トラップですね」

龍崎は声を出して笑った。

「さすが心理士」

そして言った。

「だからあなたに会ってみたかった」

美津子は少し首を傾げた。

「観察ですか?」

龍崎は頷いた。

「ええ」

「心理士のスナイパーがどう戦うのか」

美津子はコーヒーを飲んだ。

「それなら」

カップを置く。

「私も観察しています」

龍崎は笑った。

「それは怖いですね」

「大丈夫です」

美津子は穏やかに言った。

「まだ分析途中ですから」

二人は同時に笑った。

山の喫茶店に静かな時間が流れる。

和やかな会話。

だがその奥では、互いの思考が静かに動いていた。

戦術家と心理士。

二人の視線は柔らかい。

しかし、その観察眼だけは、どこまでも鋭かった。

広くはない店内。

木のカウンターと数席のテーブル。

窓からは午後の光が差し込み、焙煎したコーヒーの香りがゆったりと漂っている。

落ち着く店だ。

だが同時に、どこか奇妙な緊張感もある。

美津子はカウンターに座ったまま、コーヒーカップを指先で回した。

視線の先には、この店のマスター――龍崎猛。

柔らかな笑顔。

穏やかな声。

しかしその目だけが、まるで別人のように鋭い。

戦術眼。

未来がそう言っていた意味が、少しずつ分かり始めていた。

その時だった。

ドアベルが、静かな店内に軽やかな音を響かせた。

カラン。

その音を聞いた瞬間、黒木美津子は店の空気がほんのわずかに動いたのを感じた。

「ただいまー!」

ドアが勢いよく開いた。

明るい声とともに、二人の女性が店に入ってくる。

龍崎が振り向いた。

「お疲れ様」

カウンターの向こうから、自然な声で言う。

「師匠ー!いちごロールアイス!」

元気よく言ったのは、小柄な女性だった。

左右で色の違うツインテール。

右がピンク、左がパープル。

派手な見た目だが、動きは軽い。

視線の運び方が、明らかに訓練された人間のものだった。

龍崎は苦笑した。

「はいはい」

冷凍プレートを取り出す。

手際よくクリームを広げながら言った。

「未来は?」

未来が手を上げる。

「私はコーヒー」

「了解」

龍崎は淡々と作業を続ける。

その様子を見ながら、美津子は観察していた。

(無駄な動きがない)

厨房というより、射撃場のインストラクターに近い。

視線が常に店全体を捉えている。

死角がない。

未来が美津子に声をかけた。

「ここすぐ分かりました?」

「ナビで一発だったわ」

「よかった」

「サバゲ、途中で切り上げてきたわ」

美津子が首を傾げる。

「私のせい?」

未来は笑って首を振った。

「いいのいいの。凛と二人だけだし」

横でロールアイスを待っていた女性――凛がうんうんと頷く。

未来が続けた。

「私たち、定例会より師匠のタクトレの方が好きだからね」

凛が大きく頷いた。

「そうそう!」

未来は改めて紹介する。

「あ、僕は岩見凛」

凛が軽く手を上げる。

「Ragdollのポイントマン」

凛が元気よく頭を下げた。

「どうもー!」

未来が続ける。

「そしてこちらが」

少し誇らしげに言った。

「ゴーストスナイパー」

「黒木美津子さん」

凛の目が丸くなる。

「えっ」

「マジ?」

美津子は苦笑した。

「ただのゲーマーよ」

凛は首を振る。

「いやいや」

「フィールドに溶け込むスナイパーなんでしょ?」

美津子は少し困った顔をした。

龍崎が横から言う。

「凛」

「ロールアイス溶けるぞ」

「あ」

慌てて食べ始める。

未来が笑った。

「凛はね、廃墟配信やってるの」

美津子が聞き返す。

「廃墟?」

凛がうなずいた。

「全国回って廃ホテルとか」

「廃病院とかね」未来が言う。

「夜配信とか普通にやるのよ」

美津子は少し驚いた。

「怖くないの?」

凛はスプーンをくわえたまま答えた。

「楽しいですよ」

「昔、人がいっぱい来てた場所が」

「今は誰もいない」

「時間が止まってる感じ」

美津子は少し考えた。

「出たりする?」

凛は笑った。

「幽霊?」

「見たことないです」

未来が言う。

「いるわよ!」

「いないって!」

未来

「いる!」

「いない!」

そのやり取りを見ながら、龍崎はコーヒーを注いでいた。

そしてぽつりと言った。

「昔、フィールドに霊と会話する奴がいた」

未来が吹き出した。

「またその話?」

龍崎は構わず続ける。

「そいつはな」

「“あそこにいる”って言うんだ」

凛が眉をひそめた。

「誰もいない場所見て?」

「そう」

龍崎は淡々と答える。

「“あの人怒ってる”とか」

「“あっち危ない”とか」

美津子は黙って聞いていた。

龍崎の表情を観察する。

冗談を言っている顔ではない。

だが、本気とも言い切れない。

絶妙なバランス。

心理戦だ。

凛が言った。

「それヤバい人ですよ」

龍崎は笑った。

「俺もそう思った」

少し間を置く。

「でも」

「何回か一緒にフィールド入って」

「妙な感覚が残った」

未来が聞く。

「どんな?」

龍崎は静かに言った。

「気配」

店の空気が一瞬静かになった。

窓の外で風が揺れる。

「今でも」

龍崎は続ける。

「時々感じる」

未来が肩をすくめた。

「やめてよ」

凛が笑う。

「師匠、絶対楽しんでるでしょ」

龍崎は答えず、皿を出した。

「はい」

三人の前に置く。

「新作」

未来が覗き込む。

「何これ?」

「スコッキー」

「スコーンとクッキーのハイブリッド」

凛がかじる。

「うま!」

未来

「これ売れる」

美津子も一口食べた。

外はサクッ。

中はしっとり。

(この人)

発想が柔らかい。

「そういえば最近さ」

「フィールドで変な噂あるの知ってる?」

凛が言う。

「失踪の話?」

美津子が少し興味を持つ。

「失踪?」

未来が説明した。

「サバゲって、個人参加多いでしょ」

「知らない人同士で遊ぶことも普通だし」

凛が頷く。

「だから、来なくなる人も多い」

未来

「家庭できたり」

「飽きたり」

未来

「仕事忙しくなったり」

「よくあること」

美津子も頷いた。

それはどの趣味でも同じだ。

未来が続ける。

「でも最近ね」

「個人参加の人が」

「ある日を境に来なくなるって話があるの」

凛が言う。

「まあ個人参加だから」

「誰も気にしないんだけどね」

龍崎が静かにコーヒーを淹れていた。

未来が続ける。

「フィールドの主催者も」

「よくあることだから気にしてない」

凛が少し声を落とした。

「でもさ」

「変な噂があるんだよ」

美津子が聞く。

「どんな?」

凛が肩をすくめる。

「聞いた話だけど」

少し笑って言った。

「傭兵として連れて行かれたって」

未来が苦笑する。

「さすがにそれは都市伝説でしょ」

凛も笑う。

「だよね」

龍崎だけが黙っていた。

美津子はそれを見逃さなかった。

(この人)

何か知っている?

だが龍崎は何も言わなかった。


その時だった。

ドアが勢いよく開いた。

「猛!お土産!」

豪快な声だった。

「あ、ブルさん」

龍崎が笑う。

「いちご貰ってきたから」

大きな袋をカウンターに置く。

未来が小声で説明する。

「岩谷インテリアの社長」

ブルさんは封筒を差し出した。

「この前のリフォームの請求書」

龍崎が受け取る。

少し雑談をして、男は帰っていった。

店に静かな時間が戻る。

コーヒーの香り。

柔らかな夕方の光。

美津子は龍崎を見た。

この男は、常に観察している。

会話の中で情報を拾い、心理を読む。

まるでスナイパーだ。

時間はあっという間に過ぎていった。


帰り際に美津子は聞いた。

「一ついいですか?」

「どうぞ」

「Ayuzoroyって」

「どういう意味ですか?」

龍崎は笑った。

「逆さに読んでみて」

美津子は考える。

Ayuzoroy。

ゆっくり言う。

「…よろずや」

龍崎が頷いた。

「萬屋」

「何でも屋」

美津子は笑った。

(なるほど)

店を出ると、夕方の山が赤く染まっていた。

スナイパートライアルまで、あと少し。

美津子は心の中で決めていた。

走る。

撃つ。

準備する。

車に乗り込み、エンジンをかける。

山道を下りながら思った。

(面白くなってきた)

ゴーストスナイパーの戦いは、

もう始まっていた。


スナイパートライアルに向けて始動する美津子。

誰も調べることのない失踪のウワサの真実とは・・・

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