美津子に初めてのライバルが現れる、そして同志へ
孤独を楽しむ美津子の前にライバルとして現れる渡辺未来。
アウトドアをメインに孤独な戦いを楽しむ美津子、インドアをメインにリアセキュリティを受け持ち、アウトドアではアタックスナイパーとして活動する渡辺未来。
資質の違うスナイパー同士の戦いを描いています。
第三話〈ライバルであり同志〉
その次のゲーム前日、空はどんよりと重かった。
窓の外で、低い雲がゆっくりと流れている。
スマホの天気予報は、迷いなく「雨」。
美津子は小さく息をついた。
「雨かぁ……」
月に一度の、解放の日。
臨床心理士として他人の感情を受け止め、母として家庭を支える日常から、ほんの数時間だけ切り離される時間。
サバゲは、彼女を構成する養分だった。
森の匂い。
沢の冷たさ。
風を読む静寂。
だが雨では、アウトドアフィールドは中止になることが多い。
「インドアか……どこかあるかしら?」
スマホを手に取り、検索を始める。
インドアフィールドは数が少ない。
ここは、と思うところが一つ見つかった。
無機質な倉庫型フィールド。
CQB中心。
接近戦主体。
美津子は、あまりインドアを得意としていなかった。
狙撃の距離が取れない。
遮蔽物が人工的で、読みづらい。
何より、近距離は痛い。
そして――孤独になれない。
インドアは常に人の気配が濃い。
壁の向こうに、曲がり角の先に、敵も味方も密集する。
スコープ越しの静かな世界とは、正反対だった。
リビングでテレビを見ていた息子が振り返る。
「母さん、明日雨だけどサバゲ行くの?」
「月一の解放される日だからね。でもインドアしかないのよね……」
息子は苦笑した。
「母さん、インドアはからっきしだもんね。練習がてら行けば?」
その言葉に、美津子はわずかに眉を上げた。
「からっきしって、失礼ね」
だが図星でもある。
以前のインドアでは、曲がり角で即ヒット。
背後を取られ、反応が遅れた。
森では風を読める。
だが屋内では人の流れを読まなければならない。
その違いが、まだ身体に馴染んでいない。
だが――
「……行くわよ」
その反動のように、彼女は申し込みボタンを押した。
数分後、フィールドから返信が届く。
《ご参加ありがとうございます。当日お待ちしております》
短い文章。
だが、それだけで胸が少し高鳴った。
逃げない。
苦手な戦場からも。
________________________________________
装備を並べる。
インドアではL96は持ち込まない。
FAMASを手に取る。
スコープを外し、ダットサイトへ載せ替える。
視界が広がる。
近距離での素早いエイムが求められる。
カチャリ、とマウントを締める音が部屋に響く。
次にシグP226。
スライドを外す。
内部を確認。
オイルを吹き、布で拭き上げる。
金属が静かに光る。
ライトを装着し、COMPTACヒップホルスターに挿し込んだ。
「よし」
迷彩服もウッドランドはやめる。
インドアでは黒が有効だ。
5.11のブラックタクティカルウェアを取り出す。
シンプルで無駄のないシルエット。
鏡の前に立つ。
森の女ではない。
都市型の戦士。
バッグへ畳んで入れた。
(別の顔ね)
ふと、患者の顔が浮かぶ。
彼は今、自分の苦手な戦場に立たされている。
離婚後の孤独という、屋内の迷路に。
森のような広がりはない。
逃げ場もない。
それでも進まなければならない。
美津子はFAMASを軽く構えた。
ダットサイトの赤い点が、壁のスイッチに重なる。
速い判断。
速い動き。
距離はない。
孤独ではない。
(苦手だからこそ、向き合う)
ベッドに腰を下ろすと、雨がぽつりと窓を打った。
静かな始まり。
インドアフィールドでは、誰かが待っている。
朝が来た。
窓を叩く雨音で目が覚める。
しとしと、と一定のリズムで落ちる水滴。
カーテンを開けると、灰色の空が広がっていた。
「インドア日和だわね」
森は今日は眠っている。
沢の水も、きっと濁っているだろう。
だが今日は、別の戦場だ。
クローゼットを開ける。
家を出る時は、いつもの街の顔でいい。
ジーンズにフライトジャケット。
動きやすく、それでいて目立たない。
鏡の前で一瞬立ち止まる。
戦う女ではなく、ただの四十七歳の母親。
リビングで息子がトーストをかじっている。
「行くの?」
「うん。」
「母さん、撃たれるのもサバゲの楽しみでしょ。」
「……撃たれたら悔しいわよ」
少しムッとした声に、息子が笑う。
「頑張って」
軽自動車のハンドルを握り、エンジンを始動させた。
ワイパーが左右に動き、フロントガラスの雨粒を払う。
濡れたアスファルトが鈍く光り、信号機の赤が滲む。
森とは違う匂い。
コンクリートと排気ガスの街の空気。
やがて町中の大きな倉庫群が見えてきた。
灰色の建物が並び、その一角にフィールドの看板。
ゲートをくぐると、広いセーフティエリアが広がる。
ソファーとテーブルが整然と並び、奥にはネットで覆われたフィールド。
内部の薄暗い照明がぼんやりと見える。
雨の影響か、アウトドアから流れてきたゲーマーも多いようだ。
セーフティはあっという間に人で埋まっていく。
美津子はテーブルの端を確保し、ガンケースを置いた。
周囲に軽く会釈する。
「おはようございます」
返ってくるのは気さくな笑顔。
サバゲが好きな人たちの空気は、場所が変わっても同じだ。
だが圧倒的に男性が多い。
視線が一瞬、こちらに向く。
ジーンズにフライトジャケットの女性。
ガンケース。
珍しい存在。
慣れている。
だが完全には慣れない。
どこか「男の遊び場」という無言の空気。
美津子はそれを受け流し、更衣スペースへ向かった。
黒い5.11のウェアに着替える。
無駄のないライン。
軽量で動きやすい。
フライトジャケットを脱ぎ、戦闘モードへ切り替える。
FAMASを取り出す。
ダットサイトを確認。
カチリ、とスイッチを入れると赤い点が浮かぶ。
シグP226を、軽く点検。
ガスを入れ、マガジンを温める。
準備完了。
時間が少しある。
スタッフに声をかける。
「フィールド、見学してもいいですか?」
「銃は持たずにゴーグルはしてどうぞ」
ネットの入口をくぐる。
一歩踏み入れた瞬間、空気が変わった。
そこは――九龍城の幻影のようだ。
薄暗い通路。
無造作に組まれた鉄骨。
壁には配管、看板風のネオン。
紫や青の光がちらつき、霧状のスモークが低く漂う。
直線は短く、曲がり角だらけ。
森とは正反対。
風は読めない。
音は反響し、距離感を狂わせる。
FAMASを構える仕草をしてみる。
だがすぐに思う。
(シグの出番が多いわね)
出会い頭の接近戦。
一瞬の反応速度。
腹を括る。
練習。
苦手だからこそ、向き合う。
セーフティに戻ると、ルール説明が始まった。
ヒット判定厳守。
ダッシュ禁止。
オーバーキル禁止。
ブラインドショット禁止。
チーム分け。
美津子は赤チーム。
手首に赤のマーカーを巻く。
その時、視線がぶつかった。
青マーカーの女性。
ショートヘア。
黒の装備。
立ち姿に無駄がない。
目が鋭い。
一瞬だけ視線が交差する。
互いに軽く頷く。
(速いタイプね)
直感が告げる。
このフィールドで活きる人間。
ライバル。
ホーンが鳴る。
倉庫の中に緊張が満ちる。
赤チーム、前進。
美津子は壁沿いに身体を寄せ、FAMASを構えた。
ダットサイトの赤点を角へ合わせる。
一歩。
二歩。
角をクリアリング。
次の瞬間――
青の影が滑り込んできた。
速い。
引き金に指をかける。
だが、相手の方がわずかに早い。
パン。
肩に衝撃。
「ヒット!」
手を上げる。
視線の先。
あの女性がこちらを見ていた。
小さく、静かな微笑み。
侮りではない。
自信。
(面白い)
森では風を読む。
ここでは、人を読む。
雨は外で降り続いている。
だが倉庫の中では、新しい戦いが始まっていた。
次のゲーム。
美津子は慎重に索敵しながら階段を上がった。
鉄骨の階段は足音が響きやすい。
踏み込む位置を選び、体重を分散させる。
下階では銃撃音が反響している。
パン、パン、パパパン。
ヒットコールが倉庫内を跳ね返る。
二階を抜け、三階へ。
三階は通路が狭く、部屋がいくつも並ぶ構造だ。
薄暗い照明が不気味な影を落としている。
一室に滑り込む。
無人。
廊下側の入口に背を向けない位置を取り、壁に身体を預ける。
足音。
コツ、コツ。
止まる。
相手も様子を窺っている。
美津子はFAMASを背に回し、シグP226を抜いた。
近距離ではこちらが速い。
入口へ銃口を向ける。
呼吸を整える。
静寂。
その瞬間――
カラン。
床を転がる小さな物体。
手榴弾。
(まずい)
反射的にバリケードへ身を隠す。
BB弾が四方に弾け飛ぶことを想定し、顔を伏せる。
――バーン!!
凄まじい爆音。
鼓膜が震える。
閉鎖空間での炸裂音は衝撃波のように身体を打った。
一瞬、思考が止まる。
身体が硬直。
その刹那。
影が突入。
パン。
胸に衝撃。
「ヒット!」
視界の端に、青マーカー。
あの女性だ。
冷静な目。
無駄のない動き。
爆音で一瞬止まった美津子を、迷いなく撃ち抜いた。
完全な戦術。
ヒットコールをしながら退場口へ向かう。
(音響手榴弾……)
初めてだった。
BB弾を撒くタイプではなく、音だけで制圧するタイプ。
心理的制圧。
(やられたわね)
セーフティへ戻る。
やがて青マーカーの女性も戻ってきた。
男性プレイヤーたちが声をかける。
「今の上手かったですね!」
「その手榴弾すごい!」
彼女は軽く笑って受け流している。
群れない。
誰とも深く絡まない。
一人参加。
(匂いが同じ)
孤独を選ぶタイプ。
美津子は珍しく、親近感を覚えた。
午前中は、とにかくフィールドに慣れることに徹した。
角の数。
死角の位置。
音の反響。
森と違い、空間そのものが敵だ。
________________________________________
昼休み。
定番のカレーライスを受け取り、端の席に座る。
スプーンで一口。
香辛料の匂いが鼻に抜ける。
食後、ジッポで煙草に火をつけた。
煙が倉庫の天井へ溶ける。
その時。
足音。
「さっきはどうも」
顔を上げる。
青マーカーの女性。
至近距離で見ると、凛とした顔立ちだが柔らかさもある。
「私は渡辺。貴女は?」
「黒木美津子。音の出る手榴弾、初めて喰らいました」
渡辺は笑った。
「耳大丈夫だった?効いたでしょ?」
「ええ、見事に」
彼女の名は渡辺未来。
五十二歳。
美津子より年上だった。
「インドアでも使えるフィールドが限られるの。」
楽しそうに言う。
聞けば、彼女もシングルマザー。
成人した娘がいるという。
「一人だと気楽よね」
「そうですね」
自然と笑い合う。
不思議な感覚。
敵として対峙したばかりなのに、言葉は柔らかい。
年齢も近い。
境遇も似ている。
だが、戦場では別だ。
渡辺は言った。
「午後、もう一回やりましょう」
挑発ではない。
純粋な対等の宣言。
美津子の胸が、静かに熱を帯びる。
森では孤独だった。
だが今、目の前にいる。
速さと知恵を持つライバル。
雨はまだ降っている。
倉庫の外の世界は灰色だ。
だがこの中では、火花が散り始めていた。
午後のゲームでも、何度か渡辺未来と対峙した。
だが、そのたびに先を読まれた。
角を取れば、すでに射線に入っている。
撃ち合いになれば、コンマ数秒の差で撃ち負ける。
無理に距離を詰めれば、音響手榴弾で崩される。
手練れだ。
しかも冷静。
感情で動かない。
(面白い……)
悔しさよりも、分析欲が勝る。
最終ゲーム。
フィールドのレイアウトは、ほぼ頭に入っている。
直線距離は短いが、唯一、廊下が長く伸びるポイントがある。
角を曲がる瞬間だけ、わずかな射線が生まれる場所。
美津子はそこへ走った。
壁沿いに身体を寄せ、FAMASを構える。
ダットサイトの赤点を角の縁に置く。
呼吸を整える。
遠くで銃声。
ヒットコール。
足音が近づく。
――銃口の先端が見えた。
(来る)
身体が出るまで待つ。
焦らない。
胸から出た瞬間。
パシュッ。
「ヒットー!」
一人目。
すぐ次。
別の影が飛び出す。
パシュッ。
「ヒット!」
入れ喰い。
角を支配する。
美津子は微かに微笑んだ。
森で培った“待つ狙撃”。
それが、この人工迷路でも活きている。
次の敵。
頭が一瞬だけ見えた。
だが、出てこない。
クイックピーク。
ほんの一瞬、覗いては引っ込む。
(上手い)
焦らせようとしている。
心理戦。
美津子は動かない。
息を浅くする。
その時。
カラン。
角から転がる影。
手榴弾。
(またね)
今度は予測している。
身構える。
爆音が来ることを知っている。
バーン!!
鼓膜が震える。
だが身体は硬直しない。
破裂音と同時。
角を曲がる影。
予測通りのタイミング。
ダットサイトの赤点が、顔の高さに合う。
トリガーを引く。
パシュッ。
「ヒットー!」
ヘッドショット。
影が立ち止まり、ゆっくりと手を上げる。
渡辺未来だった。
彼女はゴーグル越しに笑った。
「ナイスヒット」
その声に、悔しさはない。
むしろ嬉しそうだ。
ホイッスルが鳴る。
ゲーム終了。
今日一番の狙撃だった。
セーフティに戻る。
装備を外す。
汗が首筋を流れる。
FAMASをケースに収め、シグのガスを軽く抜く。
余韻が残る。
その時。
足音。
「黒木さん」
振り向く。
渡辺だ。
マーカーを外し、柔らかい表情をしている。
「この後、お茶しない?」
誘いは自然だった。
敵でも味方でもない。
同じ匂いを持つ者同士の声。
美津子は渡辺の目を見つめた。
鋭さの奥に、どこか孤独がある。
それは自分と同じ色。
「いいわね」
そう答えた。
雨はまだ降っている。
だが倉庫を出るとき、空気は少し明るく感じた。
森では孤独だった。
だが今日は違う。
戦いの中で、認め合える相手と出会った。
ライバル。
そして――
もしかすると、新しい同志。
二人は並んで歩き出した。
雨音の中へ。
倉庫を出ると、雨はまだ静かに降っていた。
アスファルトに小さな波紋を作り、街灯の光を滲ませている。
車で走り暫くすると、小さなカフェがあった。
ガラス越しにオレンジ色の灯りが揺れている。
二人はそこへ入った。
店内は落ち着いた木目調。
コーヒーの香りが柔らかく漂う。
窓際の席に並んで座った。
「お疲れさま」
渡辺未来が微笑む。
「お疲れさま。最後、やっと取れたわ」
「見事だった。あの爆音で止まらない人、なかなかいない」
ウェイトレスが水を置く。
二人はホットコーヒーを頼んだ。
湯気が立ちのぼる。
しばらく沈黙。
だが気まずさはない。
戦場を共有した者同士の、静かな余韻。
「黒木さん、アウトドアの人でしょ?」
「わかる?」
「待ち方が違う」
渡辺はカップを両手で包みながら続けた。
「私はね、インドアがメインで入ったから近い距離得意なの。相手の息遣いがわかる距離」
「私は逆ね。風を読む距離が好き」
「正反対」
そう言って笑う。
「いつも一人で参加?」
美津子が尋ねる。
「普段はチームで動いてるの、今日はメンバーがいないから一人で」
「仲間がいるのね」
「師匠がいてね、その元に女性チームを組んでやってるの。」
美津子は黙って聞く。
「娘が成人して、やっと自分の時間が出来た。で、サバゲ」
「私も息子が成人よ」
目が合う。
「シングル?」
「ええ」
渡辺は笑った。
「似てるわね、私たち」
美津子はふと、自分の職業を思い出す。
臨床心理士。
普段は相手の奥へ入る側。
だが今日は違う。
同じ高さで向き合っている。
「黒木さんは、どうしてスナイパー?」
「孤独が好きだから」
即答だった。
だが少し考え直す。
「……違うわね。孤独じゃないと、ちゃんと考えられないから」
渡辺はゆっくり頷いた。
「わかる。私は逆。近くにいないと、存在を感じられない」
正反対の戦い方。
だが、どこかで補完し合える。
雨が窓を叩く。
渡辺が不意に言った。
「次会った時は組まない?」
美津子は一瞬驚く。
「私と?」
「あなた、待てる人。私は動ける人。悪くないと思うけど?」
頭の中で戦術が組み上がる。
前衛と後衛。
爆音と静寂。
心理戦と直感。
「面白そうね」
渡辺は笑った。
「ライバルでもあり、味方でもある。大人の関係」
「いいわね、それ」
コーヒーを飲み干す。
温かさが胸に落ちる。
森では孤高だった。
インドアで出会ったのは、鏡のような存在。
似ていて、違う。
違うからこそ、響く。
店を出ると、雨は少し弱まっていた。
「連絡してね」
「ええ」
別々の方向へ歩き出す。
だが、背中は軽い。
孤独なスナイパーに、初めて“並んで歩ける影”が出来た日だった。
黒木美津子が初めて心を開いて向き合える同志を見つけました。
個人参加の定例会ゲームではその瞬間の戦友は出来ても、仲良くなるケースは少ないかもしれません。
なぜなら一人で参加するほうが気楽な面もあるから。そんな中で少しずつ変わっていく美津子、次章は彼女にある大会参加の話が・・・




