葛城裕太、俺は悪くない!
ゲーマー葛城裕太が荒らしてゲームの雰囲気を壊していく。
サバゲーでは時々ある光景です。ゾンビ問題もしかり。
孤独を好むゴーストスナイパーはどう対処していくのか。
沢を渡る女 ― ゴーストスナイパーの選択 ―
朝の森は、まだ目を覚ましきっていなかった。
薄い霧が杉林の間を漂い、湿った土が昨夜の雨を吸い込んで黒く沈んでいる。
落ち葉の上には小さな水滴が連なり、風が吹くたびに細かく震えた。
沢の水は透明で、底の丸石を静かに撫でながら流れている。
黒木美津子は車のドアを閉め、その空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
湿り気を帯びた冷たい匂い。
腐葉土と苔と水の混ざった、森特有の香り。
だが今日、胸の奥には別の重みがあった。
「自分には、もう価値がないんです」
診察室での患者の声が、まだ残っている。
四十代半ばの男。
十五年連れ添った妻の裏切り。
離婚。
崩れた日常。
“出来事”と“自分の価値”を同一視してしまう心。
(出来事は風。存在は幹)
理屈では分かっている。
だが人は、風に揺れた瞬間、自分が折れたと思い込む。
美津子はL96を取り出し、ゆっくりと装備を整えた。
プレートキャリアを締めると、身体が戦闘モードへと切り替わる。
ギリスーツを羽織れば、森の一部になる。
ホーンが鳴る。
第一ゲーム。
ほとんどのゲーマーは山側へ散っていく。
乾いた斜面。倒木の遮蔽物。安全なルート。
だが美津子は沢へ入った。
冷水がブーツへ染み込む。
冷たい。
だが音は消える。
水は足音を飲み込み、存在を曖昧にする。
倒木の陰に腹這いになり、L96を据える。
スコープを覗くと、世界は円形に閉じた。
距離四十二メートル。
赤チーム二名。
風は左から右へ。
(半コイン分、右)
吸う。
吐く。
吐き切る直前。
パシュッ。
BB弾が湿った空気を裂く。
「ヒット!」
続けてもう一人。
静寂が戻る。
沢は、何もなかったかのように流れている。
第二ゲーム。
葛城裕太の声が森を荒らす。
「前出ろって!いける!」
承認を求める焦り。
第三ゲーム。
沢を進む背後から、水を跳ねる音。
バシャバシャバシャ。
振り返る。
葛城だ。
唇に指を当てる。
“音を立てるな”
だが彼は状況を読めていない。
美津子は右の茂みへ。
葛城を左へ誘導する。
左は開けている。
分かっていた。
次の瞬間、BB弾の嵐。
「ヒット!ヒットォ!」
だが撃ちは止まらない。
葛城が怒鳴る。
スタッフが駆け寄る。
別の戦場。
葛城は退場となった。
「俺は悪くない!」
森に残る声。
美津子は動かなかった。
(左は撃たれやすい)
合理的判断。
味方でも、邪魔なら排除。
孤独なスナイパーの冷酷な一面。
セーフティに戻る。
ギリスーツを脱ぎ、ジッポを鳴らす。
チン、と澄んだ音。
炎が揺れる。
深く吸う。
ポットからステンレスカップへコーヒーを注ぐと、湯気が立ちのぼった。
金属の縁が白く曇り、熱が指先に伝わる。
焙煎の香りが、湿った森の匂いと混ざる。
自然の風が心地よい。
森は静かだ。
(次は攻める)
久しぶりにフラッグを狙うことにした。
FAMASを手に取る。
マガジンに給弾。
シグP226を確認。
ホーン。
右境界線を匍匐前進。
湿った土が肘に付く。
稜線に敵。
距離を詰める。
三十メートル。
スコープを覗く。
敵は正面に集中。
息を吐く。
パシュ。
脇腹に命中。
……ヒットコールなし。
もう一発。
肩に当たる。
知らんぷり。
ゾンビか。
苛立ちが胸を刺す。
三点バースト。
パパパン。
やっと「ヒット」。
だが睨む視線。
その直後、威嚇射撃。
葉が弾ける。
動けない。
(チッ…)
耐える。
やがて敵が前進。
(今だ)
FAMASを背負い、シグを抜く。
走る。
ギリスーツが揺れる。
フラッグが見える。
あと十メートル。
敵が気づく。
撃ってくる。
走りながらでは当たらない。
だが防衛線が弾幕を張る。
太腿に衝撃。
「ヒットー!」
ホーンが鳴る。
敵が笑う。
「惜しかったですね」
美津子は息を整えながら笑った。
「やっぱギリスーツ着て走るのはしんどいわ」
息が上がる。
四十七歳。
若者のようには走れない。
だがこの瞬間が楽しい。
ゾンビで苛立った気持ちは、もう消えている。
爽快だ。
最終ゲームを待たず、帰ることにした。
今日は十分だ。
森を後にし、帰路へ。
少し早く切り上げたせいか、心に余白がある。
久しぶりに立ち寄るカフェへ向かった。
木造の小さな店。
川沿いのテラス席。
コーヒーを頼み、静かに座る。
今日を振り返る。
葛城を排除した判断。
ゾンビへの苛立ち。
フラッグ寸前での被弾。
だが走った。
挑んだ。
撃たれても、前へ出た。
患者の顔が浮かぶ。
沢を渡ること。
濡れる覚悟。
撃たれても終わりではない。
カップの湯気が夕暮れに溶ける。
孤独は強さだ。
だが、強さは冷酷さと紙一重。
ゴーストスナイパーは、今日も沢を渡った。
濡れながら。
迷いながら。
それでも、前へ。
来月もまた、森へ行くだろう。
風を読み、弾道を修正しながら。
そして、心の風向きとも向き合いながら。
進藤麻耶の賃貸不動産奮戦記と連動させて描きたかったので、本章は少し短めとなりました。




