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第9話 恋人になる夜


初めてのキスの翌日。

仕事中も小夜の胸は落ち着かなかった。

思い出すたびに頬が熱を帯び、同僚から「松原さん、なんか嬉しそうね」と言われるほどだった。


(小山くんと……キス、したんだ)


信じられないような幸せ。

その余韻を抱えたまま一日を終えると、帰り道に携帯が震えた。


《今夜、少しだけ会える?》


春樹からのメッセージ。

小夜の胸は一気に高鳴った。


待ち合わせたのは、小夜の家の近くの公園。

夜の街灯に照らされ、春樹が立っていた。

彼の姿を見つけただけで、胸が温かくなる。


「来てくれてありがとう」

「……私の方こそ」


二人は並んで歩き、ベンチに腰かけた。

涼しい夜風の中、言葉少なに過ごす時間が、なぜか心地よかった。


「昨日のこと……ごめんな。突然で、驚かせたよな」

「ううん……嬉しかった」


小夜がそう答えると、春樹は少し驚いたように目を瞬き、それから柔らかく微笑んだ。


「……そっか」

その一言に、小夜の胸がきゅんと締めつけられる。


沈黙が落ちたあと、春樹がそっと小夜の手を取った。

そのまま、温もりを確かめるように指を絡める。


「松原……いや、小夜」

「っ……」

名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねる。


「俺、小夜のこと……本気で好きだ。これから先も、ずっと隣にいたい」


真っ直ぐな眼差しに、小夜は息を呑んだ。

ずっと不安で、踏み出せずにいた気持ちが、すっと溶けていく。


「……私も。春樹くんと一緒にいたい」


そう告げた瞬間、春樹はそっと小夜を抱き寄せた。

背中に回された腕の強さが、彼の想いの深さを物語っている。


そして――二度目のキス。

今度は昨日よりも深く、甘く、長く。

小夜はその温もりにすべてを預けた。



帰り際、家の前で春樹が小さく囁いた。

「これからは……恋人として、よろしくな」

「……うん」


その夜、小夜は眠れないほど胸を高鳴らせながら、何度も何度も春樹の言葉を思い出した。


(私たち……本当に恋人になったんだ)


心の奥に、確かな幸せが芽生えていた。



土曜の午後。

春樹から「よかったら、うちに来ない?」とメッセージが届いたとき、小夜は一瞬固まった。


(……小山くんの家に、行く……?)


付き合ってまだ数日。

ただ一緒にいるだけで心臓が跳ねるのに、彼の家に上がり込むなんて――緊張しないはずがなかった。


インターホンを押すと、軽快な足音のあとにドアが開いた。

「いらっしゃい」

ラフなシャツにジーンズ姿の春樹が微笑む。

その自然な笑顔に、小夜の頬はじんわりと熱を帯びた。


「……お邪魔します」


玄関に入ると、清潔で整った空間が広がっていた。

無駄のない家具に観葉植物、シンプルな本棚――“大人の男性の部屋”という雰囲気が漂っていて、思わず背筋が伸びる。


「緊張してる?」

「……少し」

「はは、大丈夫。小夜の居場所はちゃんとあるから」


さらりとした言葉に、小夜の胸はまた高鳴った。


少し休んだあと、春樹が「せっかくだし夕飯作ろうか」と提案した。

近所のスーパーで買い物をしながら、並んでカゴを持つ。

それだけで妙にくすぐったくて、小夜は小さな幸せを噛みしめていた。


「これ、どう?」

小夜がカゴに入れたトマトを見て、春樹はにやりと笑う。

「いいね。……なんか夫婦みたいだな」

「ちょっ……!」

 思わず声を上げると、春樹は楽しそうに肩をすくめた。


料理を始めると、春樹は手際よくフライパンを扱い、小夜は野菜を切る役に。

包丁さばきに悪戦苦闘していると、春樹が後ろから手を添えてきた。


「こうやって……力を抜いて、包丁を滑らせる感じ」

「ち、近い……」

耳元に落ちる声がくすぐったくて、小夜の手はぎこちなく震えた。


なんとか出来上がった料理を並べ、二人で「いただきます」と声を揃える。

テーブルに並んだパスタとサラダ、そして赤ワイン。

日常のはずなのに、どこか特別な夕食に思えた。


「美味しい。……小山くん、料理上手だね」

「小夜が切った野菜がよかったんだよ」

「また、そうやって……」

春樹の素直な笑顔に、小夜は心を掴まれてしまう。


食後はソファに並んで座り、春樹が選んだ映画を観始めた。

薄暗い部屋で流れる光が二人の輪郭を照らす。


物語の内容よりも、すぐ隣にいる春樹の温もりの方が気になって仕方ない。

肩が触れ合い、指が重なり、やがて自然と手をつなぐ。


「小夜」

「……なに?」

「こうして隣にいるだけで、十分幸せだよ」


囁くような声とともに、春樹の顔が近づいてきた。

触れるだけの軽いキスではなく、ゆっくりと、互いを確かめ合うような深い口づけ。

頬に添えられた大きな手の温もりに、小夜は身を委ねるしかなかった。


胸の奥が甘く痺れ、時間が止まったように感じる。


気づけば夜も更けていた。

帰らなければと分かっていても、名残惜しさが胸を締め付ける。


「そろそろ送ってく」

「えっ、いいよ、近いし……」

「心配だから」


駅までの道、二人は自然に手を繋いで歩いた。

夜風が少し肌寒いのに、その温もりがあるから不思議と心地いい。


「今日は……すごく楽しかった」

「俺も。……小夜といると、昔の自分まで素直になれる」

照れくさそうに言う春樹の横顔が、街灯に照らされてやけに優しく見えた。


駅の改札前で、春樹がもう一度小夜を引き寄せた。

「……また、来てくれる?」

「……うん」

答えと同時に、小夜はそっと唇を重ねられた。

行き交う人々の中、世界は二人だけに縮まっていく。


帰りの電車で、小夜は窓に映る自分の顔を見て頬を押さえた。

(私……本当に小山くんの恋人なんだ)


唇に残る温もりが、幸福の証のようにいつまでも消えなかった。


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