第7話 預けたい想い
「俺は松原を大切に思ってる」
その言葉が頭の中で何度も繰り返される。
胸の奥にあった不安も、劣等感も、すべてを覆い尽くすほどの強さを持った言葉だった。
小夜は唇を震わせながら、ようやく声を絞り出す。
「……私、ずっと……自信がなかったの」
視線を落とし、カバンの持ち手をぎゅっと握る。
「綺麗な人と並んでる小山くんを見たら……私なんてって。きっと釣り合わないって思って……」
言葉を重ねるほど、胸の奥の苦しさが溢れてくる。
でも同時に、それを受け止めてもらえる安心感もあった。
春樹は何も遮らず、ただじっと聞いてくれていた。
そして、小さく息を吐くと、柔らかな声で言った。
「釣り合わなくないよ」
「……」
「俺は、ずっと松原に気づいてほしくて、隣にいてほしくて」
その言葉に、胸が熱くなる。
抑えていた涙が、頬を伝ってしまった。
「……どうして、そんなふうに……」
「理由なんて、いらないだろ。俺は松原が好きだよ」
まるで告白のような言葉に、小夜は息を呑む。
春樹の真っ直ぐな眼差しから逃げられなかった。
震える声で、小夜は答える。
「……信じても、いいのかな」
「信じてくれ」
春樹の声は揺らぎがなかった。
その確かさに、小夜の心が少しずつ解けていく。
――初めて、自分の弱さごと受け止めてくれる人がいる。
春樹の言葉に背中を押され、小夜の胸の中にあった氷がゆっくり溶けていくのを感じた。
涙を拭いながら顔を上げると、春樹が不器用そうに笑っていた。
「泣かせるつもりはなかったんだけどな」
「……ごめん、恥ずかしいところ見せちゃって」
「恥ずかしくない。むしろ、俺だけに見せてくれて嬉しい」
思わず耳まで熱くなる。
春樹は昔から、こういうところがずるい。
真っ直ぐで、冗談みたいに聞こえないのに心を揺らす。
「……ほんとに、変わってないね」
「え?」
「高校のときも、小山くんっていつも堂々としてて……遠くから見てるだけで十分だって思ってた」
小夜がぽつりとこぼすと、春樹は少し驚いた顔をした。
やがて、照れ隠しのように後頭部をかきながら言った。
「俺は逆だった。遠くで見てるだけなんて、我慢できなかった」
「……え?」
「だから今度はちゃんと言う。俺は松原と一緒にいたい」
その一言に、小夜の心臓が跳ねた。
呼吸が詰まりそうになるほど胸が熱い。
「……私で、いいの?」
「松原じゃなきゃ駄目なんだよ」
視線が絡んだまま、時間が止まったように感じた。
小夜は恥ずかしさでうつむいたが、春樹は穏やかに笑って言った。
「焦らなくていい。ゆっくりでいいから、俺の隣にいてくれ」
その優しさに、また胸がじんと熱くなる。
夜風が心地よく頬を撫で、二人の距離がほんの少し近づいた。
週末
春樹からの誘いで、小夜は久しぶりに街へ出ていた。
待ち合わせ場所に着くと、すでに春樹が立っているのが見える。
「松原!」
人混みの中で手を挙げる姿は、相変わらず堂々としていて、つい胸が高鳴った。
春樹は軽く笑って、小夜を迎える。
「早く来すぎたかな」
「ううん、私も少し早めに来たの」
それだけで、二人の空気がふわりと和らいだ。
まずは春樹が提案したカフェでランチをとることにした。
休日ということもあり賑わっていたが、窓際の席に並んで座ると、不思議と落ち着く。
「薬局の仕事って、やっぱり大変?」
「うーん、大変ってほどじゃないけど……毎日いろんな人が来るから、気を遣うことは多いかな」
「だろうな。でも、松原はそういうの得意そうだ」
「えっ、そんなことないよ」
「いや、ある。昔から誰にでも優しかったじゃん」
さらりと告げられた言葉に、胸の奥が温かくなる。
高校時代の自分を、ちゃんと見ていてくれた――その事実が嬉しかった。
食後、映画館に足を運んだ。
暗い館内で、意識せずとも隣にいる春樹の存在を感じてしまう。
スクリーンの光が横顔を照らすたびに、心臓が落ち着かなくなる。
(……手、繋いでみたいな)
そんな思いが頭をよぎったが、もちろん口に出せるはずもない。
結局、映画が終わるまでそっと膝の上で指を絡めることしかできなかった。
夕方、駅前まで戻ってきた。
「今日はありがとう。楽しかった」
そう伝えると、春樹が少し照れくさそうに笑った。
「俺も。また行こう」
「……うん」
たったそれだけの約束なのに、心がふわりと浮き上がる。
別れ際、春樹が小夜の頭に軽く手を置いた。
不意打ちに目を丸くすると、彼は少し冗談めかして言った。
「ちゃんと俺に慣れていけよ」
その言葉に、小夜の胸は甘く締めつけられる。
初めての二人きりのデートは、思っていた以上に温かく、優しい時間だった。