第4話 偶然の影
休日の午後。
小夜は春樹と並んで駅前のカフェでランチプレートを前に、自然に笑い合っていた。
春樹の言葉に、小夜の頬はほんのり熱を帯びている。
――その光景を、ガラス越しに見ている男がいた。
斎藤栄太。ジム帰りに仲間と昼食をとろうと歩いていたとき、偶然このカフェの前を通りかかったのだ。
視線の先に、小夜と春樹。二人の笑顔。自然すぎる空気。
「……あれ」
思わず立ち止まる。
友人に呼ばれても、返事が遅れた。
「悪い、ちょっと用事思い出した」
そう言って仲間と別れ、栄太はその場を離れた。
歩きながら、胸の奥がざわついていた。
(松原……春樹と一緒にいるなんて。しかも、あんな顔……)
頭では理解している。小夜に恋人がいてもおかしくない。
でも、同窓会で連絡先を交換したときの、あの嬉しそうな笑顔。焼き鳥屋で楽しそうに話してくれた声。
あれは――自分だけに向けられたものじゃなかったのか。
栄太は立ち止まり、深く息を吐いた。
「……負けてらんねぇな」
悔しさよりも先に湧いたのは、競争心だった。
春樹が相手なら、なおさら負けたくない。高校時代から、彼は「静かな人気者」だった。勉強もできて、落ち着いていて、女子からの視線を集める存在。
そんな男に今さら奪われるのか、と。
ランチの日から1週間が経った。
春樹からの連絡は少なかった。
《今、出張で大阪にいてるんだ。しばらく戻れなそう》
短いメッセージに、小夜は「頑張ってね」とだけ返す。
胸の奥が少し寂しくなるのを、自分でも否定できなかった。
そんなある日の午後。仕事を終えて薬局を出ると、見慣れた大きな影が手を振っていた。
「おー、松原!お疲れ!」
「えっ、斎藤くん……?」
「たまたま近くまで来たから、寄ってみた。迷惑じゃなかった?」
「ううん、全然」
笑顔に押されるように並んで歩き出す。
駅までの道すがら、栄太は屈託なく話しかけてきた。
「ジムいつ来る?軽く体動かすだけでも気分変わるし」
「……うーん、運動苦手だから」
「だからこそ俺がいるんだって!無理させないメニュー組むからさ」
明るく言い切られると、断りきれない。
「……じゃあ、見学だけなら」
「よし、決まり!」
その即答ぶりに思わず笑ってしまう。
(ほんとに、グイグイだな……)
けれど、焼き鳥屋で見せた楽しそうな笑顔を思い出し、小夜の心は少し柔らかくなっていた。
別れ際、栄太はいつになく真剣な目で言った。
「松原、俺さ……こうしてまた会えるようになって、すごく嬉しいんだ。だから、もっと知りたい」
返事をする前に、改札に着いてしまった。
「……また連絡するね」
そう言って改札を抜けた小夜は、心臓が早く打っているのを感じた。
家に帰ると、スマホの通知が光っていた。
《まだ大阪、仕事終わらなくてバタバタしてる。また落ち着いたら連絡する》
春樹からだ。
その文字を見つめながら、小夜は唇を噛んだ。
(……私、どっちに揺れてるんだろう)
休日の午後。
小夜は約束通り、栄太の勤めるジムを訪れた。
「いらっしゃいませ!」
栄太は胸を張って笑った。
「来てくれてありがとう!」
明るい声に導かれ、ジムの中を歩く。ランニングマシンの音、ダンベルの金属が鳴る音。活気に満ちた空間に、小夜は少し圧倒されていた。
「ここがフリーウェイトゾーン。見てみ?俺が普段指導してるところ」
そう言って栄太は器具の説明をし、軽くデモンストレーションをして見せた。
「松原もやってみる?」
「え、無理無理!」
慌てて首を振る小夜に、栄太は声をあげて笑った。
「冗談冗談。でも……こうして案内できて、俺は嬉しいよ」
その言葉に、小夜の頬がかすかに熱を帯びる。
ひと通り見学を終え、ジムを出る頃には夕暮れが街を染めていた。駅までの道を歩く小夜に、栄太が横で声をかける。
「このあとさ、ちょっと飲みに行かない?」
「今日は……もう帰ろうかな」
「せっかくだしさ! まだ時間あるだろ?」
軽い調子で言うが、歩みを止めない小夜の顔には困惑が浮かんでいる。
「……ごめん、ほんとに今日は疲れてて」
「じゃあ、軽くお茶だけでも!」
「斎藤くん……」
強引な誘いに、笑顔を作るのも難しくなっていたそのとき――
「松原」
低く落ち着いた声が、背後から聞こえた。
振り返ると、スーツ姿の春樹が立っていた。
「小山くん……!?」
「出張から戻ったばかりでさ。……偶然だな」
視線は小夜から栄太へと移る。互いに言葉を交わさずとも、空気が張りつめた。
栄太が少し眉をひそめる。
「春樹……」
「松原、嫌がってるだろ」
春樹は一歩前に出て、小夜の隣に並んだ。その存在感に、自然と小夜の肩が軽くなる。
栄太は一瞬、何かを言いかけたが、唇を噛んで視線を逸らした。
「……松原、またな」
そう言い残して去っていく後ろ姿を、小夜は胸の奥に複雑な想いで見つめていた。
隣で春樹が小さくため息をつく。
「無理に付き合わなくていいんだよ。……困ったら、言えよ」
その言葉に、小夜は思わず頷いた。
頼もしさと温かさに包まれながらも、心の奥底でまだ整理できない感情が渦を巻いていた。