表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/19

第16話 温泉宿の夜


山道を抜けた先に、その旅館は現れた。木造の堂々とした門構えに、小夜は思わず息を呑む。

「すごい……。写真で見たより、ずっと立派」


チェックインを済ませ、仲居に案内されて部屋へと入った瞬間、小夜の目が丸くなった。

畳の香りがふわりと漂い、広々とした和室の奥には、障子越しに柔らかな夕日が差し込んでいる。テラスには湯気を立てる露天風呂。


「わぁ……!」

駆け寄った小夜が窓を開けると、目の前には山々の稜線が広がり、赤く染まった空がゆっくりと夜へ変わろうとしていた。


「気に入った?」

背後で春樹の声がして、小夜は振り返る。

「もちろん!もう、感動してる」

「よかった。誕生日だからな。どうしても特別にしたかったんだ」


不意にそんな風に言われ、小夜の胸はじんと熱くなる。

「……ありがとう」

視線を落とす小夜に、春樹は少し照れたように笑った。


夕刻、二人は浴衣に着替えて大浴場へ向かう。

木造の廊下を歩く足音だけが響き、時間がゆっくり流れているようだった。


それぞれ温泉に浸かり、身体の芯まで温まった後、待ち合わせたロビーで再会すると――小夜は湯上がりの頬をほんのり赤らめていた。

濡れた髪をタオルで押さえる姿に、春樹の視線が止まる。


「……なんか、いつもより綺麗に見える」

「えっ……な、なにそれ。やめてよ、恥ずかしい」

頬を隠そうとする小夜に、春樹は悪戯っぽく笑った。


夕食は個室の和室で。

テーブルいっぱいに並ぶのは、地元の旬の食材を使った豪華な懐石料理だった。


「こんなに贅沢していいのかな……」

「いいんだよ。今日は特別だから」

春樹は小夜のお猪口に地酒を注ぎ、軽く杯を合わせる。


ほんのり甘い酒が喉を通るたび、小夜の胸の奥もじんわり温かくなった。

春樹の視線が、いつもより優しく長く絡む。


「小夜が楽しそうでよかった」

「……春樹のおかげだよ」


その言葉に、ふたりは同時に照れくさく笑ってしまった。


食後、部屋に戻ると窓の外には満天の星空。

テラスの露天風呂からは、山の稜線が闇に沈み、かすかな虫の声が響いていた。


畳に座り、星を眺めながら並んでお茶を飲む。

小夜の横顔を見ているうちに、春樹は自然と手を伸ばした。


頬に触れた瞬間、小夜はわずかに驚いたように瞬きをしたが、すぐに目を閉じる。

唇が重なり、静かな夜に鼓動だけが響いた。


「……小夜」

名前を呼ぶ声は、いつもより低く、甘い。


春樹はポケットから小さなケースを取り出していた。


「今日、ずっと言おうと思ってたんだ」

そう言って、ケースを開ける。そこにはシンプルな輝きを放つ指輪。


小夜の目が大きく見開かれる。


「俺と結婚してほしい。これから先の時間を、全部一緒に過ごしたい」


静かな部屋に、その言葉が響いた。

小夜の胸は熱くなり、目の奥がじんわり潤んでいく。


「……春樹……私で、いいの?」

「小夜だからいいんだ。他の誰でもなく」


震える声で、小夜は頷いた。

「はい……お願いします」


春樹は小夜をそっと抱き寄せ、優しく口づけを落とした。


指に光る指輪を見つめながら、小夜は涙をこぼしていた。

胸いっぱいに広がる幸せに、言葉が追いつかない。


「こんなに嬉しいこと、初めて……」

春樹は彼女の頬を拭い、微笑む。

「俺もだよ。これからはもう、ずっと隣にいる」


その言葉に、小夜はたまらず春樹の胸に飛び込んだ。

抱きしめ合う腕が強くなる。


唇が重なり、温泉の湯気のように熱を帯びていく。

互いの想いを確かめ合うように、何度も何度も口づけを交わした。


布団に並んで横になると、春樹は小夜の手をぎゅっと握りしめた。

「もう離さない。ずっと小夜のそばにいる」

「……うん……」


その夜、二人は恋人から婚約者へと歩みを進め、

言葉よりも深く、心と身体で未来を誓い合った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ