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第14話 ひとつの区切り


仕事帰りの住宅街。

夜風は少しひんやりしていて、夏の名残をかすかに残しながらも秋の気配を帯びていた。

街灯に照らされる歩道を、小夜と栄太は並んで歩いていた。


特別な理由があるわけではない。

ただ、帰り道が同じ方向だっただけ。

それでも――二人の間には、少し気まずい沈黙が流れていた。


「なあ、松原」

不意に名前を呼ばれ、小夜は顔を上げる。

隣を歩く栄太の横顔は、真剣そのものだった。


「最近、春樹とどう?……上手くいってる?」


唐突な問いに、小夜は驚き、足を止めかける。

けれど、栄太が正面から向けてくる眼差しに嘘はつけなかった。


「……うん」

小さく頷き、言葉を重ねる。

「上手くいってるよ」


しばらくの沈黙のあと、栄太はふっと息を吐いた。

肩の力が抜けたように見える。


「……そっか」

短い一言だった。

けれど、その声音には悔しさよりも、どこか安心した響きが混じっていた。


「春樹は……いいやつだからな」

呟くようにそう言って、栄太は前を向いたまま歩き出す。


小夜はその背中を追いながら、胸の奥に複雑な感情が広がっていくのを感じていた。


やがて、小夜の家の前に着く。

玄関の灯りが二人を柔らかく照らしていた。


「じゃあ、ここまでだな」

「送ってくれてありがとう」


小夜が頭を下げると、栄太は首を横に振り、片手を軽く上げた。

その笑みは、どこか吹っ切れたように見えた。


「松原……お幸せにな」


一瞬だけ、彼の瞳に寂しさが揺れる。

けれどすぐに背を向け、夜の街に消えていった。


残された小夜は、しばらくその背中を見つめていた。

(……斎藤くん)


胸に去来するのは感謝と、少しの切なさ。

けれど、すぐにポケットのスマホを取り出し、画面を開く。


春樹からの「帰ったら連絡して」というメッセージ。

それを見た瞬間、自然と笑みがこぼれた。

小夜はそっと玄関のドアを開いた。


栄太と最後に会ってから、もう数ヶ月が経っていた。

小夜の日常は変わらない。朝は薬局で患者さんを迎え、夕方はレジを締めて業務を終える。

けれど、一つだけ変わったことがある。


仕事帰りに「おつかれ」とメッセージをくれる人。

週末の夜に並んで歩いてくれる人。

ソファに座ってテレビを見ながら、何気ない会話で笑い合える人。


春樹と過ごす時間が、彼女の生活の一部になっていた。

穏やかで、どこか温かい――そんな恋人の日々。


秋のある週末、春樹は小夜を自宅に招いていた。

テーブルにコーヒーを置きながら、少し緊張した面持ちで切り出す。


「なあ、小夜」

「ん?」

「来月、誕生日だろ。……一泊で旅行に行かないか?」


唐突な提案に、小夜は驚いたように目を瞬かせる。

「旅行?」

「ああ。温泉。……日常からちょっと離れて、ゆっくりしようと思ってさ」


真剣な眼差しに、胸がきゅっとなる。

そんなふうに考えてくれていたことが、何より嬉しかった。


「……行きたい」

思わず笑みがこぼれる。

「春樹となら、どこでも」


彼は安堵したように息を吐き、頬を少し赤らめて微笑んだ。


その夜、小夜が帰り支度をしているとき。

春樹が玄関でふいに彼女の手を取った。


「誕生日、俺に任せてくれ。絶対、楽しい旅行にするから」

その声は穏やかで、それでいて強い決意がこもっていた。


小夜は頷き、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。

(こんなふうに思ってくれる人がいるなんて……)


帰り道、心はすでに旅行先の風景でいっぱいになっていた。

湯気の立ちのぼる温泉、二人だけの宿。

きっと特別な時間になる――そう思うと、自然と笑みがこぼれた。



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