第13話 はじまりの朝
カーテン越しに朝の光が差し込み、小夜はゆっくりと目を覚ました。
ふわりと漂うコーヒーの香りに気づき、隣に伸ばした手の先に春樹の温もりがないことを知る。
(夢じゃ……ないよね)
昨夜の出来事が鮮明によみがえり、顔が一気に熱くなる。
シーツをぎゅっと握りしめて身を丸めたとき、扉がノックされて、春樹が入ってきた。
「起きたか?」
ラフなTシャツ姿の春樹が、マグカップを二つ持っている。
彼の髪は少し寝癖がついていて、完璧なビジネスマンの顔ではなく、どこか柔らかい。
「おはよう」
「……おはよう」
声が妙に震えてしまい、小夜は顔を枕に埋めた。
「熱はないな。安心した」
額に軽く唇を触れさせるようにして、春樹は微笑む。
それだけで胸が甘く満たされる。
「コーヒー、飲めるだろ? 簡単に朝食作ったから、起きてきな」
「……え、あの……」
「大丈夫、パン焼いただけだし」
からかうように笑う春樹に、小夜はシーツの中でさらに頬を赤くした。
リビングに出ると、テーブルの上にはトーストとサラダ、スクランブルエッグ。
シンプルだけれど、丁寧に並べられている。
「いただきます」
小夜が口に運ぶと、素朴な味にほっと息が漏れる。
「……おいしい」
「そりゃよかった」
春樹は自分の皿よりも、小夜が食べる姿をずっと見ている。
その視線に気づいて、フォークを持つ手が止まった。
「……そんなに見ないで」
「見てたいんだよ」
さらりと言われ、胸が一気に高鳴る。
食事を終えると、春樹が片付けをし、小夜はソファで待つことになった。
自然と昨夜の記憶がよみがえり、体中が熱を持つ。
(……もう、完全に恋人なんだ)
その実感に、胸がいっぱいになる。
片付けを終えた春樹が隣に座り、何気なく肩を抱き寄せた。
「小夜」
「……はい」
「昨日も言ったけど、これからずっと一緒にいたい」
真剣な瞳に見つめられ、小夜は胸が締め付けられる。
ゆっくりと頷くと、またそっと唇を重ねられた。
週が明け、月曜日の朝。
制服に袖を通し、鏡を覗いた小夜は思わず自分に問いかけた。
(……顔に出てないかな)
春樹の家で過ごした週末。
甘くて、夢みたいで――思い出すだけで体温が上がってしまう。
その余韻がまだ色濃く残っているようで、頬を軽く叩いて気を引き締めた。
薬局での仕事は、いつも通り。
受付で保険証を受け取り、会計をし、患者さんに笑顔を向ける。
だが、隙間の時間にふと脳裏をよぎるのは春樹の笑顔だった。
(昨日の朝、「見てたいんだよ」なんて言ってた……)
思い出すだけで心臓が跳ねる。
(……だめだ、仕事中なのに)
同僚に「松原さん、顔赤いけど大丈夫?」と心配され、慌ててごまかす場面もあった。
昼休み、休憩室でお弁当をつつきながら、スマホを開く。
春樹からは「午後も頑張れよ」と短いメッセージ。
ただそれだけで胸がじんわり温かくなる。
幸せに浸りながらも、心のどこかでまだ不安が残っている。
彼に釣り合っているのか、こんな自分でいいのか――。
仕事を終えて帰宅する頃には、すっかり夜になっていた。
買い物袋を片手に歩いていると、ふいに後ろから声がした。
「……松原?」
振り返った先に立っていたのは、斎藤栄太だった。
ジャージ姿で、汗を拭ったタオルを首にかけている。
仕事帰りにでも走っていたのだろうか。
「久しぶり。……なんか、雰囲気変わったな」
そう言って、栄太はじっと小夜を見つめた。
その視線に、小夜の胸の奥に微かな緊張が走った。




