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魔力を失った元・天才令嬢は、最高の魔法使いに嫉妬する

私はクレア・ローゼンバーグ。

元・侯爵令嬢にして──元・天才魔法令嬢。


──そう、"元"が重要である。


優秀な魔法使いを輩出してきた名家ローゼンバーグ家に生まれた私は、五歳の誕生日に初めて魔力検査を受けた時から周囲を驚かせた。


設置された魔道具に触れた瞬間、検査室中の灯火が青く染まり、天井から淡い水色の光が降り注ぎ、床一面に水晶の花が咲き乱れたのだ。「百年に一人の逸材」と称えられ、その日から特別な教育が始まった。


十歳で第一位魔法学会から表彰され、十五歳で王立学院を首席卒業。水と光の複合魔法を得意とし、閃光のように素早く魔法を繰り出す様から「霧閃のクレア」という二つ名まで与えられた。


("霧閃"って……。でも、歴史に名だたる偉人たちだって恥ずかしい二つ名持ちだし……、いつか私もそこに名を連ねちゃうかもだし!)


将来を嘱望された私だったが、ある日突然、魔力を失った。


それはもう、すとんと落ちるように。


日課だった窓辺での小鳥への餌やりに、いつものように風の魔法で鳥籠を開けようとした時だった。指先から紡がれるはずの風の糸が、まるで切れた糸のように途切れた。


そして二度と戻ることはなかった。

自慢の魔力は一滴も残らず消え去り、気づけば天才はただの一般人。


医師たちが口を揃えて「前例がない」と言い、占い師は「呪いではない」と首を振り、賢者は「魂の疲労か?」と曖昧な診断を下した。


だが誰一人として、私の魔力がどこへ消えたのか、そしてなぜ消えたのかを説明できる者はいなかった。

まるで何かに封じられたかのように忽然と消え失せたのだった──。


「……魔力を失うなど愚かな。侯爵家の名を汚す者は要らん」


父の書斎に呼ばれた私の耳に、冷たく突き刺さった言葉。

記憶に残るのは、父の冷徹な視線と、嘆くように下を向いた母の表情だけだった。

無情にもあっさり家を追い出された私は、母が密かに握らせてくれた三日分の路銀だけを頼りに、帝都の片隅を彷徨うことになった。


そんな私を拾ってくれたのは、帝都外れにそびえ立つ魔法塔の主。

拾うというより、正確には「雨に打たれて塔の前でうずくまっていた私を見つけた」というべきか。


その日から三ヶ月。私は魔法塔の雑用係として働いている。


塔内は七階建てで、各階には様々な魔法研究室や書庫が広がっている。

一階の大広間、二階の学術書庫、三階の薬草園、四階の魔法具工房、五階の錬金術室、六階の占星術室、そして七階は塔主の私室。

私の仕事は、これら全ての清掃と雑用。


魔法が使えれば一瞬で済むことも、今の私は一つ一つ手作業でこなすしかない。


──そんな私の目の前で、今、トラブルが起きていた。


七階の廊下。窓から射し込む朝日が、大理石の床に長い影を落としている。

先日の嵐で窓枠から雨水が入り込み、床が汚れてしまったのだ。


「……そのバケツ、重いだろう。クレア、君がやらなくていい」


突然背後から声がして、思わず肩が跳ねる。振り向かなくても誰かはわかっていた。

この塔で、こんな風に私に話しかけるのは一人しかいない。

私は慌てて振り返り、バケツを両手で抱えたまま社交辞令の微笑みを作った。


「いえ。水と雑巾が入ってるだけですし──」


「だとしてもだ。床を拭くのに、君が膝をつく必要があるのか?」


「あります」


膝をつかないと拭けないだろう。何を言っているのか。

膝をつかずに拭く術が魔法以外にあるなら私が知りたい。

魔力がない私への当て付けなのかと少しばかり苛立つ。


「俺がやる」


「おやめください!国家最高魔法使い様が何をなさろうとしてるんですか!」


私に向かってしゃがみこみ、バケツに手を伸ばそうとしているのは、この魔法塔の主──セイラス=アークライト様。


三十を過ぎたばかりとは思えない若々しさと、その洗練された容姿は、貴族の女性たちの間で「銀の獅子」と呼ばれ憧れの的になっている。


白銀の髪、紫の瞳、完璧な魔法制御能力を持つ天才魔法使い。

十代で七色の魔法を操り、二十代で王国最年少で「国家最高魔法使い」の称号を得た。

一言で言えば、とんでもない完璧超人だが、その内面はというと──


「クレアはもう少し自分を大切にしろ。掃除は俺がやる」


──過保護というより、これはもはや介入だ。


(何の嫌がらせ!?)


魔力を失い、帰る場所を失った。

もはや私にはこの雑用係しかすがるものがないというのに、その大事なお役目まで奪おうと言うの!?


屋根の修繕から窓拭き、魔法書の整理、薬草の管理まで、今の私にできることを何でもやった。

この雑用まで奪われれば、私がこの魔法塔にいる意味はない。


(この!この!天才のくせに!私からすべてを奪おうと言うの!? 元・天才の誇りが死に絶える!!)


「これは私に与えられた仕事です。セイラス様はどうか研究にお戻りください」


私は精一杯の丁寧さで言った。

ここに来て三ヶ月。最初の頃こそ親切心を拒否するのも心苦しく思い、おどおどしていた私も、さすがに慣れてきた。

セイラス様がこうして「手伝おう」と言ってくるたびに断る台詞も、複数パターンを想定して練習済みだ。


「研究は昨夜終わった。今日は何もない」


彼は淡々と言い、それでもバケツに手を伸ばそうとする。


「では、明日の準備を!王宮からの使者が明日いらっしゃるはずです」


「準備は昨日済ませた」


「では──」


「クレア」


私の言葉を遮り、彼は真剣な顔で私を見た。その紫の瞳は不思議と優しく、時に困ったように揺れる。

「もう抵抗するのはやめてくれ」と言わんばかりに。


結局この日も、国家最高の魔法使いが雑用を手伝うという、この世のどこを探しても見られない奇妙な光景が繰り広げられることになった。


パチンッ!


(……勘弁して)


重いだろうと私から奪い取ったバケツも、手が荒れぬようにと私から奪い取った雑巾も、本来彼には一切不要だ。


指を一つ鳴らすだけで大理石の床一面に広がる光。雨水と泥に汚れた床は一瞬で綺麗になり、ピカピカと光を反射している。


魔法ひとつで簡単にこなしてしまった。

それなのに私は──。


彼の姿を横目に見ながら、胸の奥で複雑な感情が渦巻いた。


私だって──。

かつての私ならば、これくらいの魔法、難なく使えたのに。

妬ましさと悔しさが入り混じる。



あの出来事から一週間後。


朝から窓を開け放ち、図書室の大掃除に取り掛かっていた私は、背後に人の気配を感じ振り返った。


「セイラス様……?」


いつもより整った服装に身を包んだセイラス様が、珍しく緊張した面持ちで立っていた。


白銀の髪は普段よりきちんと整えられ、黒と金の縁取りが施された高位魔法使いの式服に身を包んでいる。

今日は何かの儀式でもあったのだろうか。


「クレア、少し話したいことがある。時間はあるか?」


「はい。もちろん、大丈夫です」


私は箒を脇に置き、埃で汚れた手をエプロンで拭った。

図書室の奥にある丸テーブルへと案内されると、彼は椅子を引いて私に座るよう促した。

私は少し戸惑いながらも、言われた通りに座る。


「ここ最近、考えていたことがある」


セイラス様は窓の外を見やりながら、静かに言葉を紡いだ。


「私がこの塔の主になってから十年。多くの弟子が訪れ、多くの研究者が去っていった。だが、この塔に温もりが生まれたのは、君が来てからだ」


「そんな……私は何もしていません」


「いや、君が変えたんだ。毎朝、窓を開けて風を入れ、季節の花を飾り、夕暮れには灯りをともす。そういった小さなことの積み重ねが、この塔をあたたかい場所にしてくれた」


彼の言葉に、胸がちくりと痛んだ。指摘されるまで自分でも気づかなかった。

それらは全て、かつての私の家で当たり前にしていたこと。

家を失った今となっても、無意識のうちに過去をなぞる行動を取っていたのだろう。我ながら未練がましい。


「クレア、君に伝えたいことがある」


(もしかして……解雇……?)


これは「今までありがとう。じゃ、クビね」と告げられる流れではないだろうか。

魔力もなく、雑用しかしていない私は、確かにいてもいなくても変わらない。

王宮からの使者が来た後、何か言われたのかもしれない。

現に、昨日は私がここに来て初めて彼の姿を一日中見なかった。


プライドを捨てられるものならば「捨てないでくださいー」とみっともなく縋り付くところだが、この男の前でだけは私はプライドを捨てられない。

彼の前で惨めな姿を晒すことほど屈辱的なことはなかった。


(もし、ここで解雇されたとしても潔く受け入れて、辞めよう)


背筋を伸ばし、覚悟を決める。


「クレア、君に伝えたいことがある」


セイラス様は再び言った。

その声には、いつもの冷静さが少し欠けていた。


(あああ、きた!きたきた!)


先ほど決めた覚悟は逃げ出し、プライドはあっさり私を裏切り、椅子から滑るように土下座の構えを取りながら、静かに頷いた。


「……婚約者になってほしい」


……へ?


土下座の体勢を取りかけて中腰となった私の前まで来て、片膝をついたセイラス様の手には、青い宝石がちりばめられた指輪が光っていた。


それは、私の失われた魔力の色そのものだった。


「俺の傍にいてほしい。どうか君の傍にいさせてくれ」


……へ、へえええええええええええ!?


いや、いや、予想外。左からも右からも上からも下からも想定外。全方位からの不意打ち。

私は口をパクパクさせながら、何も言葉が出てこなかった。


突然の出来事に頭が追いつかない。

つい三ヶ月前までは侯爵家の令嬢だった私。それが突然魔力を失い、家を追われ、この塔の雑用係となった。

そして今、国家最高の魔法使いから婚約の申し込みを受けている?

あまりにも色々と起こりすぎている。

何かの冗談?それとも幻?


「……セイラス様。いつから"国家的な慈善活動"に取り組まれて?」


思わず皮肉めいた言葉が口をついて出た。

こんな私と婚約するなんて、慈善事業以外の何物でもないだろう。


「違う。君が好きなんだ」


「えっ……?」


「君は知らないだろうが、俺たちが出会ったのは、三年前の王立学院の卒論発表の場だ。君はあの日、魔法理論の新たな可能性について素晴らしいスピーチをしていた。あの時から、君に惹かれていた」


(そんなに前から?)


私は彼の言葉に驚いた。

確かにあの場には多くの高位魔法使いが来ていたが、まさかセイラス様が私のスピーチを覚えているなんて。

革新的な内容だと自負していたのだけど、地味なテーマだったために、両親や周囲の人たちからガッカリされて、やんわり否定されたのに。

あの悲しい思いで終わった私の研究内容を彼は認めてくれていた?


「それから君の研究を追っていた。そして……三ヶ月前、魔力喪失の噂を聞いたとき、居ても立っても居られず侯爵家まで会いにいった。君はもう家を出ていて、──雨の中、偶然この塔の前で見つけた時は、運命だと思った」


彼の言葉に動揺を隠せない。

魔法塔の主に拾ってもらえて、運が良かったと思っていた。

雨に濡れた姿がよほど哀れに見えたのだろうと軽く考えていたが、まさかあれは偶然ではなかったのだろうか?

私のことを探してくれていた?


彼は続けた。


「魔力がなくなっても、君は君だ。君は決して挫けない。強くて、聡明で、そして少しだけ頑固な、優しい君が好きだ」


目が合った。いつも氷のように冷たい視線をしている彼の目が、やわらかく揺れていた。その目は嘘をついていない。


思わず私は自分の手を見下ろした。雑巾で荒れた指先。指の関節は赤く腫れ、爪は短く切り揃えている。

かつて魔法を紡いだ手は今、掃除と雑用だけをする手になっていた。


「……こんな私がいいと?魔力もなく、家も追い出され、ただの雑用係の私が?」


「そうだ。君がいい。君は、唯一無二の人だと俺が保証する」


その言葉に胸が締め付けられた。

かつての自分を思い出す。華やかな魔法披露の成功、称賛の拍手、研究成果への賞賛。

それから一転、落ちぶれた今。世間では「霧閃ならぬ無銭のクレア」と陰口を叩かれているらしい。


胸がいっぱいになった。

涙が、出そうだった。


魔力を失って一斉にみんなからそっぽを向かれた。

婚約者だった人は契約を破棄し、友人たちは次々と離れ、魔力が戻らないと判断されてからは家族からさえ見捨てられた。

要らない子として扱われて、誰も私がいいなんて言ってくれなかった。


でも、──私は、彼に言った。


「……私があなたを愛することはありません」


元天才令嬢はプライドを捨てられない。

この男に心預けるのだけは嫌だった。


──彼は私のなりたかった姿だ。


ぽろりと涙が頬を伝った。

私が失ったすべてを持つ完璧な人。

彼の持つ全て──魔力、地位、名声、そして揺るぎない自信、輝かしい未来。

かつての私が持ち、今は失ったすべてのものを、彼は余すところなく持っている。


なぜ私のような者に手を差し伸べるのか。

妬ましさと憧れと、言葉にできない感情が混ざり合う。

魔力がなくなった私は、彼の足手まといにしかならない。

並び立てないまま隣に立つなど、屈辱以外の何物でもない。


ああ、かつての私ならば、きっと違う返事ができたのに──。


セイラス様は、ゆっくりと頷いた。

予想していたかのように。


「諦めない。何度でも伝える。君から愛してもらえるまで、何度でも」


そして彼は、そっと私の手を取った。

荒れた私の手を、大切なものを扱うように優しく包み込んだ。


「この指輪は、君がなくした魔力の色と同じだろう? 俺には分かる。いつかきっと、この色が君の中に戻ってくる。答えはそのときでいい。それまで、俺は待ち続けるから、いつか君の気持ちを教えて欲しい」


その瞬間、指輪の青い宝石が淡く光った気がした。錯覚だろうか。

でも確かに、何かが私の中で震えた。

あの日以来、感じたことのない感覚。


「……善処します」


私は精一杯の言葉を絞り出した。

彼は微笑み、手を離した。


「ああ、いくらでも待つ」


彼はそう言って立ち上がると、私の前で再び膝をついた。

私が慌てる間もなく、彼は私の手を取り、そっと唇を押し当てた。


「明日の朝食を一緒に取らないか?七階の塔主室で待っている」


言い残すと、彼は颯爽と立ち去っていった。


私はしばらくその場に立ち尽くし、自分の手の甲を見つめた。彼の唇の温もりが残っている。

指先に、かつて感じたような微かな震えを感じる。それは魔力が戻ってきたわけではないが、何か別の力が私の中で目覚めようとしているような感覚。


指先をそっと合わせると、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、青い光の粒子が宙に舞ったように見えた。

幻だろうか?それとも——。


「魔力を取り戻すまで、絶対に好きなんて言わないんだから」


そう心に誓いながらも、私の心は既に、少しずつ揺らぎ始めていた。


──魔力を失った元天才令嬢が、溺愛してくる天才魔法使いに素直になるまで、あと、ひと月。




【完】

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― 新着の感想 ―
わぁぁ。セイラス様イケメン……。ちゃんと最後はくっついてくれたし……。でもあれだよね。魔力が使えなくなったからこそ、幸せになれた説はある。と思った。
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