羽田空港
翌朝に羽田空港の出発ロビーに着き、正秋の姿を見つけた千夏は、大きく手を振った。
「それで、本当に行くんだ」
千夏は正秋の転がしている小ぶりなスーツケースを見ながら、笑いながら尋ねる。
「うん。彼女との初デートにして、初旅行だ」
正秋は少年のように、屈託なく笑う。
「だって。昨日の今日だよ。よく準備できたね」
「んー。でも航空券、取れたし。ハイシーズンなのに奇跡」
「でも、高かったでしょ? 私なんか三ヶ月前に押さえたよ」
千夏はどうしても節約家魂が抜けない。
「大したことないよ」
正秋は可愛い顔にふいに営業成績ナンバーワンの貫禄をにじませ、得意げに笑う。千夏は少したじたじとなる。
「すごいね。さすが係長。でも、三泊四日の予定なんだけど」
「大丈夫。俺も有休取った」
「よく取れたね」
「ほら。ただでさえ俺、優秀なのに。こないだのクリエイティブEXPOで大活躍しちゃっただろ。名刺獲得件数、一位だったんだよ」
「それ、飲み会で聞いたし」
千夏はくすくす笑う。正秋の子どもっぽい一面も見れて、それが嬉しい。
「ねえ、鳥取砂丘でラクダに乗れるんだって。絶対、乗ろうよ」
「アラビアじゃないのに、なんであんな動物、日本にいるんだろ。って何、調べちゃってんの」
千夏は正秋がスマートフォンを指さして苦笑する。正秋はそれに構わず、行きたいところをあちこち指さす。千夏は正秋の張り切る様子がじわじわ面白くなっていく。
「私達、付き合い出してまだ十二時間ですが」
「いやいや。俺らの付き合いは十年来でしょ」
「新婚旅行みたいになっちゃってますが」
「あー。それ、言われると思ってさ」
正秋はにこにこ笑い、今度は斜めがけバッグから何か用紙を取り出す。
「本物の新婚さんになってもいいんだよ」
千夏は用紙を手に取り、目を見開く。これは正真正銘、婚姻届だ。
「ちょ。なに、こんなの持ってきてんの」
「だって千夏、なる早で結婚したいって言ってたじゃん」
「い、言ったけど」
「じゃあ、する?」
正秋は、今度はバッグからボールペンを取り出し、千夏の手に握らせる。千夏は人生で初めて手にする届出用紙をまじまじと見つめ、耳の先まで顔が赤くなってゆく。
「俺は大賛成だよ」
正秋はわざと耳元で囁く。千夏は用紙を凝視したまま、脇の下に流れ落ちる汗を感じる。
「だっ。今、決めることじゃないでしょ」
千夏が我に返って勢いよく怒鳴ると、正秋は激しく笑い、頭を撫でてくる。それからさっと何かキラキラした鎖のようなものをバッグから取り出す。千夏が見ていると、ロック部分を外し、それを勝手に千夏の左腕へとりつけた。あの、ピンクゴールドのブレスレットだ。
「よし。ひとまずはこれで我慢するか。千夏は俺の。分かった? とにかくチェックインしよう。いこう」
正秋は嬉々として千夏の手をひき、カウンターへと向かう。根負けした千夏は笑うことにし、その手を握り返した。
続編「愛し合いたいだけなのに」へ続く
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