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初カレ

翌日、ヒロイン・デザインの制作部は、にわかに活気だっていた。


「マサ君がすっごくいいの、取ってきたよ、前田設計の会社案内、両観音開き六ページもの。杉崎君ご指名なんだけど、いいかな」

長谷川の問いかけに、冬馬が背筋を伸ばす。

「もちろんです。やらせてください」

千夏は長谷川が手にしている、他社が過去に制作したらしい前田設計の会社案内をチラリと見る。そこは東京近郊で活躍するそこそこ大きな設計会社で、住宅や商業施設、ビルの設計を手掛けている。正秋が、以前に冬馬に頼まれていた仕事だと思い出す。正秋がこれまで多くの業界に営業をかけていたのは千夏も知っていたが、住宅系は入り込むのが難しいとも言っていたのは記憶に新しい。見てないところでどれだけ努力をしたのかと、千夏は感心する。


「黒岩さん、白井君。二人とも、いい?」

「私は他で忙しいんで、いいでーす」

黒岩はディスプレイから顔も離さず、そっけなく答える。

「冬馬さん、俺からもお願いします!」

一方、白井はちゃんと冬馬と長谷川を見て、笑顔で返す。

「じゃ、杉崎君。納期、短いからよろしく。デザイン初校は今週中に最低でも二案。頼むね」

「了解っす」

「クリエイティブEXPO(エクスポ)に間に合いそうだったら、それも現地に持ってくから」

「絶対に間に合わせます」

冬馬は男らしく笑い、ハキハキ答える。千夏はやる気に満ちている冬馬を少し誇らしく思う。同時に不安にもなる。長谷川が間に入っているとはいえ、今の正秋と冬馬がうまく仕事をやれるのか。


数日後、会社のエントランスで千夏は美穂に会い、飲みに行こうと誘われた。千夏は二つ返事でオーケーし、その夜にすぐ飲みに行った。場所は会社ぐるみでよく利用している焼き鳥居酒屋「いいとこどり」だった。


「それで最近どーお?」

美穂がカウンターに肘をつき、機嫌よく尋ねる。

「はい。色々あったんですけど、実は冬馬と付き合うことになりました」

千夏は不安を隠し、笑顔を向ける。

「えー! そうなのー。おめでとうー」

美穂はジョッキを、千夏のジョッキにぶつける。それからそのジョッキでハイボールを飲みながら、千夏を興味深そうにじっと見る。

「ありがとうございます。念願の初カレです」

「それでそれで? どんな感じ?」

身を乗り出す美穂に向かい、千夏はあれこれ冬馬のことを語り出した。人生初の「のろけ話」を楽しんだ。


千夏が冬馬と付き合いだして一週間が過ぎた。千夏は冬馬のマンションで一夜を明かし、土曜日の朝を迎えた。


冬馬の住むマンションは、千夏の住む下町エリアと違い、区画整理が行き届いた閑静な住宅街にあった。正秋が住むマンションよりもさらに綺麗で新しく、立派な1LDKの間取りは居心地が良かった。


室内は明るいライトブラウンと白でカラーリングされていた。ベランダに通じる窓にはオーダーメイドしたらしい白く重厚なカーテンがかかっていて、壁には何という画家の作品か分からない、現代アートが額に収められていた。二十代の男子にはなかなか手が届かなそうな、高価そうな無垢材の家具で統一され、チェストの上には何かの鉱石や、どこか海外の年代物らしい置き時計、アナログレコーダー、アロマストーン、写真立てが置いてあった。その写真のなかには大勢の友人らしき人間に囲まれた、少し若い冬馬の姿があった。


千夏は寝室のベッドのなかで夏掛けの布団にくるまり、冬馬がシャワーを浴びる音を聞いた。それから起き上がり、リビングへ移動した。テレビをつけて占いのコーナーを見て、カーテンをそっと開け、深呼吸した。


二人は前日の夜、体を重ねた。緊張したものの、千夏はすぐに果て、全身で幸せを感じた。正直、まだ正秋のことは頭の隅にはあったものの、頭のなかの大半を占めているのは冬馬だった。もうウジウジしない、この人だけを見ようと心に決めた。


ただ、気になることはあった。冬馬は当初、千夏のことは友達だとは言った。でも、どういうわけか千夏がいいと言い出し、付き合うことになってしまった。

なぜ心境の変化が起こったのか。正秋に詰め寄られたせいか。独り身の寂しさからか。それとも千夏に対する同情か。本人に聞きたくても、怖くて聞けなかった。


それに、セックスのときも変だった。ラブホテルのときは燃えたのに、付き合い出してからの冬馬は千夏が果てるとすぐに服を着てしまった。自分ばかり気持ちよくなるのは嫌だと伝えたのに、冬馬は優しく笑い、それ以上求めてこなかった。


「空いたよ。入る?」

シャワーを浴びてバスタオルを腰に巻いた冬馬が、バスルームから出てくる。ほどよく筋肉質で引き締まった上半身に、思わず見惚れる。

「うん」

「何、どうしたの」

冬馬が優しく笑って尋ねる。

「ん」

千夏は唇を突き出す。

「キスしてほしい?」

「うん」

冬馬は千夏の隣に座り、チュッと軽くキスする。


「ねえ私のこと、本当に好き?」

冬馬に抱きしめられながら、千夏は尋ねる。冬馬は軽く笑い飛ばす。

「今更なのに」

「今更でも聞きたいの」

千夏は冬馬のほおを撫でる。殴られた傷痕は、だいぶ治ってきたらしい。

「ねえ。今日、ちょっと遠出しない?」

冬馬は千夏の髪をくしゃっと丸めると、明るく笑った。

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