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当事者達②

正秋の声が、氷柱のように冷たく鋭利に響いた。春菜は目を見開き、再び冬馬と千夏を交互に見た。


「杉崎。これ以上、千夏を傷つけんなって言ってる。お前、日本語、分かるか」

「はい」

「立てよ」

正秋が命令した。千夏と春菜が見守るなか、冬馬は椅子を下げ、立ち上がる。正秋は冬馬の襟首を掴み、自分の顔を冬馬の顔に近づける。

「でもな。千夏はお前なんかのことがずっと、ずーっと忘れられないくらい、好きなんだとよ。それで俺のことはお情け程度で、ほんの少し、好きらしい。お前も千夏を本気で好きなら、その気持ちに正面から応えてほしいけど、どうなんだ」

正秋は、冬馬の襟を掴んでない方の手を見せ、人差し指と親指でCの字をつくり、「ほんの少し」を表現してみせる。


「正秋、そんな言い方してないよ私」

千夏が突っ込むも、正秋はそれを無視し、冬馬と向き合う。

「おい。舐めてんじゃねえよ。ホテルでヤリ逃げしてそのまんまか、てめえ」

正秋の手の甲には血管が浮き上がる。

「すいません」

「すいませんじゃねえよ。俺の目ぇ見て答えろ」

冬馬は顔を上げ、自分より背の低い正秋と目を合わせた。二人の男は互いに視線をぶつけ合う。


「いえ。今、マサさんが言った通りです。俺には何か言う資格はありません」

冬馬の言い方は無機質で、目は月の出ない闇夜のように暗い。一方、それを見ている正秋の目は、氷のように冷たい。冬馬は正秋の手を取り、自分の襟を離させ、再び椅子に座り込む。正秋も静かに腰を下ろした。

「ああ、ないよ。だけどこういう状況だ。資格はないけど、決断させてやると言ったら?」

「もう、いいよ」

千夏は強引に話に割り込んだ。三人の視線が千夏に注がれる。


「決断するとかしないとか。なんかもう、無理。頭がついていけない。私は自分に正直でありたいし、正直な気持ちは伝えたつもり。誰とも付き合えない。それでいい」

「へえ。じゃあ後になってから言わないでくださいよ。やっぱり係長のほうがいい、って。千夏さんこそ冬馬さんのこと、ヤリ捨てしたんじゃなくて?」

春菜は千夏に向かって吐き捨てるように言い、千夏は目を見開いて黙り込む。

「係長。私、係長が好きです。だけどあなたが私を見てくれないから…。辛い。千夏さんと冬馬さんが付き合うのを認めるなら、係長、私と付き合ってください」

春菜のわななくような物言いに、正秋は下唇を噛み、冬馬の襟首を離した。


「ごめん。何度も言ってるけど、俺はお前の気持ちに、応えられない」

正秋は春菜へ潔く頭を下げる。春菜は目にこんもりと涙を浮かべ、激しくしゃくり上げる。

春菜がうつむいて泣く姿を、正秋は黙って見つめる。

「どうするかは君の自由だ。だけど千夏が杉崎を好きな以上、身を引いてもらいたい」

「は? 言ってること、おかしくないですか。さっき、好きな人のことは自分が幸せにしてやりたいとか言ってたくせに」

春菜は顔を上げ、矛盾する正秋に噛みついた。確かに正論だ。千夏は春菜の方を見る。怒りながら、泣きながら、その言葉の端々から、正秋への恋情が溢れさせているのが目に見える。

「ああ、言ったよ。だけど相手がこちらにきてくれなきゃ…それもできない」

正秋は喉がしめつけられているのか、とても苦しげだ。

「バカみたい。一抜(いちぬ)けます。お疲れ様です」

春菜はガタッと音を立てて席を立つ。ツカツカと店内を歩き、勢いよく店の玄関ドアを開け、出ていった。残された三人はそのドアのあたりをしばらく見つめる。先に正秋が口を開く。


「もう、やめませんか」

冬馬がテーブルの縁辺りを見つめ、声を張り上げた。他の三人は口をつぐみ、冬馬を見る。

「この状況。フツーに考えて無理でしょ」

「だな。杉崎、お前が首吊って死ね」

正秋の言い方は容赦ない。

「正秋、やめて」

「ホンット、バカバカしいよ」

正秋は千夏を無視し、冬馬を見据えたまま深くため息をつく。

「お前らブレまくってんのにな。自分の気持ちも分かんなくて、自分じゃ決められなくて。誰かに決めてほしいんだろ。ガキかよ」


そうだ。確かに自分も冬馬も、帰っていった春菜だって、混乱していて感情の整理ができていないと思う。皆、頭んなかがとっ散らかっている。だけど正秋はただ一人、整理がついてる。正秋はずっと一貫していて、迷いがない。千夏は恐る恐る、正秋を見る。まるで磁石のように、正秋と視線が合致した。寂しそうな目をして、少しだけ笑いかけてくる。さっきまでの人間味のない顔ではない。千夏と二人で過ごすときに見せる、温かな眼差しだ。


「マサさん。そんだけ言うなら、俺が千夏をとっちゃっても、文句ないんですか」

冬馬は正秋を見た。正秋は冬馬と目を合わせ、黙り込む。

「俺が自分で決めるなら、オーケーなんですか」

冬馬はもう一度、正秋に尋ねる。


強烈な緊張が張り詰める。店内は他にも客がいて、彼らは和やかに笑い合ったりしている。だけど四人の周りだけは凍てつく氷の世界そのものだ。千夏は履いてるスカートを握りしめる。手汗でびっしょりだ。


千夏は脳内で異議を唱える。

俺が千夏をとっちゃう? 冬馬は何を言ってるんだろう。私は友達なんでしょ。私のこと、フッたじゃん。ラブホでエッチした後、逃げ出したじゃん。支離滅裂だよ。


「…お前が自分で選んだんなら」

しばらくして、正秋は冬馬の方を見て頷く。

「ちょっと、勝手に決めないで」

「千夏も、自分で決めて」

冬馬が千夏を制しながら見る。


「何度だって言ってやる。俺は千夏が好きだ。こんな性欲しかない、優柔不断で情けない奴なんかより絶対、幸せにしてやる」

そう言って、正秋は冬馬を指さす。冬馬は無表情でそれを見返す。

「だから俺のとこに来い、千夏」

正秋は、今度は千夏の方に向き直る。千夏は正秋の顔を見ず、胸の辺りを見る。それから徐々に頭を垂れ、お腹、脚、つま先、床へと、目線を落としてゆく。


再び沈黙が訪れた。

千夏の脳内はありとあらゆる考えが浮かんでは消える。思考がショートしているのを感じながら、ふと冬馬の方を見る。冬馬もこちらを見る。

「マサさんの言うとおり、俺、情けない奴だよ。でも…。俺も、千夏がいい」


冬馬が絞り出した言葉に、千夏の頬には一筋の涙がこぼれ落ちる。


冬馬は自分で分かっているのだ。気持ちが定まってないのに千夏を抱いてしまい、さらに逃げ出してしまって、それを非難されてもしょうがないと。


冬馬は正秋なんかよりずっと弱い生き物だ。見ていてそれがよく分かる。ズルいし卑怯だし、千夏は目一杯傷ついた。なのにどうしてなんだろう。どうして私は正秋じゃなく、さっきから冬馬の方ばかり見ているんだろう。


「私も。冬馬が好き」

冬馬の本心は見えない。だけど千夏は自分の本心に従い、蚊の鳴くような声で返す。冬馬が無言で見つめ返した。

「…そっか」

正秋の声は小さく、儚い。急に震えが止まらなくなった千夏は、小さくしゃくり上げる。

「杉崎が君を選んだ。千夏も杉崎を選んだ。だから」

正秋は肩をわずかに震わせる。正秋は椅子から立ち上がり、黙り込んだまま、千夏と冬馬を交互に見る。

「正秋」

「俺のことも好きって言ってくれて、ありがとう。でも、好きの度合いが違い過ぎたね」

「私そんなこと言ってな──」

「会社ではこれまで通りで頼むよ」

正秋の声は震え、涙声になっている。千夏の喉からは一文字も言葉が出てこない。正秋はそれからすっと背を向け、店を出ていった。

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