それに引き換えお前は何だ
千夏は少し震えながら、ソファに座る冬馬を正面から見た。
「どうって、別に」
冬馬はきょとんとした顔をする。
「別にって何」
「可愛いと思ったよ」
嘘だ。それは絶対に嘘だ。千夏は急に怒りが込み上げてくる。
「あんなデブスを可愛いと思うはずがないじゃん」
「まあ、ちょっと太ってはいたよね。今の方が垢抜けてるし。でもブスとか思わなかった」
冬馬の顔と声に、嘘をついている様子はない。
「本当?」
「うん」
「あんなにみっともなかったのに」
急に全身の力が抜ける。なんだ。だったら冬馬も正秋も、私が怪獣でも気にしてなかったんだ。本当に今の努力は、いったい何のためにあるのか。千夏は二つのスプレー瓶をサイドボードに置く。ペットボトルを手に取ると、キャップを開けて水を一気に流し込む。
「今日は冬馬の本音を聞かせてもらう日だったんだね」
千夏はキャップを閉め、ボトルをサイドボードに置く。
「違うよ」
「じゃあ何?」
「千夏を野良犬達から救出した日」
冬馬は傷ついたほおを指さし、ぶっきらぼうな言い方をする。
「友達だから?」
「大事なね」
冬馬はそう言って真顔で頷く。
そうか。冬馬は私が大事な友達だから、こんなに心配してくれるわけか。私が勘違いしそうなほどに。
「飲みに行く約束、果たしてない。今度、行こう」
千夏が素直に笑顔をつくれず、仏頂面で言うと、冬馬は顔を上げる。妙な表情だ。笑うでも怒るでもなく、無関心でもない。それどころか目には力が入り、精気に満ちている。なんだかゾワゾワして、千夏の方から目をそらす。
それからサイドボードに手を伸ばし、レディ・デイジーの瓶をつかんでベッドを立ち上がった。カーテンを開け、窓を開け、雨戸を開ける。急に大きくなった雨音に少し気圧されながらも、千夏は冬馬に背を向けて立ち、闇の中で降りしきる雨粒を見つめる。瓶の蓋を取り、スプレーを軽く手首にかけた。少し甘く上品な香りが立ちのぼる。
「確かにいい香りだね。でね、冬馬」
雨音にかき消されないよう、大きめの声で千夏が声をかける。
「うん」
冬馬も少し大きめの声で返してくる。
「四月に、私は再会できて嬉しかったんだ。冬馬がいじめっ子のクソガキみたいでも。目の保養にはなるし、まあいいかなって」
そうだ。それは事実だ。だから感謝している。気だるい体のふらつきに合わせて、千夏は笑い飛ばす。背後で衣ずれの音がした。どうやら冬馬がソファから立ち上がったようだ。千夏は振り向かず、雨粒を見つめ続ける。
冬馬がすぐ隣に立ち、こちらを見下ろす。千夏も横を向いてその顔を見上げる。室内の薄明かりに照らされた冬馬の顔は腫れていて、いつも以上に精悍で男らしい。千夏は胸がよりいっそうドキドキする。
「ありがとう。好き」
千夏は改めて、真面目に告白する。それからすぐに笑い、一筋の涙をこぼす。この恋は叶わない。叶えない。冬馬の想い人が春菜ではなく、他の女だろうと、そこに入り込む余地はない。ちゃんと、終わりにするんだ。千夏はベッドに近づいてティッシュを引き出し、涙を拭き取る。
「ああ、嘘、嘘。ごめん。もう言わない。ね、お願いなんだけど。今ここで、もう一回きっちりフッてくれないかな。私が冬馬のこと、完全に諦められるように」
そう言って千夏は下手くそに笑い、恐る恐る、冬馬を見やる。冬馬の顔に表情はない。
「そしたら私、正秋とちゃんと向き合える気がする」
千夏が身を乗り出して懇願すると、冬馬の瞳に急に力がこもる。
「そういうの、ズルい」
冬馬は低い声でいい、千夏の腕を掴む。千夏はドキッとして振り払おうとする。
「ズルいって何が」
「好きって言い逃げすんのかよ」
「言い逃げなんかしてないよ」
冬馬の反応に千夏は動揺し、切羽詰まった顔になる。急に怖くなり、目を逸らした。
「マサさんはいい男だよ。すげーカッコいい。俺なんか足元にも及ばない」
「うん」
千夏はうつむき、素直に認める。同時に、同性から見ても正秋がカッコいいと評価されているのが、とても嬉しい。
「それに引き換え、お前は何だよ」
「何だよって、何よ」
「お前こそ、マサさんに釣り合ってんのかよ」
再び怒ったような言い方をする冬馬に、千夏は緊張して口を真一文字にする。
「釣り合ってなかったら悪い? どうせ私なんか雑魚だよ」
「他の奴に嫉妬されて。危なっかしくて。自分は身を引いて。聖人気取りか」
冬馬はどんどん顔を近づけてくる。
「違う」
千夏の鼓動はどんどん速くなっていく。
「春菜なんだろ」
「え?」
「お前をハメようとした奴」
千夏は息を飲み、冬馬の顔を見る。苦悩の色が、その目に映りこんでいる。
「そんな訳な──」
千夏は手を振り払おうとする。冬馬はパッと手を離すと、千夏を勢いよくベッドに突き飛ばした。




