夏休みと引き換えに
翌週の平日のことだった。会社の給湯室で千夏が弁当箱を洗っていると、そろりそろりと誰かが忍び寄り、声をかけてきた。
「千夏さん、前にも言いましたけど、合コンに行きませんかあ?」
この気だるい、甘ったるい声の正体は理乃だ。
「合コン?」
千夏はまさか、と思った。合コンという言葉自体、自分の口をついて出てきたのはいつぶりか。久しく縁のない言葉に千夏はしばし、真顔になる。
「はい。千夏さんてえ、彼氏、いないんですよねえ」
いないんですよねえ、と言われてカチンとくる。確かに以前、理乃にそう言ったのは覚えている。だが、改めて言葉にされると腹が立つ。今は彼氏候補ならいる。自分がイエスと言ってないだけだ。
「うん」
千夏は笑顔をつくり忘れて、真顔のまま言う。
「よかったあ。じゃあ行きましょうよお。一人参加できなくなっちゃってえ」
なんだ、代打か。って、おい。私と春菜と理乃の三人で行こうって言ってたくせに、本当は違う奴がいたのか。楽しみにしていたわけでもないのに、千夏は軽くイラッとする。
「今度の金曜日なんです。男三、女三で。女は私と、私の友達と、千夏さんってことでえ」
「友達? 春菜じゃなくて?」
そうは言いつつ、春菜じゃなくてよかったと千夏は思う。今は気まずくて顔も見たくない。
「はい。昔のバイト仲間です。私とタメの」
「んー。でもさ。他の子は空いてなかったの」
「まだ声かけてないんです」
「私だけ三十代だし。若い子だけで集まった方がいいんじゃないの」
いかにも自分は大人の女で、男に不自由してませんっぽく聞こえるよう、千夏は鋭意、努力する。
「そんなことないですよお。千夏さん、三十歳くらいにみえますしい」
おい。そこは二十九歳って言うところだろ。二十九と三十は一歳違いだ。が、その差がとてつもなく大きい。女は男以上に年齢で評価される。千夏の笑顔は否応なしにひきつってゆく。
目の前にいる理乃の顔をまじまじと見つめる。若いだけでなく、綺麗な女だ。だけどその瞳には性悪さが滲み出ている。千夏は密かにため息をつく。合コンに行きたいのかと聞かれれば、自分は行きたくないと思う。今は正秋と、じっくり向き合っていたい。
「だははは。美人にそう言ってもらえてお世辞でも嬉しい。ありがとう。三十三歳は遠慮しとくわ」
こういうとき、千夏はわざとおばさん臭く手を振り払ってみる。私なんかはお呼びではないんだと、辞退表明するのだ。
「お世辞じゃないですよお。今回集まる男三人、熟女好きなんですよお」
「えー。何それ」
おい。熟女っていうほど歳、食ってねえぞ。千夏は髪をかきあげ、引き笑いする。
「だから絶対行きましょお。そうしないと千夏さんの夏休みの希望、調整してあげませんよお」
「え!」
何だと。それは困る。今年の夏こそ一人旅をすると決めていたのに。もう飛行機も宿も手配してある。必ず希望の日程で夏休みを取得したい。今更、別日には変更できない。総務部だからってこの女は職権濫用する気か。
「それじゃ、また連絡しますねえ」
「え? あ、ちょっと」
理乃は千夏に構わず強引に言い捨て、休憩室へ入って行った。
千夏は仕事を終え、オシアスに向かうと、ロッカールームで美穂に会った。早速、合コンについて話そうと思ったのに、美穂の方が口火を切った。
どうやら美穂は元旦那に復縁を迫られているらしく、それを振り払うのに苦慮しているらしかった。千夏は自分の話は引っ込めて、そちらに耳を傾けた。同時に、なんでこうも美穂に寄ってくる男は絶えないのだろうと不思議に思いつつ、尊敬すらした。美穂が綺麗なのは分かるが、本人は還暦だ。自分が還暦のとき、きっと美穂ほど魅力はないのだろう、プリケツでもないだろうと、なんだか寂しい気持ちになった。
帰宅後、千夏は沙耶香にメッセージを送った。合コンについて意見をもらいたかったのだが、相変わらずなしのつぶてだった。翌朝になってメッセージの会話画面を見ても、既読すらつかなかった。
その週は比較的、仕事が暇だった。千夏は金曜の夜だけは定時で上がれるよう、仕事を調整した。不本意だが、夏休みの希望を通してもらうためにも行くしかないのだろう。
ふと、正秋のことが頭をよぎった。合コンに行くと言ったらどんな顔をされるだろう。いい顔はしないに決まってる。いや、しかし、正秋はまだ彼氏ではない。よって、合コンに行くも行かないも千夏の自由だ。お伺いを立てる義務もない。千夏は自分に言い聞かせ、美容室とネイルサロンを予約した。




