表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/95

ウブ

食事が終わり、後片付けをした。千夏はよく冷えた麦茶の入ったグラスを二つ、テーブルに置いた。冬馬はクッションの上であぐらをかき、遠い目をした。


「ねえ、冬馬はいつか独立したいとか、そういうのあるの」

「あるよ」

「へえ、すごい。起業するの」

「うん。いずれフリーランスになりたい」

冬馬は窓辺のバラの鉢植えを見やりながら言う。

「私はそういうの、ない。いいな」

「デザイナーならみんな考える。自分に裁量ある方がいい」

「え? うちだけに振ってくれる仕事、営業に取ってきてもらえる方がラクとか、前に黒岩さんに話してなかった?」

「あれは黒岩さん用の会話」

冬馬はこともなげに言う。千夏は腑に落ちて、麦茶を飲む。


「営業と外出して、どうだった」

「マサさんのこと? あの人すごいよね」

冬馬は急に目を輝かせる。そんな冬馬を、千夏は複雑な気持ちで見る。

「どんなふうにすごいの」

「溶け込み方が半端ないっていうか。空気と同化すんのが上手い」

「何、空気って。居ないも同然じゃん」

千夏はおかしくなってくすくす笑う。

「そういうのと違う。客にとっては当たり前の、なくてはならない存在になるのが上手いっていうか」

「えー?」

千夏にはよく分からず、腕を組む。


「しかも俺のこと客の前ですげー褒めんの。テンション低めな感じで」

「低めなんだ」

「そう。でも、客はそういうの、すげー喜ぶんだよ。期待してますって」

「それって冬馬にはプレッシャーじゃない?」

「うん。普通はそうなんだけど。マサさんが言うとそれ感じない。マサさん、すげーカッコいいんだよ」

「へえ。どんなところが?」

千夏は興味津々で耳を傾ける。正秋はどんな思いで冬馬を立てているのか。少しだけ胸が痛む。

「やり過ぎてもいいから振り切ったデザインやってくれ。クレームがきても、ケツは俺が持つから、って言ってくれんだよ」冬馬が充実した顔でグラスを手に取り、麦茶を飲む。「本人、可愛い感じなのにな。フツーに惚れるよな」

千夏もグラスを手に取り、麦茶をひと口飲む。


そうだったのか。だけどそんな話は初めて聞いたと千夏は思う。ほとんどの場合、営業が客先にデザイナーを連れて行くことはしない。行くとしたらディレクターだ。それが正秋の新しい営業の仕方なのかもしれないし、冬馬をうまく利用しているとも言える。冬馬の外見がいいのも、デザイナーにしては珍しく社交的なのも、使い勝手がいいのかもしれない。それでも実際に正秋がやってることはカッコいいと、千夏自身も認める。


「前から聞きたかったんだけど、冬馬のご両親って何してる人?」

「親父は会社経営。母さんは専業主婦」

冬馬の言い方はとても退屈そうだ。

「すごいね。なんの会社?」

一方の千夏は、前のめりになって聞く気満々だ。

「んー。何やってんのかよく分かんないけど、そんなに大きくない商社だよ」

なるほど。そんな親を見て育てば、自分に裁量ある方がいいと思うのも頷ける。なんとなく滲み出ている育ちの良さも納得できる。

「家。継がなくていいの」

冬馬が家業を継いで、その冬馬と結婚すれば自分は社長夫人だ。と、勝手な妄想を千夏は慌てて振り払う。

「うん。興味ない」

「冬馬ってきょうだい、いるんだっけ」

「いない」


冬馬がマイペースな理由が、なんとなく分かった気がした。千夏はベッドに寄りかかり、頬杖をつく。

「ねえ。それ、ご両親に感謝した方がいいよ。冬馬のそういう、立ち回りが上手いところ、絶対にお父さんの影響が大きいよ」

「それはあるかも」

「やっぱそう思う?」

「親父がよく、自分の領分を見つけたら、そこで人の百倍努力しろって言ってた。俺の領分はデザイナーだから、ここで努力する。で、黒岩さんのことはまだ立てておく。だからつまんねー話も笑って聞いてやってる。盗めるもんは全部盗む」

「すごい。お父さん様様だね」

千夏は大いに笑う。最近の冬馬が回してる案件の数といい、長谷川からの評価の高さといい、黒岩とはそもそも器の大きさが違う。きっと冬馬が黒岩を追い抜く未来はそう遠くない。


ふいに、冬馬が千夏のパーマのかかった黒髪を撫でる。千夏はびっくりして手を振り払う。


「ちょっと」

「まあまあ。でも、よかった。俺が原因で会社休んだのかと思った」

冬馬のうぬぼれた様子に、千夏は急に顔が赤くなる。

「だから、今日は有休だって」

「俺よりお姉様のくせして。間接キスごときで、男と付き合ったことない女子高生みたいな顔、すんのな」

冬馬は鼻で笑った。

「悪い?」

「悪くない。可愛い」

「それ以上可愛いって言ったらタダじゃおかないよ」

「へー。何してくれんの」

冬馬は腕組みしてあぐらをかき、ごくごく楽しそうだ。千夏も怒っているのがバカバカしくなり、つられて少し笑う。冬馬はテーブルに手を伸ばしてグラスをとり、喉を鳴らして麦茶を飲む。

「千夏がなんで可愛いのか分かった」

「何よ」

「ウブだから」

冬馬はますます笑う。細い目がますます細くなり、その顔に愛しさを覚える。抱きしめたい衝動に駆られる。

「でもよく考えて。俺ってお前が一度、試着した相手だよ」


試着。言い得て妙だと、千夏は舌を巻く。そう。私たちはお互いの体を「試着」している。ただの知り合いでもない。セフレではないが、一回寝たのは確かだ。冬馬はつまり、だからこそフランクに付き合おうとしているのだろうか。お互い飾らず、気負わず接することができる、友達として。


「やっぱり可愛いなー千夏は」

冬馬はくすくす笑う。

「やめて。じゃあなんで、あんなことすんの」

千夏は怒って声を張り上げる。冬馬は少し驚き、瞬きを繰り返す。

「あんなこと?」

「ねえ、冬馬」

「何」

「あの日。私に初めて会った日。あの後、何で連絡してくれなかったの」

聞くつもりはなかった。なのに、言葉が自然と口をつく。直後、急に不安に襲われた。千夏はおそるおそる冬馬を見つめる。冬馬は無表情になった後、物憂げな表情に切り替わる。


「シラフで話すのは嫌だな。なんか酒、ないのかよ」

「ないよ」

本当は冷蔵庫に巨峰サワーの缶がある。だけどアルコールは与えたくない。正秋のときと同じ展開になったら。飲んだ勢いで適当に抱かれたら。私は都合のいい女になりたくない。千夏は正座すると背筋を伸ばす。


「こうしない? 今度、飲みに行こうよ」

千夏はビクつく自分を抑え込み、すました顔をつくり、余裕ぶって言う。

「いいよ」

冬馬からは即オーケーをもらえたのが嬉しくて、千夏は思わず表情がゆるむ。

「何だよ、その顔」

「別に。飲みに行くの、約束だよ」

千夏は微笑む。心からの笑顔だ。

「うん」

「冬馬といると、太ることばっかりやってる気がする。蕎麦とかラーメンとかパスタとか」

「俺、麺類好きなんだよ」

「それで太らないとかずるい」

「そういえば明日、暇?」

冬馬が唐突に訊くので、千夏は面食らった。

「え? あー、うん」

「朝から出かけよう。迎えにくるから」


冬馬はジャケットとバッグを手に取ると、足早に玄関を出た。取り残された千夏はぽかんと口を開け、その後ろ姿を見送った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ