表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/95

カルボナーラ

千夏は困惑しながら、内側ロックをかけた状態で、少しだけ玄関ドアを開けた。


「なんできたの? なんで住所知ってんの?」

「総務の理乃さんに聞いた」

矢継ぎ早に尋ねる千夏に、冬馬は少し目を伏せ、呆れた調子で答える。千夏は冬馬の顔色を伺いながら、仕方なく頷く。悔しい。恥ずかしい。同時に、嬉しい。千夏は再び正面にいる冬馬を、複雑な思いで見上げる。


「こんなボロいアパート、誰にも見られたくなかったのに」

千夏は恥じらいながら言う。

「つーか、なんだよ。結構、元気そうじゃん。心配して色々買ってきたのに」

冬馬はそう言って、スーパーのレジ袋を見せる。何やら食材が入っているらしい。千夏は不思議そうにそれを見おろす。

「元気そうって?」

「だって会社休むから。具合、悪いんだろ」

冬馬の言葉に、千夏は再び顔を上げ、狐につままれたような顔をする。

「悪くない。今日、有休だよ」

「えー?」

そんなの聞いてないぞとばかりに、冬馬は困ったように笑う。


「何だよ。とりあえず開けろ。特別サービス。飯、作ってやるよ」

「いいよそんなの。帰って」

本心は帰ってほしくない。が、とりあえず言ってみた。

「いいから」

「すっぴんだし」

「気にしない。あのさ、俺も腹、減ってんだけど」

千夏は少しの間、迷う。このままこのドアを開けていいものか。正秋のマンションだって、入るのにも躊躇したのだ。その結果があれだ。だけど、今度の相手は正秋ではない。自分の一番好きな人なら…。

幾分の期待を勝手に膨らませ、千夏はドアを開ける。


「やー、マジでボロアパートだな」

冬馬は靴を脱ぎ、千夏の脇をすり抜けるように室内へ入る。室内をキョロキョロ見回す。

「おい、何だよ、その水着のねーちゃんは」

冬馬は壁にデカデカと貼ってある吉高由里香のポスターを指さし、激しく笑った。

「いいの、大人の事情なの」千夏は顔を真っ赤にしてポスターの前に双手を上げ、仁王像のように立ちはだかる。「きっと杉崎大先生は、さぞやご立派な豪邸にお住まいなんでしょうね」

「豪邸じゃないよ」

「どんな間取り? 築年数は? 家賃は?」

「1LDK。築三、四年くらい。家賃はここよりは高いと思う」

聞いてて腹が立つ。明らかに自分よりいいとこに住んでるんだろう。千夏の様子を見ながらひとしきりからかうと、冬馬はそれに飽きたのか、今度はキッチンに戻る。レジ袋を床に置き、すぐそばの戸棚を開け、中の食材を物色する。

「ボロアパートに住んでるから貯金できるの。ねえ、ちょっと、勝手に色々みないでよ」

千夏は怒りながら歩み寄り、冬馬の着ているジャケットの袖をつかむ。

「ふーん。金貯めて何、やんの」

冬馬は戸棚から使いかけのパスタを取り出し、今度は冷蔵庫を開ける。


「別に。マンション、買いたいだけ。あと、夏休みに旅行いきたい。ってほら、冷蔵庫も勝手に開けないで。それで何、探してんの」

「粉チーズ。できればベーコンも」

冬馬は庫内をジロジロ見る。千夏は庫内に手を伸ばし、粉チーズとももハムをつかむと、冬馬に手渡す。

「はい。ベーコンはない。パスタ、何作るの?」

「お、ももハムいいね。カルボナーラだよ。またダイエット中だからー、とか言うなよ」

「言わないよ。週に一度はチートデイだもん」

冬馬は千夏をちらりと見て、意外そうに笑う。それから鍋を見つけて水を流し入れ、火にかける。さらにレジ袋から卵を取り出して割ると、ボウルの中でカチャカチャとかき混ぜる。千夏はその横顔を見つめ、自分の脳内が騒がしくなるのを聞く。


この状況。何だか同棲しているカップルのようではないか。仕事上がりの彼氏が家に来て、夕食を作る。俺の得意料理だよ、とか言って。正秋と違って、こちらのダイエット云々には一切、気を遣うつもりはないらしいけど。


千夏は無意識ににやけた。冬馬はその様子に不審な目を向けながら、粉チーズを溶き卵に混ぜ入れる。

「マンションのためか。なんだ、事業でも起こすのかと思った」

「実業家じゃあるまいし」千夏は我に帰り、真面目ぶった調子で返す。「私は別に、ディレクターでもないしデザイナーでもない。専門的な技能とか、何も持ってない。独立とか一生、できないから。きっとずっと、あの会社だよ」

千夏は投げやりになる。口にしてみると、実につまらない人生だ。

「いいんじゃん。住宅ローン組むなら正社員で雇われてるうちが正解。包丁はどこ?」

冬馬は辺りをキョロキョロ見回す。


「はい。だよね」

千夏はシンク下の扉を開け、包丁を手渡す。

「サンキュ。地に足がついてていいと思う」

「そう?」

千夏は少しだけ照れるが、顔には出さないようにする。

「入社十年だっけ? 自分に合ってる会社なんだな」

「うん。多分」

「合わなかったらとっくに辞めてるしな」

冬馬はやけに肯定しながら、等間隔でももハムを切る。それからフライパンをガスレンジに置く。その鍋肌にオリーブオイルを垂らして火をつけ、ハムを入れる。ジュージューと音を立てながら、ハムに焼き目がついてゆく。


「旅行はどこ行くの」

冬馬がフライパンを軽く振りながら尋ねる。

「鳥取砂丘」

「砂漠?」

「うん。一回行ってみたかったんだ。なんの生き物もいない、灼熱地獄みたいなとこ、最高」

千夏は両手の指を組み、宙を見ながら微笑んでみせる。

「真夏に地獄へ行くのかよ」

「そう。最高でしょ」

冬馬と一緒ならもっと最高なのに。俺も一緒に行きたいと言ってくれないかな。言わないかな。千夏は一縷(いちる)の希望を持って返事を待つ。

「そっか。楽しんでこいよ」

無味乾燥した言葉に、千夏はがっくりする。

「私、洗濯物、取り込んでくるね」

「おう」

冬馬はフライパンから目を離さずに答え、千夏はベランダへ向かった。


その後、料理は無事に完成した。先に千夏だけテーブルの前に座らされた。目の前に出てきたのはももハムがたっぷり乗った、濃厚そうなカルボナーラだった。


「私が病人だと思って買ってきた食材が、パスタの材料だったわけ」

千夏はテーブルの前で皿を見下ろし、苦笑しながら尋ねる。

「買ってきたよ、レトルトのお粥とかリンゴとかも。あとで食えよ」

冬馬は部屋の隅に置いたレジ袋を指さす。千夏が普段利用しない、ちょっと高めのスーパーのものだ。

「うん、ありがとう。いただきます」

千夏は食べながら、脳内が再び激しくおしゃべりを始めたので、それに耳を傾ける。


昨日、間接キスしたのはなぜ。可愛いってどういう意味。好きでなくてもできるし言える。それは分かる。だけど嫌いだったら絶対にしない。


私が年のわりに幼く見えたとか。応援してやりたくなったとか。いや、でも。でも。本当は好き? 聞きたい。聞けない。怖い。


「味、どう?」

悶々とする千夏に気づく様子もなく、冬馬が尋ねる。

「うん。めっちゃ美味しい」

感情を押し殺した千夏の声は、事務的にしか出てこない。

「そう? 硬水で茹でなかったし、チーズもペコリーノチーズじゃないけど。ありがとう」

冬馬は機嫌よく、爽やかに笑う。千夏はその笑顔に悩殺され、咀嚼するのを数秒、忘れる。それに気づき、咀嚼を再開する。

「硬水で茹でるの? ペコリーノチーズって何?」

「ペコリーノは羊乳。とにかくまあ、美味いやつ」

「何それ。よく分かんないけど高そうだね」

「値段はパルメザンと大差ないよ」

冬馬はわりと食にこだわりがあるらしい。千夏はパスタの表面をまとうチーズをじっと見つめる。

「へえ。水もチーズも何でもいいよ。お店、出せそうじゃん。こんなに美味しいの、初めて」

「ありがと」

冬馬は満足そうに笑い、勢いよくカルボナーラを食べ進めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ