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有休

翌日は有給休暇だった。千夏は自宅のベッドに寝転がり、スマートフォンを開いては閉じ、閉じては開いた。


せっかくの有休なのに、彼氏はいない。予定もない。何にもないけど、それでいい。

熱はない。でも体がだるい。こんな日はダラダラするに限る。千夏は眠ることもできず、起き上がることもできず、ひたすら天井を見つめる。酸素を吸って、二酸化炭素を吐く。それしかできることはない。


ふと、前日に冬馬とシュークリームを食べ、間接キスしたことを思い出す。さらに、正秋にベッドの上で羽交締めにされ、キスされたことも思い出す。

「私は、どうしたいわけ」

千夏は天井に向かってひとりごとを投げかける。横向きになって枕を抱きしめ、ため息をついた。


室温がじわじわ高くなった。閉め切ったカーテンから漏れる明かりも、明るくなってきた。

今は何時か。気になるものの、確認するのが億劫だ。だが、ずっと横になっているのもしんどい。千夏は頭をかき、のろのろとベッドから起き上がる。それからトイレに行き、キッチンで水を飲む。Tシャツとハーフパンツに着替えた。


梅雨の間の、わずかな晴れ間が見える日だった。千夏は川に向かって駆け、ランニングを始めた。気温が高く、すぐに汗だくになった。しばらくして川沿いの公園にたどり着いた。そこは美穂のダンスサークルメンバーと初めて会った場所だった。


千夏はあの日と同じようにベンチに座り込み、息を整える。目の前で戯れている親子連れを見る。二十代後半くらいの母親らしい女性が、頭にちょんまげを作った幼い子どもと向かい合い、小さなゴムボールを転がしている。子どもはよちよち歩きながらしゃがみ、ボールをひしっと掴む。千夏はその様を眺めつつ、ゆっくり、前夜のことを思い出す。


冬馬は千夏の口角についた生クリームを舐め取った。その仕草がやけにセクシーで、千夏は硬直していた。冬馬は小さく笑うと、こんなことを言った。可愛い、と。


そういえば正秋にも同じことを言われた。自分をベッドに拘束して、熱い息をかけながら。


千夏は目の前の、幼子の揺れるちょんまげ頭を見つめながら、可愛いかよ、と舌打ちする。可愛いと思うなら、じゃあ冬馬はなんで三年前、音信不通にしたんだ。あんなに毎日やり取りがあったのに。丸無視して、私をシャットアウトしたではないか。


正秋も正秋だ。なんで十年間、私をほったらかしにした。ずっと好きだったら、もっと早くアプローチしてほしかった。どうせ私なんてチョロくて雑魚い女だし、好きだって言ってもらえればホイホイ付き合った。そう、冬馬みたいな鬼ほどカッコいいのが登場する前に、さっさと彼氏になっててほしかった。そうすれば今、こんなに悩んだりしなかったのに。


そんな男達二人を好いてる自分もどうかしている。冬馬の場合は結局、見た目がタイプだから嫌いになれないのか。正秋の場合は後からその魅力に気づいたパターンで、こちらも同様、嫌いにはなれない。


二人とも今、どうしているだろう。ふと、スマートフォンで正秋とのメッセージ画面を開く。指でスクロールすると、日曜日の夜から水曜の夕方ごろまで、謝罪の言葉が数十件、延々と並んでいる。いっそのこと、正秋だけを好きになってしまえれば話が早いのに。


千夏は自販機で水を買い、とぼとぼ歩いているとメッセージを着信した。送信者は美穂で、今日は休みなのかと尋ねられた。そうですと答えると、電話がかかってきた。連絡できなかったことを謝られ、最近の冬馬と正秋のことを話すと、美穂は熱心に聞いてくれた。


「ちなっちゃんー。すごいモテ期がきたんだねえ。ねーえ、今日、私ね、予定ないの。今から家、行こうか」

美穂は明るく尋ねてくる。千夏は正面を見つめながら道路端を歩き、音もなくため息をつく。

「いや、いいです。うち、ボロくて恥ずかしいし。あと、全然モテ期じゃないです。冬馬からは別に…。話、聞いてもらえてよかったです。美穂さんしか聞いてくれる人、いなくて」

「そう。私のうちに来てもいいよ。娘もいるし、一緒に飲もうよ」

こういうところが美穂のいいところだ。いつでも寄り添ってくれる。ほったらかしにもしない。千夏は目頭が熱くなり、心から感謝した。

「ありがとうございます。嬉しいですけど、それ、また別の日でお願いしたいです」

「うん、分かった。でも、悪い知らせじゃなくてよかった。私までびっくりしちゃったけど。ゆっくり休んでね。また話そ」

美穂の優しい声に頷きながら、千夏は電話を切った。


自宅へ戻る途中でコンビニに寄り、鮭おにぎりと根菜サラダとレジ袋を買った。自分でもこんな買い方に驚いた。以前ならコンビニにはほとんど近寄らなかった。買い物に行くのはスーパーで、そのスーパーですら買うものは食材であり、惣菜や弁当とは縁がなかった。レジ袋も絶対に買わないと決めていた。


自販機もそうだ。自販機は割高だからと、喉が渇いてもまず、我慢した。家に帰って自分で淹れた麦茶を飲むなり、そうやって凌いできた。また、惣菜や弁当を買うにしても、おにぎり一個とサラダの組み合わせで食事を終わらせることはまず、なかった。おにぎり三個もしくはおにぎり二個とパン一つ、それが基本だった。


自分は変わった。誰のために。何のために。自分自身に質問を投げかけた。それに答えず、ぼんやりしながら家路についた。


帰宅してシャワーを浴びた。着替えて髪を乾かし、おにぎりとサラダを食べた。体に心地よい疲れが訪れ、千夏はベッドに倒れ込んだ。


夢を見た。顔も分からない男性と、海に来ていた。青い空に白い雲、それに輝く海と、絵に描いたようなデートシーンだった。海岸には二人のほか、誰もいなかった。男性は自分を抱き寄せ、キスした。さらに、キスだけで終わらなかった。二人は丸裸になり、互いに求め合った。


ふいに、スマートフォンがバイブし、千夏は目を覚ました。日は落ち、室内は暗かった。甘い夢の余韻に赤面しつつ、目をこすってスマートフォンを見た。ただの広告メールの新着通知で、やけにがっかりした。時刻を確認すると、午後七時を回ったところだった。


スマートフォンのトップ画面で、「ラジヨ」のアプリをタップした。いつものお気に入りラジオ番組「男の恋文選手権」が始まる時間だった。ベッドに寝転がったまま再生ボタンをタップすると、ラジオパーソナリティが読み上げていた。


「…ですよねー。男の鑑! はい、じゃ、番組オリジナルステッカー、プレゼント!」

この、相川涼という男は読み方も上手い。聞き取りやすい声だし、メリハリが効いててドラマチックだ。ちゃんと投稿者をイジるし、フォローもする。


「はい次ー! ラジオネーム、ピカチョウさん十五歳。『Kさん、一年の時から僕はKさんのことが好きです。可愛いし、みんなに優しいし、勉強もバレー部も文化祭の実行委員も、頑張ってますね。僕は運動部じゃないし、かっこよくないし、背も低いし、ピアノしか特技はないけど、どうしてもKさんを諦められません。彼氏がいないなら付き合ってください』。はい。そうかー。いや、もうこれはフツーに告白しようよ。ピアノ弾けんの? いーじゃん! よし、わかった。一曲、弾け。それを聴かせるんだよ、Kさんに。運動部の女子だって、ピアノ男子、好きだって。自信持てよ。外見とかね、もう、気にしなくていーの。そんなのよりも情熱。君の持ってるハート。そういうのに惹かれるの。分かる? 分かったよね? よし、偉い。ステッカー、プレゼント!」


インターホンが鳴った。千夏はベッドから起きた。フラフラしながら玄関に向かい、ドアの覗き窓から外を見た。冬馬の姿がそこにあった。

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