同期と後輩
昼休憩になり、千夏は休憩室に向かった。窓の近くのテーブル席に座る正秋と女子社員が千夏に気づき、手を振ってきた。
正秋の隣に座る松下春菜は正秋と同じ営業部に所属していた。二十代半ばで、社内一だと千夏が認定する美人社員だった。
日頃から千夏が休憩室で昼食をとっていると、正秋によく声をかけられた。すると芋づる式に春菜もついてきた。春菜は正秋によく懐いていて、ほかの社員より正秋にくっついていることのほうが多かった。そんな理由で、それぞれ外出がない限り、この三人で昼食をとることが多かった。
千夏は部屋を横切りながら、冬馬が他の社員と昼食をとっているのが目に入った。千夏は目があわないうちにやり過ごし、窓際の席へと向かった。千夏は席につくなり、空調と冬馬の悪口を並べた。
「やっぱ今日、運勢最悪だったからかなあ。腹たつ。つーかさ、今日、なんか暑くない? 冷房入れてもらえないかな」
千夏はぷるきゅあの腕時計を顔のそばでブンブン仰ぐ。
「千夏さん、まだ四月一日ですよ」
春菜が苦笑いする。
「違う。デブだから体温高いの」
千夏は自虐的に言うものの、本当はデブではない、ぽっちゃりだと自分に言い聞かす。
「乙女座の運勢はどうだった?」
乙女座の正秋が尋ねる。
「見てない。でも確実に私より良いよ。双子座が最下位だったもん。杉崎氏が言うには三十代でぷるきゅあはイタいって。そんなのわかってるよ」
「杉崎さんかー。ああいう距離感分かってなさそうな新入りなんて、ほっとけばよくないですか」
春菜がサンドイッチを食べながら、興味なさそうに言う。
「気にしたくないけど、不愉快だからさ」
千夏は一個目のおにぎりを食べながら言い返す。
「あ、ほら、こぼしたよ」
正秋はスパゲティを食べる手をとめ、前屈みになる。床に落ちた米粒を拾う様子を見て、千夏は赤面する。
「ごめん、ありがとう」
「どういたしまして」
正秋はニコニコして笑い、ポケットから取り出したポケットティッシュで米粒を包む。
「あー、係長。私も今、何か落としました」
今度は春菜が面白がって言う。千夏が春菜の足元を見ると、名刺入れが落ちている。
「自分で気づいたんだから拾いなよ」
正秋はニコニコするだけだ。
「えー、私には拾ってくれないんですか」
春菜が甘えた声で言い、膨れっ面を正秋に突き出す。
千夏はぼんやり春菜の様子を眺める。春菜は千夏より少し背が低いが、体重はずっと少ないと、その体型が物語っている。髪は明るいオレンジがかったヘアカラーで艶があり、丸みのあるボブスタイルだ。色白で小さめの丸顔で目が丸い。長いまつ毛が綺麗に生えそろっていて、鼻筋はすっと通り、ボインな唇はセクシーだ。首がほっそり長く、ライトブルーのシフォンブラウスに黒のタイトスカートを合わせ、黒のパンストを履いている。くびれたウエストを強調するそのスカートを、千夏は妬ましく思う。思いながら、二個目のおにぎりを食らう。
「春菜みたいに可愛く生まれたい人生だった」
本当にそれだ。それに尽きる。千夏は水筒のキャップをあけ、ミルクティーを口に流し込む。
「何言ってるんですか」
くすくす笑いながら、春菜は少し上目遣いしてくる。
「そんだけ可愛ければさっさと結婚して辞めてたのに」
結婚相手はもちろん冬馬だ。春菜くらい顔面強かったらチョロかった。
「私、結婚とか興味ないです」
春菜は冷めた様子で言い、サンドイッチをまたかじる。
「へー。正秋は?」
「俺は結婚したいよ」
正秋はやけに力の入った言い方をする。
「えー、係長、結婚願望あるんですかー。だったら私がお嫁にいきましょうか」
「急に興味が湧いてきたんだ。春菜なら可愛い花嫁になれるよ」
千夏は笑っておにぎりを頬張る。
「千夏さんだって可愛いですよ」
「いい。無理してお世辞言わなくていい。三十すぎると可愛いとか言われんの、イタいだけだから」
そうだ。どうして自分は二十七歳じゃないんだろう。冬馬と同い年だったらよかったのに。
「可愛いと言えば。こないだの『男の恋文選手権』聞いた?」
千夏がふと思いついて話題を変えると、春菜がペットボトルから口を離し、軽く咳き込んだ。
「なんでしたっけ、それ」
「前に言ったじゃん。ラジオ番組。すーっごい面白いんだから」
「どんなのですか」
「世の中の意気地のない男達がさ。好きな女にラブレター書いて、それ投稿してんの。それをラジオ局の人が読み上げるんだけど、最高なの」
千夏は興奮して鼻息を荒くする。
「男だけなんですか」
「そう。ガチのピュアピュアよ。こないだのなんか──」
「千夏はそんなの聞いてんの」
正秋が突っ込み、くすくす笑う。
「うん。あの番組大好き。いいなー、私もあれに投稿してる人にラブレター、書いてもらいたいなー」
「そんなに欲しいなら、私が書いてあげましょっか?」
春菜はバカにしたような言い草をする。
「いいよ、女のなんか。ピュアな男子に書いてもらえるから価値があるんでしょ。すごいんだよ、あれ。十代とか二十代とかだけじゃなくて、七十代とかもいて。愛する妻に送るラブレターとか、もう、本当、ピュアすぎて涙ちょちょぎれちゃう」
千夏は興奮気味に、熱っぽく言い返す。
「そういえば俺、三十すぎてからの方が可愛いとかピュアとか言われるけど、俺もそういうの書いた方がいいの」
正秋が唐突に、真顔で聞いてくる。千夏と春菜は一瞬沈黙したが、すぐさま笑いのスイッチが入った。
「知らないよ。書きたきゃ、書きゃあいいじゃん」
千夏はバカ笑いしながら正秋の顔を指さす。
「ホントに係長は可愛いですよね。母性本能がくすぐられます」
春菜も笑いを引っ込められずに賛同する。
「うん。正秋は女の私より遥かに可愛い。だって…」
「だって?」
聞き返す正秋に、千夏はグッと口をつぐむ。正秋が他の女子社員達になんて言われているか知っている。「妖精」だ。
誰が言い出したのかは不明だが、いつの間にかそういうこととして社内女子の間では周知されている。正秋本人は仕事で成果は出しているものの、営業職っぽいガツガツしたところがまるでない。控えめな性格がわざわいして女性経験ゼロのまま三十歳を迎え、ついには人間から妖精になってしまったのだと、まことしやかに語り継がれ、千夏も半分本気でそうかもなと思っている。当然、そんなことは本人に確認できるはずもなく、可愛い妖精に幸あれと、目でエールを送ってみる。送りながら、吹き出しそうになる。
「おい。いいって」
「だって、ついてますよ。ミートソース」
春菜は正秋が置いたポケットティッシュを一枚引き出し、正秋の口元をぬぐう。春菜は正秋のことが大好きだ。それが本気かどうかは分からないし、本人からも相談されるほどでもないので、千夏は三個目のおにぎりを手に取り、温かい目で見守ることにする。
おにぎりを三個とも食べ終わり、千夏は二人を置いて先に席を立った。隣の給湯室に入り、流しで手を洗っていると、誰かが隣に並んで立った。
「天野さん、食べ過ぎじゃないですか」
その声に千夏は耳をぴくりと動かす。視界の隅で冬馬が腕を組み、ニヤニヤしながら壁にもたれている。
「頭脳仕事には炭水化物が必要なんで」
千夏は突き放すように言い返し、目を一本線のように細めてみせる。
「頭脳仕事って何ですか」
冬馬は薄ら笑いを浮かべて突っ込んでくる。
「礼儀を知らない人間に対してでも、怒らないよう頭を使い、心を落ち着けて会話する、という高度な仕事のことです」
千夏が白い目でみると、冬馬は笑った。
「野菜やお肉も食べた方がいいですよ」
「でしょうね」
「金ないんなら奢りましょうか」
「ないんじゃないです。貯めてるんです」
こんな話がしたいんじゃない。だけどこんな話をするよう仕向けているのは冬馬だ。千夏は肩を怒らせ、給湯室を出て行った。