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ラーメン屋

二人は駅のコンコースを通り、北口側に出た。千夏と美穂が通っているオシアスの前を通り、博多ラーメンの店に入った。大将が威勢のいい声で出迎え、カウンター席に座るよう促された。


「千夏はラーメン、嫌って言わないんだな」

冬馬はカウンター席で水を飲みながら、軽く笑って言う。

千夏はそれにはすぐ応えず、店内を見回す。オシアスのすぐそばにあるのに、このラーメン屋に入ったことはなかったなと思い返す。ダイエットを本気で始める前ですら来ようとは思えなかったのだ。ジムがそばにあるだけで、なんとなく罪悪感を感じるのがラーメン屋という存在だと、千夏は苦笑いする。


「うん。ラーメン、嫌なんて思わないよ。大好き」

千夏は遅れて答え、素直に頷く。

「よかった」

冬馬は寛いだ様子で笑い、ハーッとため息をつく。

「嫌っていう女がいるの?」

「いるよ。理乃さんとか」

面倒くさそうな顔をする冬馬に、千夏は声を立てて笑う。理乃なら言いそうだ。


「はい。ラーメンお待ち」

大将が受け取り台にラーメンのどんぶりを二つ置いた。冬馬も千夏も両手でそれを受け取り、手前のテーブルにおろす。千夏は自分のどんぶりを真上から見下ろす。とんこつスープに浸かった細麺に、厚切りのチャーシュー、細切りしたキクラゲ、輪切りの青ネギ、紅生姜が乗っかっている。


「麺。半分、とってよ」

「はー?」

冬馬は割り箸を割り、嫌そうな顔を向けてくる。

「私、ダイエット中だから」

「ってかもう、必要なくね?」

冬馬は千夏を横からジロジロ見つめる。千夏は恥ずかしくなって首を横に振る。確かに体重は落ちた。だけどここまで来たら五十キロを切りたい。体重、何キロ? と聞かれたとき、四十八キロ、と答えてみたいのだ。きっと吉高由里香は四十五キロもないだろう。そこまでいかずとも、四十八までいければ万々歳だ。

「必要なの。それに、ダイエット中だからラーメン屋やだ、って言っちゃう女よりはマシじゃない?」

いいから黙って麺を持っていけ。女にこんなことを言わせるな。千夏は脳内で説教を垂れながら、冬馬にどんぶりを寄せる。


「分かったよ。その代わり、俺が頼んだ餃子、半分食えよ」

「えー」

「食べなさい」

「分かったよ」

千夏は冬馬の口真似をする。冬馬は千夏のどんぶりへ乱暴に箸を突っ込み、麺をすくい上げると、自分のどんぶりに流し込んだ。


「それで? 天野先輩は彼氏候補と何かあったんですか」

冬馬はラーメンを啜りながら尋ねる。ちょっと意外なのは、冬馬は音を立てず、静かに食べるのが得意なようだ。

「なんて言うか。まだ相手の、片思いって感じ…」

千夏は咀嚼すると、小さな声で答える。なんだか妙な話だ。好きな男にこんな話をするとは。

「へー。で、結局、誰なんだよ」

冬馬の言葉に、千夏は黙り込んだ。冬馬はそんな千夏を興味深そうに見つめ、ラーメンを咀嚼する。千夏は目を合わせず、ラーメンをすすり続ける。足元の棚に置いたバッグの中から、スマートフォンがバイブしているのが伝わってきた。千夏は箸を置き、スマートフォンを取り出す。正秋からのメッセージだ。千夏は開かずに画面を消すと、再びバッグに押し戻す。


彼氏候補が誰なのかを伝えたら、それでどうだというのだ。安田正秋、営業部の係長だよ。キスもされたし、抱かれそうにもなったよ。メガネを外したら結構いい男だったよ。いいかも、ってちょっと思ってるよ。ってそれを言ったら、あんたはどんな反応してくれる?


大将が、焼き上がった餃子を受け取り台の上に置く。冬馬はそれを手に取り、千夏の前に差し出す。千夏は餃子を箸で摘みあげ、先っぽをかじる。熱い肉汁が口内へ流れ込んだ。

「あっちゃ」

千夏は慌てて餃子を皿に吐き出す。その拍子に割り箸を床に落とす。グラスをつかみ、急いで冷水を口に流し込んだ。

「何やってんだよ」

「だって」

笑う冬馬を涙目で睨みつけ、千夏は新しい割り箸を箸入れから取り出す。


「そんで、まだ口、割らないんだ」

冬馬はラーメンを食べ終わったらしく、肘をついて千夏を見つめ、ニヤニヤし出す。千夏は火傷した舌を突き出したまま、一瞬だけ冬馬を見る。面白そうに高みの見物を決め込んでいるようで、それが神経を逆撫する。

「私は誰かさんみたいに調子のいい嘘がつけませんから」

自分で思う以上に、嫌味ったらしい声が口から飛び出す。

「んだよ。人を嘘つきみたいに」

「そうじゃなかったんだ?」

「で? 誰?」

冬馬は笑いながら千夏の問いかけをスルーし、身を乗り出して尋ねる。


「誰でもいいでしょ」

千夏の言い方は投げやりだ。

「教えろよー」

一方の冬馬は、いたずら小僧みたいな聞き方をする。

「教えると私に何か特典があるかな」

「あるよ」

「何?」

「俺にヨシヨシしてもらえます」

冬馬は自信たっぷりに言い放った。


なんというおめでたい男か。女に不自由しない男が言いそうなことだ。この手の発言を、デブで不細工で薄らハゲがしたら到底、許されない。

実際、この男を通っていった女は何人いるのだろうか。二桁か。三桁か。そして自分はそのなかにカウントされるのか。千夏はスープの水面を見下ろす。自分の情けない顔が、ぼんやり映っている。


「ボウリングやって汗臭くなったのに、ラーメン食べてさらに臭くなった女を?」

千夏はラーメンのスープをレンゲですくい、から笑いする。久々に飲む豚骨スープは最高、デブの素は絶品だとうっとりする。全部飲み干したいのをグッとこらえる。

「うん」

冬馬の笑顔は、背景がラーメン屋だろうがキラキラだ。キラキラ王子と、千夏は勝手に命名する。

「アホくさ」

「それだけじゃ足りない?」

キラキラ王子は半眼になり、何やら含みを持たせたような言い方で尋ねる。

「そんなこと言ってない」

この男は何を言わせたいのか。千夏はだんだん腹が立ってくる。


「まあな。誰かと付き合うのって、結構難しいよな」

急に声のトーンを変えてくる。冬馬の声はいつになく穏やかで、思いやりに満ちている感じだ。切れ長の目が千夏を横から見つめる。千夏はうっかりその目に見とれ、今度はレンゲを床に取り落とす。

「またかよ」

「だって」

千夏は大将に声をかけ、新しいレンゲを受け取る。

「相手のペースに合わせて付き合い続けるのもしんどいし。振るのもエネルギー使うしな」

「…うん」

「お疲れ」

「うん」


千夏は頷きながら、正秋を振ったわけではない、今はまだ無理だと拒否っただけだと、脳内で訂正する。つまり、冬馬もいいし、正秋もちょっといいのだ。二兎追う者は何ちゃら、とかいう(ことわざ)が頭をかすめるが、勢いよく振り払う。

ただ、正秋の股間に生える大事な「トックリヤシ」を握りつぶすところだったから、正秋は恐れをなして、もう一貫の終わりかもしれない。正秋の男性機能も一貫の終わりかもしれない。千夏は微妙な表情になり、スープを少しずつ、何度もすくい上げる。


「美女になっちゃうと、苦労するね」

冬馬はくすくす笑う。

「別に美女じゃないし」

「へえ。そう思う?」

冬馬は目を丸くして尋ねる。その尋ね方に千夏は少し驚く。

「うん」


冬馬は千夏をじっと見る。千夏は冬馬のしつこさに観念して、冬馬を見返す。急に男らしい表情をするのは反則だ。キラキラ王子め。胸がドキドキすんだろ。目を見られなくて、その唇あたりを見る。いつかキスされた唇だ。口だけでなく、それ以外の場所も…。千夏の思考はショートし、機械的に箸でラーメンをすくう。

「また抱きたいくらい、いい女だよ」

冬馬の言葉に、千夏は麺の塊を飲み込んだ。

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