プラネタリウム
日曜日の夕方は雨だった。千夏はウエスト部分に絞りの効いた花柄のワンピースを着て、池袋駅の東口で待っていた。傘に体重をかけて立っていると、正秋が小走りでやってきた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今、来たとこ。今日はどこへ行くの」
千夏は明るく答え、汗をかく正秋にハンカチを差し出す。
「ああ、いいよありがと、大丈夫。空を見に行こう」
「空?」
こんな日に何を言っているのかと、千夏は怪訝な顔をする。目の前の明治通りはザアザア降りだ。
「うん、そう」
微笑む正秋に促され、千夏は深紅の傘をさす。二人は大通りを歩き、複合商業施設「ヨンシャインシティ」に入る。入り口に設置されたしずく取りで傘の雨粒を払い、施設内を歩き、エレベータホールを目指す。エレベータに乗ってドアを閉めると、正秋は最上階のボタンを押す。
「屋上にでもいくの」
千夏は皮肉って尋ねる。
「誰も来なくて、いいかもな」
正秋も軽口を叩く。
エレベータが最上階に到着し、ドアが開く。千夏は正面の受付カウンターを見た。宇宙をイメージしたであろう藍色の天井や壁、そのほか星々のインテリアに、思わず微笑んだ。
「プラネタリウムか」
「入ろう」
「うん」
千夏がバッグから財布を取り出すと、正秋は首を横に振る。
「もう買ってあるよ」
正秋はスマートフォンの画面を受付スタッフの前に提示する。スタッフは大人二名様ですねと言い、画面のバーコードをスキャンし、二人を中へ通した。
ドーム内に入り、正秋が指差す座席を見て千夏は驚いた。通常のシートではなく、丸くて大きい、柔らかそうなカップルシートだ。
「ああやって寝そべって見られるんだよ」
正秋が隣のカップルシートに座るカップルを指さして言い、千夏の肩をポンポン叩く。
「へえ。今時のプラネタリウムってこんななんだ…」
千夏は気後れしてちょこんと座る。正秋が肘を引っ張る。
「そうじゃなくて、こうやってゴロンとしながら見るの」
寝そべる正秋がくすくす笑う。千夏は恥ずかしくなり、わざと離れて寝そべる。
少し経つと上映が始まった。千夏は星々を見上げながら、最後にプラネタリウムに来たのはいつだろうと、ぼんやり思った。
神秘的なBGMとナレーターの解説を聞きながら、それぞれの星の名前、位置、星座を見る。隣の正秋がはりきって指をさす。
「あ、ほら、ねえ見て。北斗七星。オオグマ座の」
「うん」
「あれがコグマ座。北極星は知ってるよね」
「あー、うん」
星と星を繋げても、オオグマにもコグマにも見えない。星座というのはこじつけだなと、千夏は苦笑する。なのに正秋は興奮気味にあれこれ指をさし続ける。ナレーターよりも詳しい謎のエピソードを熱弁する。
お前は男か。女だな。いや、ただの女ではない。夢見る乙女だ。だから乙女座なんだな。千夏は妙に納得できて笑ってしまう。
「正秋、もう少し静かにしな」
千夏が人差し指を立て、笑いながらたしなめると、正秋は我に返る。
「あ、ごめん」
借りてきた猫のようにしゅんとする姿に、千夏は二度笑う。
満天の星空を見上げ、千夏はふいに冬馬を思い出す。冬馬の顔の星座も出来そうだ。明るい星、暗い星を自分なりに繋げ、それっぽい顔の輪郭をつくり、「冬馬座」をつくってみた。意外といい感じにできて、こっそり笑う。ふと、隣のシートを見る。カップルの顔と顔が重なっている。ああ、そうなるよねと千夏は思う。
なんの前触れもなく、正秋が千夏の手を繋いできた。千夏はドキッとして正秋を見るも、正秋はこちらを見ず、星座を注視している。先ほどの少年のようなはしゃぎぶりは雲散霧消し、メガネをかけた横顔がいつになく知的で、男らしくもある。まるでこちらの心のうちを見透かされているようで、少し怖い。
離れて寝転んだはずなのに、正秋はいつの間にか距離を詰めてきている。さらに、徐々に握る力を強めてくる。それと比例して、千夏の頭のなかにできた「冬馬座」のイメージが遠ざかる。ドキドキしっぱなしで、ナレーターの声も耳に入らない。正秋はときどき、指を一本一本つまんで撫でたり、包み込んだりする。爪だけギュッ、ギュッと押したり、指の肉を軽くつねったり、弄ったりして、執拗にいじくり回す。触り方が妙にいやらしくて、千夏は勝手に興奮してしまう。
正秋の手は千夏の手をもてあそぶのをやめ、手首から前腕、肘、上腕と這い上がっていく。やがて肩にたどり着くと首の後ろに素早く手を回し、グッと肩を引き寄せる。
「正秋」
「シー」
正秋がやり返すように、千夏に向かって人差し指を立てる。千夏は腕に抱かれたまま、移り変わるドームの映像を見つめる。
上映が終わり、二人はプラネタリウムを出て、駅に戻った。
「あー、綺麗だった。面白かったねー」
正秋はいやらしさの欠片も見せず、星屑のようなキラキラ笑顔を見せ、嬉々として言う。千夏もあーとかうーとか、伸びをしながら、当たり障りのない相槌を打つ。本当は触られすぎて興奮してましたなんて、言えるはずがない。
「楽しかった。ありがとう」
千夏は本音を押し隠し、月並みな感想を伝える。
「楽しんでもらえてよかった」
一度離した手を、正秋は再び繋いでくる。千夏も過剰反応するのはもうやめて、それを黙って受け入れることにする。
「ねえ。今日のご飯、どこに行くの? いろいろ質問してきたよね。すごく楽しみにしてる」
千夏は質問リストのことを急に思い出し、おかしくなって笑い出す。正秋はその顔を見て目を細め、ニヒルに笑う。
「それはついてからのお楽しみだよ」
正秋は千夏の手を引いて改札をくぐり、電車に乗った。目指している方角は自宅の方だなと、千夏は電車に揺られながら思った。
正秋に連れられ、ついたのは千夏が利用している駅の、二つ隣の駅だった。住宅街の中にある駅のようで、千夏の最寄駅よりは規模は小さく、駅前にコンビニがあるだけで、他に目立った商業施設はなかった。千夏が傘を出そうとしたのに、正秋が素早く傘を開き、入れてくれた。二人は並んで少しだけ歩き、タクシーに乗り込んだ。その間も正秋は手を離さず、ずっと繋いだままだった。
ものの数分で、タクシーはとまった。五階建てのマンションのようだ。
「え? 何、ここ」
千夏が怪訝な顔をして見上げる。正秋はオートロックキーをかざす。
「俺んち」
「えー」
千夏は驚いて手を振り払い、少し後ずさりする。警戒心は隠せない。それを見た正秋は目を丸くした後、激しく笑い出した。
「大丈夫、友達に手は出さない」
正秋はガラスの両開きドアを通り、千夏を手招きする。千夏は少したじろぐ。それは本当か。この頃の正秋を見ると、どこまで信用していいか分かりかねる。正秋は友達というわりに今日も手を繋いでくる。観覧車に乗ったときは額や頬にキスもされたのだ。さっきのプラネタリウムのときだって──。ドアは、千夏の鼻先で閉まる。
「来いよ。せっかく朝から準備してたんだから」
正秋が内側からドアに近づき、ドアが再び開く。千夏は口元に手を寄せ、正秋を見つめてためらう。正秋も見つめ返す。その顔は、今は少年の顔だ。キラキラした清純さと穏やかさと、温かさが溢れている。だけど危うさもチラつく。三十二の男の成分が、百パーセント「少年」なはずがない。
「ご、ご飯食べたら、帰るからね」
千夏は意を決して言い、ドアをくぐった。




