コスモクロック
観覧車「コスモクロック」は比較的空いていて、二人はすぐに乗ることができた。
「見て。夜景が綺麗だよ」
正秋が窓の外を指さす。すぐそばにランドマークタワー、クイーンズタワー群がそびえ立ち、足元にはコスモワールドのアトラクション、街灯が等間隔に設置された道路が見える。それらは夕闇の中で、四方八方に色とりどりな光を投げかけている。
「本当だ。綺麗だね」
千夏は頷く。大丈夫。警戒心を解いても平気だ。気を取り直し、少しずつ変わっていく景色を楽しむ。そう言って、正面にいる正秋の方へ視線をずらす。正秋はそれに気づき、優しそうな目で千夏を見つめ返す。
「どうしたの」
「今日、ありがと」
まるで不満をぶつけるような言い方になってしまい、千夏は少し照れる。
「それは何に対してのありがとうなの」
正秋の顔は興味深そうだ。
「楽しかったから。いつも週末、一人だし」
千夏は正直に言う。沙耶香とは月に一度飲みにいくときしか会わないし、美穂も家庭がある上、同世代でないから誘いにくい。いつもひとりぼっちになりがちな、寂しい週末を思い返す。
「ならもっと会おうよ。明日は?」
「明日は買い物」
「付き合おうか」
「いいよ。今日楽しかったし」
「なんか、もうバイバイするみたいな言い方だな」
「いや、実際疲れたし。もう帰ろうよ」
千夏は手で顔を仰ぐ。夜だけど蒸し暑い。
「今日、何時まででもいいって、千夏が言った」
正秋は子どものように頬を膨らませる。
「言ったけど」
千夏がふくらはぎを揉みながら力なく笑うと、正秋は不意に立ち上がる。千夏がえっ、と思うや否や、正秋はすぐ隣に座る。大人二人がギリギリ並んで座れる椅子なので、二人の肩や腕、足がぴったりくっついた。
「その足、揉んであげようか」
「いいよ。てか、近いよ」
「近くしてんの」
「なんかこれじゃ、恋人同士みたいだよ」
恋人、という単語に自分が一番反応してしまう。緊張して固まっている千夏を、正秋が隣から見つめてくる。気づいているけどどうにもできない。正秋は何も言わずに顔を寄せると、千夏の頬にそっとキスをする。千夏はびっくりして目を見開く。
「ちょっと」
千夏は怒って正秋の腕をぐいっと押す。
「いいじゃん。口以外のチューは友達だろ」
正秋は落ち着いていて、今度は千夏の額にキスをする。
「日本人はそんなにチューしない」
「俺、もしかして日本人じゃないかも」
「そんなの知らないよ」
千夏は呆れて笑う。正秋は楽しそうに笑い、千夏の目を覗き込んでくる。
負けた。完敗だ。男は童貞じゃないと、圧倒的に強いんだな。恋愛はきっと勝ち負けで、負けた方が圧倒的に不利なんだと、千夏は脳内で叫び散らす。正秋が両腕を伸ばし、千夏をそっと抱き寄せる。
千夏はドキドキしながら、黙って抱きしめられることにする。正秋の肩越しに、観覧車の窓の外を見る。ゆっくりゆっくり、周りの夜景が変わっていく。夕日はいつの間にか沈み、わずかなオレンジ色の帯を水平線に残す。代わりにラピスラズリのような群青色の夜空が広がり、そこにベイブリッジや横浜港、赤レンガ倉庫、ワールドポーターズ、車のライトが各々輝き、海面にその光を落とすさまが見える。
観覧車のゆっくりゆっくりした動きと、正秋からじわじわ伝わる体の熱がリンクする。じわじわ、正秋の恋心が千夏の肌に染み込んでゆく。嫌じゃない。全然、嫌じゃない。誰かに好かれるって、嬉しい。これが優越感というものか。女磨きしておいてよかったと、千夏は日頃、頑張る自分をねぎらう。
「帰りたくない」
聞き取れないくらい小さな声で、正秋がつぶやく。千夏はこの腕からそろそろ逃れたいと思うものの、この小さな密室からは逃れられないと悟り、結局抱かれたままでいる。今日は外ではしゃいだから、自分は汗臭い。それが気になるから嫌、というのもある。一方、同じく汗をかいているはずなのに、正秋からは嫌な匂いがしない。男の匂いはするが、露骨に嫌な匂いでないなと、千夏は新たに発見する。
「帰らないと、お母さんが心配するよ」
千夏は正秋の肩越しに問いかける。
「いや、俺、一人暮らしだし」
「そうなの? あんまりそう見えないよ」
「マザコンか何かだと思ってんの」
正秋がくすくす笑う。
「だっていつもスーツがビシッとしてるし。お母さんがクリーニングにちゃんと出してくれてるか、アイロンがけしてくれてんのかなって思って」
千夏はわざとからかう。からかって、今のこの艶めかしい状況と腕から抜け出したい。
「お母さんより、千夏にそれやってもらいたい」
また話の焦点がそっちへいくのか。それよりそろそろこの腕を解いてもらえないか。これ以上のエスカレートは困る。
「友達はそういうことしない」
「友達だけど。俺は大好きだよ」
正秋はますます力強く抱きしめた。
その後、二人は観覧車を降り、コスモワールドを出た。千夏はそのままお開きにしようとしたが、なんだかんだ正秋のペースに乗せられ、夕食まで付き合うことになった。夕食は正秋が調べておいてくれたらしいギリシャ料理の店でとった。見たことのない料理ばかりなのと、昼から歩き回って空腹だったたこともあり、千夏はダイエットを忘れることにした。食事も、正秋との会話も楽しんだ。
正秋と分かれて最寄駅に着くと、スマートフォンがバイブした。新着メッセージを一件、受信した。
『天野先輩、月曜日、ランチ行こー』
送信者は、冬馬だった。




