新規案件受注祝い①
制作部の部屋には、窓から明るい五月の陽光が差し込んでいた。
「沢井モーター。無事、受注となりました。おめでとう、マサ君」
制作部部長の長谷川が窓際に立ち、営業の正秋に拍手を送った。それを受けて、千夏や他の制作部のメンバーも拍手を送り、正秋は礼儀正しく皆に頭を下げた。
沢井モーターのデザインコンペでは八社が参加した。受注したのはヒロイン・デザインの営業部係長である正秋だが、コンペに持参した三つの案のうち、採用されたのは新人デザイナー、白井の案だった。先輩デザイナーである黒岩や冬馬を押しのけて勝ち取ったのは、社内でもちょっとしたニュースになった。
千夏は正秋、長谷川、白井とともにミーティングルームに入った。正秋はいつもと変わらず穏やかに、今後の沢井モーターの制作スケジュールについて説明を始めた。長谷川はクライアントのデザイン規定書を拾い読みしながら、正秋や白井にそれぞれ質問したり、意見した。白井は緊張と喜びを交えた様子で、はきはきと受け答えをした。千夏は予算やスケジュールを確認しながら、パソコンにメモをとった。
ミーティングが終わると、長谷川が課員に向かって声をかけた。営業部と一緒に飲みにいかないかという誘いだった。結果、長谷川以外に同席するのは千夏と白井、冬馬となった。
飲み会会場は駅近の焼き鳥居酒屋「いいとこどり」で、一同は大きめの個室に通された。
「まだ若いのにさすがだねえ。白井君」
「若い男の子らしい、パキッとしたデザインでいいよね」
「あ、いえ。ありがとうございます」
営業達に酌をされ、白井はぎこちなく頭を下げて飲む。
「本当に白井君のおかげだよ。ありがとう」
「いえ。安田さんのプレゼンが絶対良かったんですよ」
正秋も酌をすると、白井は頑張って正秋を称賛する。千夏は興味深そうに正秋と白井を見比べる。なんというか、似た者同士だ。清くて尊く、なんだか笑える。
「あー悔しー。俺のが絶対、カッコよかったのに」
冬馬がこれみよがしにビールを勢いよく飲む。
「あ、なんかすいません。本当です。冬馬さんが作ったやつの方が絶対よかったです。でも俺の、冬馬さんにアドバイスしてもらったからだと思いますし…」
「いーよ、そーゆーの。お前が勝った。俺は負けた」
冬馬はそう言って、恐縮して正座する白井の頭をワシワシと撫でて笑う。
千夏は同席者を、長方形の座卓を上座から順に見回す。営業部部長の田中、制作部部長の長谷川、営業部課長の林、営業部係長の正秋、冬馬、白井、春菜、それと営業部メンバーが他に二人いる。千夏を入れて計十人だ。
「制作部と飲みに行くことってあんまりないから貴重ですよね」
今度は林が長谷川のグラスにビールを注ぐ。長谷川は頭を下げてそれを受け、美味しそうにそれを飲み干す。
「林君、誘ってくれてありがとね」
「長谷川さん、白井君は一番の成長株なんですか」
「ですね。うちの期待の新人です」
長谷川が気取った調子で言い、白井は恐縮した様子で笑い返す。正秋は白井に優しく笑いかけ、サラダを取り分ける。
「ありがとうございます。これからブラッシュアップしていきます。沢井モーターのバイク大好きなんで、嬉しいです」
白井は正秋に向かって頭を下げる。白井にしては珍しくよく喋るなと、千夏は少し感心する。そこで長谷川が咳払いをする。
「ただ、僕の意見を言うと、一番よかったのは杉崎君です。先方は白井君のが好みだったんでしょうけどね。モチーフの使い方も、カラーリングも、デザインの繊細さ、見せ方は杉崎君がダントツだよ。ね」
そう言って長谷川は冬馬の背中をバンバン叩く。
「長谷川さーん。愛してますー」
冬馬は笑って長谷川に抱きつく。長谷川は冬馬の髪を引っ張って戯れる。千夏は二人を見て少し羨ましいと思う。デザイン畑の人間同士、分かり合えるものがあるんだろう。
「千夏。ほら」
喧騒のなか、そっと声をかけてきたのは正秋だ。いつの間にか千夏の隣に席移動し、烏龍茶のグラスを差し出す。ダイエッターに対する計らいは素晴らしいと、千夏はにわかに感動する。
「ありがとう」
千夏はそのグラスに入った黒っぽい液体をじっと見つめる。グラス越しに、ぼんやりと男女の輪郭が見える。そちらに目のピントを合わせる。林と春菜だ。
四十代後半の林はニタニタしながら春菜の肩を抱き、美味そうにハイボールを飲んでいる。
「もお、課長、飲み過ぎですよ」
春菜はグッと体を突き放す。
「そうだぞ林。セクハラすんなよ」
田中が一喝する。
「僕がセクハラなんかするわけないじゃないですかあ」
「じゃあその手を離せ、林」
田中が白い目で言うも、林は首を横に振る。
「それはダメです。僕が責任持ってみてないと他の男どもに春菜ちゃん、捕まっちゃうでしょ」
資料室であんなことしておいて、よく言うわ。千夏は脳内でつぶやく。春菜も春菜ではっきり嫌だとは言わず、気取った様子で鶏レバーのカナッペを一口ずつ、ゆっくりゆっくり食べている。千夏も砂肝の焼き鳥にかぶりつく。砂肝をジャリジャリいわせながら、千夏は春菜の胸のうちを読む。本命は正秋だけど、振り向いてくれるまでは林をキープしておく腹だろう。
「ねえ、天野ちゃんは彼氏いないの」
急に千夏に話を振ってきたのは田中だ。
きた。コンプライアンス違反。ついさっき、自分の部下にセクハラすんなと言っておいて、自分も同じことをしている。だけど相手は総務部のスケコマシ・生野とは違う。営業部の部長だ。千夏は田中に向かって笑顔をつくる。
「ええ。いないんですよ」
よし。自分にしては塩らしい声がでた。上出来だ。
「最近少し、雰囲気違うじゃない。男でもできたのかなって。ハハハハハ」
田中が笑うと、他の営業達も合いの手を入れるかのように笑う。千夏は自分の表情筋が引きつるのを感じたが、それを誤魔化そうと烏龍茶をぐっと傾ける。
「天野さんは元彼と別れて何年目?」
今度は長谷川が空気を読まずにぶっ込んでくる。ムカつきをおさえ、千夏は今日一番の笑顔を振り撒く。
「元彼とはもう、三年くらいですね」
元彼など、そもそも存在しない。
「ずいぶん男日照りが続いてるんだな」
続いているのは生まれつきだ。
田中と長谷川の下卑た笑いを聞きながら、千夏は悔し涙がこぼれそうになる。だけどすぐに引っ込める。こんな低俗な奴らの前で涙を流すのはもったいない。私という資源の無駄だ。泣くのはいい男の前だけにしたい。するんだ。何より今は吉高由里香改革の真っ最中だ。
ふと、冬馬が席を立ち、部屋を出ていく。千夏がその後ろ姿を見送ると、本人はすぐに戻ってきた。手には湯呑みとおしぼりを持っている。なんとはなしに見ていると、冬馬が林のすぐ真上で湯呑みを傾け、春菜に触れていない右手側に、派手にこぼした。




