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妖精ですか

ゴールデンウィークが明けた二日後のことだった。千夏と正秋は会社から数分歩いたところにあるダイニングレストランへ入った。


二人は奥まったところにあるテーブル席へ案内され、向かい合って座る。千夏が普段こない店であることと、二人きりなのが妙に気まずくて落ち着かず、正秋のネクタイを見ることにする。視線を上にずらすと、正秋と目が合った。ダークブラウンの髪ごしに優しく微笑む顔が、いつになく尊く感じられる。妖精は人間を癒す力があるらしい。


正秋がおしぼりを手前に差し出す。千夏は黙ってそれを受け取り、両手を拭く。それから正秋が差し出したメニューを舐めるように見つめる。千夏の脳内で緊急会議が始まる。


日替わり定食。揚げ物だから、バツ。スパゲティミートソース。パスタは太るからバツ。リブロースステーキ。カロリー高いし値段も高いしで、バツ。バツメニューが多い。これだから外食は困る。飲食店は、私のようなダイエッターに配慮する気はないのか。

千夏は一番太らなそうな料理を真剣に探す。

「カロリーとか糖質とか、そういうの、気にしてるの」

正秋は優しい笑みを浮かべながら尋ねる。


そうだ。当たり前だろう。それなのに私は優しいから付き合ってやったのだ。正直、複雑な気持ちだ。正秋の手元を見る。彼はコップを手に取り、水を飲む。今度は一方の手で、他方の手の甲をかく。次にその手は、顎をかく。何だか一生懸命な正秋が、少し可愛く思えた。可愛いのは妖精の特権だ。

「うん、気にしてる」


千夏の口から飛び出た声は、予想外にブリッ子な声だ。そんな自分に笑いそうになる。正秋は少し顔を千夏に近づけ、メニューを一緒に見始める。正秋の位置からだと文字が逆さになってしまう。読みづらいだろうと思い、メニューの向きを百八十度返した。なのに、いいよと言われて再び返されてしまう。


千夏は少し悩んでから、ランチメニューの中で一番カロリーの少なそうな『健康美食彩膳けんこうびしょくさいぜん』を指差す。正秋が頷き、手を軽く挙げて店員を呼ぶ。厨房のそばに立っていた若い店員がすぐにやってきた。

「この『健康美食彩膳』を二つ」

「以上でよろしいですか」

「はい」

「かしこまりました」

店員が厨房へ向かっていく。千夏は正秋を見て、急におかしくなった。


「私に合わせてヘルシーな感じのやつにしたの」

「うん。まあ」

「好きなの、食べればいいのに」

はっきり言って正秋はダイエットの必要などない。背は自分より十センチほど高いが、体重は自分より軽いんじゃないかと、千夏は疑わしげに正秋を見る。


「まあ、いいから。それより千夏、こないだありがとう」

「何が」

「沢井モーターの件。デザイナー達、鼓舞してくれただろ」

「あー、うん。だって正秋が頑張って取ってきた仕事なのに、生意気言ってるからさ」

自分の同期を舐められてたまるか、というよく分からないプライドもある。そう。これまで会社がピンチなときは何度もあったのだ。正秋はそういう時に助け合ってきた大事な同期でもある。

「まだ受注したわけじゃないけど。でも、コンペは手応えあったよ」

「そっか。だったらいいな。社長がEXPOで知名度の高い会社のが欲しいっていうから、正秋、頑張ったんでしょ」

千夏がそう言って頬杖をつくと、正秋はこっくり頷く。

「そういうところ、尊敬してる。きっと受注できるよ」

千夏は素直に褒め、鏡の前で練習した笑顔を向ける。が、直後に後悔してしまう。こういう笑顔は、好きな男に向けるべきだったのに。


正秋は一瞬、意外そうな顔をしてから、嬉しそうに微笑んだ。その笑い方は尊い。いつも尊いが、四月に入ってからそれが顕著だなと千夏は思う。冬馬もこんなふうに素直ならいいのに。千夏はグラスの水を飲む。

「春菜も誘えばよかったのに」

「いいんだよあいつは」

「正秋のこと、大好きなのに」

「いいの」


正秋は少し怒ったように説き伏せる。千夏は周囲をざっと見回す。はたから見たら自分達はどう見えるんだろう。ただの同僚か。恋人同士か。


正秋は不細工ではないし、フツメンだ。スーツの着こなしは素敵だし、爽やかさもある。だけど、中身は妖精だろうから中の下くらいか。冬馬は上の中くらいだ。断然、男前だけど、万人受けする顔というわけではない。だから特上にはなれない。一方の自分はどうだろう。体重は五キロ落としたから、下の下ではない。下の中くらいには昇進したはずだ。


「あっ」

千夏はうっかりグラスの水をスカートの上にこぼした。正秋が素早く立ち上がる。千夏のすぐ傍にきてしゃがみ込むと、ズボンのポケットからハンカチを取り出し、ポンポンと叩く。

「ありがとう…」

千夏は急にドキドキし始める。どうした正秋。妖精からジェントルマンに進化したか。

「ただの水でよかったね」

「うん、ありがとう」


千夏ははて、と思う。自分は普段から食事中、よく何かを落としたりこぼしたりしてそそっかしい。それを拾ったりフォローしたりしてくれるのはいつも正秋だ。そんなこと、妖精にできる芸当か。


妖精とはキラキラしてて儚く、尊い生き物に変わりないが、あくまで観賞用としてという意味だ。その実態は内気で大人しく、なかには女と目を合わせることすら難しい個体もいる。そんななかでも一部、おしゃべりな妖精も存在する。だが、しゃべる内容は自分のことか、推しのことか、他、自分に興味のあることだけだ。それ以上範疇を広げられなくて、周りに目を向けられない。そんな能力が備わってない。キャパが小さく、幼稚なのだ。他者に合わせられて初めて人間の男へと変貌を遂げ、気配りができると彼女持ちか妻帯者にアップデートされる。

どうやら確認する必要がありそうだ。千夏は自席に戻る正秋をガン見した。

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